安倍晋三元首相銃撃事件の公判も
なかなか開始されなかった。
終盤となり
18日結審予定
銃撃の心得としていた「人殺しの心理学」 が話題になっています。
ラスボスはいつも心理学💡
銃をどのように用意するかとか
現物はさすがに売っていないので
— 手作りキットも
部品について検索するときのキーワード
効果的に使うコツも
「1発目撃てれば、2発目も1秒、2秒(の時間)で撃てる」
「安倍元首相の上半身に向けて撃ったと思います」
学ぶ場所がないことですが
如何に解離するかという極意が書かれている本のようです。
これさえできれば
人間には相当なことをする能力がある。
— 犯罪者になるということですが…
まるでドラマのようだと思えば
今後のドラマ制作は困難でしょう。

本来、人間には、人を殺すことに強烈な抵抗がある。
それを兵士として殺戮の場=戦争に送りだすにはどうするか。
元米軍将校による戦慄の研究書
とても宗教的な時間だったことがわかります。
ジブリなどは
善い意味での宗教的な時間は
魔法のように見えるという。
① 充分なシミュレーション
コツを頭に入れる一方で
無になることを
くりかえしくりかえし呪文のように自己催眠
② 百尺竿頭一歩進めよ の決死の覚悟
基本的な困窮のうえに
襲撃のために借金が増え
— 銃や銃弾の製造費200万円ほどを費やす
襲撃を急いだ。
「経済的に追い詰められた。
やめてしまうと教会に敗北するようで
絶対に避けたかった」
② 他力が働いたかのような共時性
事件前日に警戒が厳しく断念
— どん底の絶望
「まさか自分が銃撃に失敗した翌日
もう一度来るとは思っていなかった。
偶然とは思えない気がした」
襲撃当日も
真後ろにいた警備員が
急に動き出し
通行者に注視が逸れた瞬間
今かと思って車道に出て実行した。
悪い意味での永遠の今
③ シミュレーションした無心
取り押さえられ
「当たったか」と口にした。
「発射直後、状況を確認する間がなかった」
本にあった心得を守り「無心」で銃撃
「強い怒りを持つことはなかった」元首相を
— この日初めて昭恵夫人に謝罪
「昭恵さんや安倍元総理のご家族には何の恨みもありません。
私が安倍元総理を殺害し、3年半非常につらい思いをされてきた」
— 実行以外のことは考えないようにしていた。
—— 良心や他人のことを慮る心理を解離していた。
冷静に銃撃するにも
「本で、射撃の心得はなるべく無心で撃つことというのがありましたので
なるべく何も考えないように無心で撃ちました」
『人殺しの心理学』には
① 銃を人に向けたとき…引金を引くのがためらわれるのは自然なことだ
② 戦闘中の殺人は(中略)ほとんど反射的に行われ
意識的な思考はともなわない
③ 人間の心理的な安全装置は
銃のスイッチを「安全位置」から「発砲位置」へ切り換えるのと同じように
簡単に外せる
山上被告の自宅から事件後に押収されたとみられる『戦争における「人殺し」の心理学』(筑摩書房)を紐解くと、実際、人を銃撃する心理に関する記述がある。
山上被告が銃撃の心得としていた「人殺しの心理学」 安倍元首相銃撃事件の裁判は被告人質問が終了(AERA DIGITAL) https://t.co/Ha1n8XRgtl
— silent_night (@silent_dawn0910) December 5, 2025
【12.2傍聴記録㉚】検「家にあった本『戦争における人殺しの心理学』か?」山「だったと思います」
似た名前で検索して見ると、これじゃないかなという本がありました↓ pic.twitter.com/Z6JkqOciYE
— silent_night (@silent_dawn0910) December 4, 2025
現在「完全自殺マニュアル」は立ち読み出来ないようにパッケージがシュリンクされてます。
村崎百郎さんの世界は伊豆の「 #まぼろし博覧会」で体感できます。 https://t.co/VHUflL3yfq— かーちゃん Primavera ed Arancione (@allee1023) December 5, 2025
完全自殺マニュアルを手元に持ってて、書いてある中で一番確実性が高い方法で実践した人を複数人知ってるから、あんなん手元に置いとくべきじゃないんだよな
— ティモテ (@Timotei_pure18) December 4, 2025
まさか!と思うような読書をするのも
発禁扱いにするほどでもないでしょとすら
気づかれない存在の本
解離人格の特徴ですからね。



今思えばなのですが、私自身が1番辛い🥵時、「無心になれる自分」をひたすら思い描いていた様に記憶しています。子どもの頃、何も考えずにひたすら没頭して周囲の大人たちをビックリさせた経験。それが突然できなくなった事が酷くショック😨だった事。
そして、ベンラファキシンは、その「無心になる事」を一時だけ実現するのを手伝ってくれる。そういうお薬だった事。薬で偽の純粋体験をさせる事がどれだけトラウマ患者に負担になる事をオーソドックスな精神科医は知らないのだと思います。
表現はいろいろなんですが、普遍的現象なんですよ。
傾聴主体の心理学時代にはよく聴かれたエピソードです。
新薬以後に迷子になった人は本当に孤独なんだなぁと気づきました( ..)φメモメモ
私も考えてみればおかしなことで(おもちゃの工作のようなもので殺害できるはずもない)、直近のニュースを読んでやっと、被告の脳内を臨場感をもって普遍性から眺めることができたのでした。
他の犯罪者も似たようなこと言ってたな…と教えてくれた極めて宗教哲学的な事件です。
治療者も患者も「新薬=治癒」という期待度合いが高かったのでしょうね。
子どものおままごとセットの中に入ってる包丁で本物の肉や魚が切れる(捌くことは難しい🤨)くらいなので、オモチャも使い方&無心になれば、ホンモノの包丁と同じくらいのレベルで使用可能なのでしょうね。レプリカの日本刀でも人を傷つけることは出来ますからね。
〇〇と××は使いようとはよく言ったものです(>_<) こころ次第で真剣になります。 アフリカの少年兵は遠くの人間が鳥に見えるので平気で銃撃できるのだとか。 銃をつかわない時にも、(指示された)人間のこころが壊れる一番の方法から実践させられ平気で実行します。
被告は向精神薬は飲んでいなかったでしょうけどね。
散らばり状態から無心になれるまでの鍛錬は凄い何かが存在していたのだと想像しています。
ヒトを殺めるまでのこの犯人さんの意識の流れがとても気になるところです。また、情報があれば教えてくださいませね。
この事件が独特なのは、いわゆる犯罪者の解離心理ではないということに尽きると考えています。
何事にも陰陽☯あり、よい意味での(超人コース)解離があるわけですが、既遂までは、理不尽な問題に耐えながら常識では解けない難題にまっすぐに向き合い続けてきたのです。凄い精神力です。
その果ての最期の最期に犯行のゴーサインを自分に出す時に解離しただけで、意識のレベルは普通の意味で正常(自我は振り切れたことはなくコントロールされていた)というよりむしろ強く保持されていたと想像します。でなければこれだけのパフォーマンス(お書きの魚を捌くに相当)は無理です。
犯罪は犯罪ですが、ドストエフスキーなどはるかに超えた宗教哲学問題が時代に突きつけられているように映ります。
ギョーカイ人には、正気にかえって(解離(麻痺?)したまま)考える義務が問われているでしょう。