肩書を拒否した日
得て公🐒心理師とは真逆の立場
漱石には
頑固者とか負け惜しみという意味があり
漱石はこれを気に入って
名前を夏目漱石としたようですが
漱には
洗う、漱ぐ、漱ぎ洗うという意味があります。


洗った石を砂の上に置いて→見る @箱庭療法
石庭の解釈は陰陽五行説から
🌳楠学派活動報告🌳
本日、宗教学ゼミを開催しました!
『善の研究』第二編を軸にしつつ、西田の言う「無意識」とはなにか/「主客合一」をより徹底した西谷啓治の「主主合一」/宗教ってなんだ/時間的・空間的枠組みを超えた絶対無のイメージの捉え方
などについて話しました🌳
(ままま) pic.twitter.com/7W4BtzyBUc— 楠学派 -京大文学部自主ゼミサークル (@kusunokigakuha) February 13, 2026
出版社が西田幾多郎のアイコンにしたのは
「西田哲学といえばこの石」という視覚的アイコンとし
多くの読者が
「この石を見ると西田哲学が頭に浮かぶ」と感じる時点で
「哲学的アイコン」として機能している。
「木や石」といった無生物にも
山川草木悉有仏性から
主人公に
敢て「木や石」と言わせたジブリ
人間と同じように
宇宙の真理が宿っているという発想があるからで
哲学が
悲哀が

隕石が落ちてくることから始まることもあるし

路傍の石で自傷することもありますが
そうはならないように
悪意のしるしを漱いで

薄氷をふむような祈りの時間をもつことが大事です。

墓にも石(や木)ですね。
水の中というのもあるけど
純粋経験の象徴としての石ですが
『善の研究』の観光名所
「純粋経験」の説明にも石
「ここに一個の石がある」という例を挙げていて
鈴木大拙の言葉にも「石のようであれ」というのがある。
「ただそこにあるもの」
「判断や意味づけ以前のありのままの実在」の象徴
孤独なユング少年も
お父さんが牧師でも解けない
宗教的難題に苦しんでいた。
石で遊んでいたし
秘密の遊びというのがポイント
賢者の石なんて言葉もありますね。
錬金術のお話は自己実現のたとえ話


孤独を体感しないとパラダイムシフトが難しいのかもしれない….と思うのです。第三者的に夏目漱石はイギリス留学中に孤独感を存分に感じた時期があったと思います。たとえ言葉は理解しても、お友達作りに四苦八苦していたのでは?と想像するのです。当人にとって、孤独感をひしひしと感じている時は自分を俯瞰する余裕なんてありませんから、とっとと日本へ帰って温かい対人関係の輪に戻りたいと願っていたと想像します。国費での海外滞在するほど優秀なソーセキ先生も、ロンドンでの純粋体験を経て、その後、日本でのパラダイムシフトに至ったと妄想しています。
いつもありがとうございます。
自分で言うのも変ですが、こうやってやり取りさせて頂いて来た中で、少しずつ自分が何を表現したいのかが解って来たよーな、そうでないよーな…..時代の変化をご一緒に共有させていただける事、感謝感謝の想いです。日本語変ですよね。すみません。
そうでしたね。
漱石にはそういう重要な一面があったのでした。
ジブリがポニョを守る男の子を漱石ゆかりのなまえにした核心はその孤独だったかもしれませんね。
悪い大人(心理学を研究中)から魚の子を守りながら安全な場所に移動するという普通の子どもでは無理だと思われるところで、とても孤独だったと思います。
私も、既に人間が考えているような世界とは違ったものになっているなんていうお話を今日は拝聴しました。