魯迅 の『阿Q正伝・狂人日記』とPTSDより『君たちはどう生きるか』

魯迅の命日だそうです。

1881‐1936

裕福な名士の家の長男に生まれるも

学問を尊ぶ伝統

祖父の獄死から

没落家族となり

思想に耽るようになります。

中国初の国費留学生として

東北大学医学部の前身に留学するほど優秀ですが

大学は魯迅を大切に迎えていたし

— 『藤野先生』

現在も構内に魯迅記念展示室があり

中国からの留学生を特別に奨励したりもする。

文学や哲学に惹かれるうちに

特に

中国の抱える問題より

さらに深いロシアの小説が必要だった。

精神的ショックから

スパイ容疑で打ち首にされそうになっている中国人を

ながめる中国人たちの表情に好気しかない映像を

講義中に見た。

— 事実とは若干違う部分もあるが魯迅の記憶として

「あのことがあって以来

私は医学などは肝要でないと考えるようになった。

愚弱な国民は…

病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと…

むしろわれわれの最初に果たすべき任務は

かれらの精神を改造することだ。…役立つものといえば…文芸が第一だった」

『阿Q正伝・狂人日記

退学し

小説家になる決心をしました。

宮崎駿とはまた違う戦争トラウマを含む近代の問題であり

西田哲学や

西洋哲学との出会いで生まれた

ジブリとはちがって

アニメで表現

小説を極めたようです。

中国で最も早く西洋の技法を用いて書いた。

— 漱石の猫みたいな視座

弟二人も学者で

日本文化と生物という点は

魯迅の東北大時代を連想させます。

『故郷』も書く必要があったということですね。

日本の作品と違い

— 脚下照顧 ⇒ 温故知新

伝統的なものを否定したあとの道に

光を見出そうとする傾向が興味深い。

中国人の退行@心理療法 は違うのかな🤔

魯迅 の『阿Q正伝・狂人日記』とPTSDより『君たちはどう生きるか』」への4件のフィードバック

  1. ドラゴン

    魯迅先生は、何故、精神科医の道を行かずに、文芸に行ってしまったのか…確かに文芸には時代の精神が反映されているけど、現実的にその精神を理解出来る患者は極僅か….セラヴィ

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      直美(直接美容外科)じゃないですが、精神科医になろうと考える人が増えたのは最近のことで、意識が相当変わったというところが大きいでしょうね。
      もちろん異常に向かってです…

      返信
  2. ドラゴン

    今のオーソドックス(薬物療法)な精神科医は、患者を「異常に向かわせる」事に忙しいですよね。同じクラスに何人かの元オーソドックスな精神科医がいらっしゃいますが、彼ら彼女たちは、「今は移行期だから」というのが口癖みたい。

    今、死海ソルトのお風呂🛁に浸かるのにハマっています♪ 今週が終わればお休みだ〜👏

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      長い移行期ですね🤭
      何のためにそのクラスに長居されているのか不思議でもあります。

      昨夜トンボ(前しか向かない複眼の勝ち虫)がやってきました😲
      窓を全開にして待ってるのですがじっと天井に(まだお休み中?🤔)

      返信

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