天皇陛下懇談で「ホロコースト痛ましい」とご公務(PTSD予防活動)

来日中の
イスラエル首相夫妻と懇談し
天皇陛下は
「イスラエルと日本には
共通点がある」と述べ
ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と
広島・長崎への原爆投下を挙げ
「ホロコーストは
大変痛ましいことだったと
思います」と
語られました。
PTSD発症リスクである
2つを
端的に
示されています。
日々
世界平和を祈願されているから
このような発言が
自然になされるのでしょう。
皇室のご公務はすべて
こころのケアに関するものです。

天皇陛下懇談で「ホロコースト痛ましい」とご公務(PTSD予防活動)」への5件のフィードバック

  1. franoma

    「痛ましい」ということで、こちらに書きます。

    翠雨先生は、もちろん、ご存じなので、ごちゃごちゃ書くのは憚られますが、
    岡本太郎『痛ましき腕』(1936年)
    http://urx.blue/AgsD
    という作品があります。
     神話になるような作品ではありますが、実は、岡本太郎さん本人がお描きになったものではないという仮説もあります。しかし、誰が描いたかは関係なく、1936年という時代精神=“Zeitgeist” を担ったのが当時の岡本太郎さんであったことが岡本太郎さんのレーゾンデートルなのです。
     こういうことは、いくら説明しても理解できる人がほとんどおいでにならず、私は「この人なら理解できるかな?」と思った相手には、言ってみるのでしたが、半世紀以上も生きて、様々な国の人たちと接してきたのに、理解できる人を一人も見出せませんでした。

    困りました。困っても、どうにもなりませんが。私事で、どうも、すみません。

    お邪魔しました。

    返信
    1. wpmaster

      天皇家みたいなものと喩えてもダメでしょうか。
      天皇の意味がPTSDくらい理解されていないので、無理でしょうかね‥。

      頭や右側が描けないという迫力は凄いですね。
      「りぼん」の存在は、当時より相当希薄になりました。
      何十年も経っても、見る者の考えを深めてくれる絵だと思いました。

      このようなお話もまた聞かせてください。

      返信
      1. franoma

        古い話をご存じないであろう若い読者の皆さまへのご参考までに、
        現時点での日本語Wikiからの抜粋です。1936年には…
        1月15日:日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退
        2月01日:天皇機関説を提唱した美濃部達吉が、右翼に襲撃されて負傷
        2月26日:二・二六事件勃発
        2月27日:東京市に戒厳令布告(〜7月16日)
        5月18日:阿部定事件
        6月20日:東京音楽学校に邦楽科設置
        7月17日:スペイン内戦勃発
        7月25日:上野動物園クロヒョウ脱走事件
        7月31日:国際オリンピック委員会で第12回夏季オリンピック開催地を東京に決定
        8月01日:第11回夏季オリンピックがベルリンで開幕(〜8月16日)
        8月01日:警視庁の赤バイが白バイになる
        8月11日:ベルリン五輪から河西三省が「前畑ガンバレ」の実況
        8月24日:成都事件。四川省成都で日本人新聞記者2名が殺害さる(他2名重傷)
        8月24日:日本、関東軍防疫部編成(1941年に731 http://urx.blue/AgyU 部隊と改編)。
        …以下略。長くなりますので。あとは、
        http://urx.blue/AgyH
        をご覧いただけると幸いです。

        返信
  2. franoma

    補遺です。

    1936年、今上天皇陛下は3歳。私の父は6歳年上でしたから、お誕生日を毎年、心からお慶び申し上げました。12月23日( http://urx.blue/AgzF )の記念日( http://urx.blue/AgzJ )でした。私の父にとって大事だったことは、
    1933年:今上天皇、第125代天皇ご生誕

    何しろ、父の両親は、長女に悠紀と名付けるほどに、瑞穂の国の基層文化を大事にしていたので、「米さえ作れれば餓死はしない」し、それに付随して里山を守れば「誰も焚き物に困って凍死しない」と確信していました。その影響があってか、私の父は、学士会館で11月23日に結婚式を挙げ、私の誕生日は「自由の女神像」除幕式なのに、私の誕生日を常に11月23日であると言い張り、私が気づくたびに「あの〜違いますけど〜」と訂正すると、「え?あれ?そうだっけ?」とか言いながら、死ぬまで(死んでも?)修正されませんでした。この点だけ「認知症」( http://urx.blue/AgA8 )様なのは、まるで小川岩雄教授( http://urx.blue/AgA0 )のようでした。困りましたが、どうにもなりませんでした。しかし、他のことは無問題で、落命する当日まで、医学に関する知見はアップデートされていて、最後まで当時としては間違っていませんでした。ヒポクラテスの誓い( http://urx.blue/AgAB )を守って生涯を終えました。

    返信
    1. wpmaster

      風土に合わせた生活で、里山が美しければ、三方良しですね。

      何でも程度の問題ですよね。
      誰しも解離するし、勘違いはあります。
      それがプラスに働く場合もあります。

      返信

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