韓国映画「バーニング 劇場版」は
『버닝』(英題:Burning)2018
村上春樹『納屋を焼く』を象徴的意味として
現代韓国に翻訳したもの
牛飼いのお父さんが火病で
DVで家族離散中
その負の連鎖中に
セルフの要請で小説家を目指すものの
(PTSD自己治療あるある)
自我にとっては書くこともない状態に戸惑っているが
実は
存在が現代韓国版『バーニング』を書いている状態
主人公が観た幻想のお話です。
つまり『十牛図』
牛は途中で売られ
牛糞も気にならなくなり
昔のニューヨークも今のソウルも猥雑さでは同一と感じる
(野生の思考)
大麻の幻想のなかで
牛の分身である
女性は消え
男性は主人公に牛刀で殺害され放火で死体遺棄
主人公は裸で逃走
まずはアニマが現れ
気まぐれで
気が向けばカラハリ砂漠まで出向くフットワークの軽さだが
(中近東で失敗して帰ってきた父親のトラウマの創作イメージ)
眠くなると寝てしまい
いつどこへ消えてしまうかわからない存在で
感情のままに裸でおどるなど
社会的常識はなく
「おもしろい」か「おもしろくない」かの判断基準のみで
ものごとの意味を考えることもなく
集団ヒステリー的に煽り煽られる世界を好む。
このせいで
本人は人生が楽しくなく意味を感じられない(離人症)
アニマの友達と会いながら
グレートギャッツビーは主人公の一面
リトルハンガーからグレートハンガーにワープするヒントは
サン族から
現実では
傷害で逮捕起訴された父親の弁護士に呼び出され
市役所で椅子を投げた程度なので
執行猶予のために
反省するよう説得する役目
故郷に帰り
一家が客観的にどういう家だったのか再認識
家出した母親と再会するなどしながら
DVシェルターあるあるで生活苦のため
借金があり主人公に無心
アニマと対決します。
アニマの眷属が
幻想のなかで消えたり殺されたりしなければ
現実の自分が生きられないというのが
ユング心理学理論
母親も余裕がなく困った状態ですが
主人公が過去を正しく認識するために
記憶を提供してくれますし
アニマたちも滅茶苦茶ながら
主人公にトラウマがあり取り出せることを教え
石で表現
ただしバカっぽく(≠賢者)
傷ついたり
死ぬかと思うようなできごとを思い出すよう迫り
古くて役に立たず景観も損なうビニールハウスを
燃やすのはよいことだという
違和感を抱く奇妙な主張は夢らしく
(それが象徴というもの)
そのうち
母親の持ち物を燃やさせられ嫌だったことを思い出した。
いろんなことがあったにせよ真面目すぎること
反動で極端に奔放で退廃的なアニマが出てくる☯
涙は悲しみの証拠と言われるけど
「私は泣いたことがない♪」(@陽水)こともあるというフレーズも
漱石や十牛図同様日本から
『吾輩は猫である』的に書けばよいことを
不審に思いながらオイルという名の存在しない猫の世話をしていたら
最後に名前のない猫を捕まえた話
牛(セルフ)を探せと言っても探しようがないけど
恋愛感情があれば
ボイラー室(火病)にいた父の分身にご飯を与える程度なら応じるだろうとの
無意識の計算
ハンガー(空腹人間)が
自分のために好きなように食事をつくることは
神さまへの供え物のような高尚な行為というようなことも言っていた。
教えてくれました。
教え尽くすと消える固着の運命だが
リアルなイメージなので吐き気を伴った。
お父さんの波乱万丈の人生を書けばいいと提案する
弁護士の軽い貧乏ゆすりは
かわいはやおかなと思いました。
かわいはやおも言えないことがたくさんあった?
このアニマの特徴は虚言癖
どこの国の作家さんも心理学をよくお勉強されてますね。