『かぐや姫』」カテゴリーアーカイブ

過食症を道徳の問題にすると泥沼化する

今日の講義で
学生さんが
一番反応したのは
この言葉でした。
実際には
「過食症が
道徳や倫理の問題として
扱われ
本人もそうだと思ってしまうと
泥沼化する」と
言ったのですが
ちょっと驚きつつも
『やっぱり?』という表情が
多くみられました。
こういうことは
まだまだ常識には
なってないのですね。
過食症になるには
それだけの理由があるわけで
なのに
その上に
そういう扱いしかされなかったら
自尊心がなくなっちゃいますよね。
故ダイアナ皇太子妃が
上手にスピーチができないのを気にして
受けたトレーニングの話を
しようとしていたのですが
過食症について
話し出すことになってしまいました。
 ―わかってよかったですがニコニコ
過食症
潜在的には
相当多いみたいですね。

竹林から脱出するかぐや姫 ~感官と食道

食道はで 
物理的存在

ユングや
西田幾多郎や
ニーチェが問題にした
感官
 ―こころと身体をつなぐ場所

文化的なものと
密接にかかわっている。

一緒に食べ物を分け合い
一日の出来事を
語りあい共有しながら
家庭の味という
文化とともに

家族的無意識が出来上がる。

戦争で
恐怖感とひもじさと
日の丸・君が代が
無意識的に条件付けられた  ←天然行動療法

国家的集合的無意識がある。

管から
竹がんむりを取ったら
官になる。

かぐや姫のように
放置したらはびこる竹
(集合的無意識)から

わがままと言われながらも
脱出することが
大事だ。

かぐや姫に同一視を起した
クライエントの表現を
かぐや姫同様の
わがままとみなした
大学教授は
今年箱庭療法学会で
弟子に
イメージの表現が行われない心理療法」を
発表させた。

そんなものあるかパンチ!

往生際が悪い叫び
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竹林から脱出するかぐや姫 ~感官と食道

食道はで 
物理的存在
ユングや
西田幾多郎や
ニーチェが問題にした
感官
 ―こころと身体をつなぐ場所
文化的なものと
密接にかかわっている。
一緒に食べ物を分け合い
一日の出来事を
語りあい共有しながら
家庭の味という
文化とともに
家族的無意識が出来上がる。
戦争で
恐怖感とひもじさと
日の丸・君が代が
無意識的に条件付けられた  ←天然行動療法
国家的集合的無意識がある。
管から
竹がんむりを取ったら
官になる。
かぐや姫のように
放置したらはびこる竹
(集合的無意識)から
わがままと言われながらも
脱出することが
大事だ。
かぐや姫に同一視を起した
クライエントの表現を
かぐや姫同様の
わがままとみなした
大学教授は
今年箱庭療法学会で
弟子に
イメージの表現が行われない心理療法」を
発表させた。
そんなものあるかパンチ!
往生際が悪い叫び

『竹取物語』ツバメの巣は西田哲学の【平常底】

ツバメの巣を作られたら

都会人は眉をひそめるかな…

おしゃれなカフェにできたら
宮沢賢治だって
それを放置できないだろう。

保健所が飛んでくるかもしれないし
お客さんの洋服を汚すかもしれないから…

糞害がありますからね。

でも昔の人は
縁起がよいと言います。

その家は繁栄するとか。

PTSD研究家翠雨の日記

きれいはきたない
きたないはきれい

色即是空 空即是色

【陰陽】ですね。

どこにでもいるようなツバメですが
その生態はよくわかっていません。

『竹取物語』のツバメの象徴的意味は…

例えて言うなら
ツバメのようなありふれた日常的なもの  ←【平常底】
取るに足らないものについて          理想と現実をつなぐもの
(気になることでよいでしょう)         (陰陽)

きれいとかきたないとか
好きとか嫌いとか
損とか得とか             

そういうもの(感情)を離れて
観察したら

自分にとって大事なコトが
分かり
自己実現できるということを
教えているのだと思います。

その後で
巣を置いておくか撤去するかは
現実的に判断したらよいのです。
続きを読む

竹取物語「燕の子安貝」の仏教的意味 

中納言石上麻呂足への公案は          

「燕の子安貝」
(つばくらめのこやすがい)

PTSD研究家翠雨の日記

もともとは
崖や洞窟に営巣してたのが      ←野生

いつの間にか
人に寄り添い
その庇護のもとに          ←依存          
繁殖するようになったそうです。

他の貴公子(当時のエリート)は
課題に真面目に取り組まず
適当にごまかしたり
うそついたりしようとしましたが

この人は
真面目に
(常識にはありえないことに)    ←常識を超えようとした   
取り組み

転落、腰を折ります。        ←骨がおれることをする

その養生中にかぐや姫から
和歌が送られ
その返事を書いた後亡くなりました。 ←魂の声が聴こえる

【百尺竿頭】
【如人千尺懸崖上樹】
ポニョ    崖の上の       ←リセットの秘策

誰もが馬鹿にして
しようとしないようなことを
まじめにして
骨を折る

つまり
象徴的に死ぬ           ←社会的にはひどい目に遭う 
(常識を超える)瞬間に

かぐや姫
(誰のこころにもある光かがやく仏性)と
交信し

奇跡が起こるのだと思います。

華厳経の自己実現の物語です。
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『竹取物語』ツバメの巣は西田哲学の【平常底】

ツバメの巣を作られたら
都会人は眉をひそめるかな…
おしゃれなカフェにできたら
宮沢賢治だって
それを放置できないだろう。
保健所が飛んでくるかもしれないし
お客さんの洋服を汚すかもしれないから…
糞害がありますからね。
でも昔の人は
縁起がよいと言います。
その家は繁栄するとか。
PTSD研究家翠雨の日記
きれいはきたない
きたないはきれい
色即是空 空即是色
【陰陽】ですね。
どこにでもいるようなツバメですが
その生態はよくわかっていません。
『竹取物語』のツバメの象徴的意味は…
例えて言うなら
ツバメのようなありふれた日常的なもの  ←【平常底】
取るに足らないものについて          理想と現実をつなぐもの
(気になることでよいでしょう)         (陰陽)
きれいとかきたないとか
好きとか嫌いとか
損とか得とか             
そういうもの(感情)を離れて
観察したら
自分にとって大事なコトが
分かり
自己実現できるということを
教えているのだと思います。
その後で
巣を置いておくか撤去するかは
現実的に判断したらよいのです。

竹取物語「燕の子安貝」の仏教的意味 

中納言石上麻呂足への公案は          
「燕の子安貝」
(つばくらめのこやすがい)
PTSD研究家翠雨の日記
もともとは
崖や洞窟に営巣してたのが      ←野生
いつの間にか
人に寄り添い
その庇護のもとに          ←依存          
繁殖するようになったそうです。
他の貴公子(当時のエリート)は
課題に真面目に取り組まず
適当にごまかしたり
うそついたりしようとしましたが
この人は
真面目に
(常識にはありえないことに)    ←常識を超えようとした   
取り組み
転落、腰を折ります。        ←骨がおれることをする
その養生中にかぐや姫から
和歌が送られ
その返事を書いた後亡くなりました。 ←魂の声が聴こえる
【百尺竿頭】
【如人千尺懸崖上樹】
ポニョ    崖の上の       ←リセットの秘策
誰もが馬鹿にして
しようとしないようなことを
まじめにして
骨を折る
つまり
象徴的に死ぬ           ←社会的にはひどい目に遭う 
(常識を超える)瞬間に
かぐや姫
(誰のこころにもある光かがやく仏性)と
交信し
奇跡が起こるのだと思います。
華厳経の自己実現の物語です。

『竹取物語』ほのかに光る竹の節といのちの血脈

目覚めると

視界の一部に
水辺の光の反射みたいなのが
ある。

頭痛?
貧血?

見え方をあれこれ
試していると…

右腕のひじの内側が
暗闇に光っている
のだと
わかった。

PTSD研究家翠雨の日記

不摂生のせいかもしれないけど
チックみたいな
血管の一部の動き

見えることって
ありますよね。

そして
その上の皮膚が波打ってたんです。
 ―波打つんですね。
  知らなかった!
  
『うわぁ、神秘的ドキドキ』  ←創れる状況じゃないけど
           試してみることお奨めします!

仏性やアッラーや創造主なんて
無意識にある真の自己にすぎない!

なんて偉そうに喝破してますが

生命の神秘を感じました。

『生きてるんだなぁ』
生かされてるんだなぁって方が
正しいかも

そして
竹取の翁がいつも行く
竹林でほのかに光る竹の節をみつけた

っていうのは

こういう感覚の
無意識による
文学的比喩表現だったのではないかな?

と感じました。

『竹取物語』の分析研究
ほったらかしにしてましたあせる
続きを読む

『竹取物語』ほのかに光る竹の節といのちの血脈

目覚めると
視界の一部に
水辺の光の反射みたいなのが
ある。
頭痛?
貧血?
見え方をあれこれ
試していると…
右腕のひじの内側が
暗闇に光っている
のだと
わかった。
PTSD研究家翠雨の日記
不摂生のせいかもしれないけど
チックみたいな
血管の一部の動き

見えることって
ありますよね。
そして
その上の皮膚が波打ってたんです。
 ―波打つんですね。
  知らなかった!
  
『うわぁ、神秘的ドキドキ』  ←創れる状況じゃないけど
           試してみることお奨めします!
仏性やアッラーや創造主なんて
無意識にある真の自己にすぎない!
なんて偉そうに喝破してますが
生命の神秘を感じました。
『生きてるんだなぁ』
生かされてるんだなぁって方が
正しいかも
そして
竹取の翁がいつも行く
竹林でほのかに光る竹の節をみつけた
っていうのは
こういう感覚の
無意識による
文学的比喩表現だったのではないかな?
と感じました。
『竹取物語』の分析研究
ほったらかしにしてましたあせる

PTSD研究の伝灯録

仏教では
伝統ではなく

と書きます。

かぐや姫は

竹林のなかの
一本の竹の根元を照らす
ほのかな光として
翁に発見されました。

大事に育てられますと
自覚が進み
自分が何者であるか
思い出し
 ―われわれはすぐこれを見失いますあせる
最後は
まばゆい光になって
昇天しました。
 
華厳の光明思想は
ユングの自己実現
(個性化)のスタイル
そのものです。

消えそうな灯を
大事に
人から人へ
伝えてゆく
心細いものが
伝灯です。

PTSD研究の伝灯の
消えそうな灯は
最近奇跡的に
少し明るさを増しましたが
まだまだ油断はできません。
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