ジブリ『かぐや姫の物語』」カテゴリーアーカイブ

『明日ママ』『かぐや姫の物語』PTSD克服に必要なものは手に入る。

ピアミは
貧しくて自分を捨てようとした
父親と暮らせるようになったので
 ―お金持ちごっこは
 願望だけで
 
 ちゃんと正しく自己決定していた。
もうピアニストになるのは
あきらめようとしますが
業界の偉い先生が
レッスンを続けるように言います。
どうも無料レッスンで
 ―私も
  偉くないけど
  真摯な人にはそうしている。
大会を台無しにして
怒ってないのかとの問いに
先生は
「どうして1つしか選んじゃいけないの?」と
答えます。
 ―父親もピアノも選んだらいい。
レン君が好きと言いながら
担任の先生も素敵と言って
他の子に揶揄されたとき
本人が
同じことを言っていました。
無意識的に
こういう葛藤に遭遇することが
予期されていたから
そんなことを言っていたのでしょう。
お金

かぐや姫でも
必要なものは
全て天から与えられましたし
『正法眼蔵』にも
そういう一節があります。
修業と自己実現は
その心理的システムが
重なるのです。

「さんてつジオラマカフェ@釜石駅」も『かぐや姫の物語』的PTSDの箱庭療法

2012年3月にオープンしたそうです
    ダウン
  写真アリ
「見る人が
昔を思い出して
辛い思いをしないか」
心配されたそうですが
現実には
なかなか復旧しない駅を
ファンタジーのなかで修復
満開の桜の下で
ミニチュアの人々に花見をさせました。
かぐや姫も

箱庭をつくり

花見してましたね。
日本人の心が癒されるメカニズムには
普遍的な原理があります。

児童虐待PTSDドラマ『明日ママ』ポストも月の王の娘かぐや姫

ポストの本名はキララでした。
キララと入力すると
雲母と出てきます。
実のお母さんとの縁が薄いと

グレートマザー(太母)とつながりますが
 ―エネルギーが高いので
 最初は殺されかける。

雲の上にいる
お母さんなのかもしれません。
実際ははがれやすい岩で
 ―鏡や日本画に使う。
トラウマや障害物が
薄皮が剥がれるように変化してゆく
意味もあるように思います。
実母の無意識による
命名でしょう。
 ―崖の上のポニョが
 如人千尺懸崖上樹という
 禅の公案であるように
 キララも呪術的なぞなぞのような名前
 それを生きると幸福になれる。
この番組では
「魔王」という父と
出会い直しました。
 ―既に出会っている関係が変化する。

ポニョの父も
最初はポニョを拉致監禁して
虐待してましたが
 
 ―偉大な母親のアドバイスもあり
改心しました。

かぐや姫も
「月の王」の元に
還ります。
 ―優しい媼がそれを支えました。
自己実現するときの
父娘関係には
普遍性があります。

安西マリアさん最後はスパゲッティ症候群のPTSD症状負の連鎖

レコード大賞新人賞などを受賞し
期待されますが
芸能生活5年で失踪
 ―PTSD解離遁走

 ―現実に遁走してはダメですね。
芸能界がいやになり
芸能界を引退し
ハワイへ行き
結婚するも
3年後離婚
スナックをオープンするも
やったことのない仕事のため
3年半で閉店
途方に暮れていると

母親が「認知症」と診断され
その世話をしていると
息子がいじめを受けており
 ―その後
 「知的障害者」認定
マリアさんは「うつ病」と診断されます。
 ―OD自殺未遂もあった。
ライブハウスでなんとか復活しますが
今は
「スパゲッティ症候群」
 ―最後は身体もボロボロに…
診断名のデパートみたいになる
PTSD負の連鎖です。
難病の影に
トラウマありです。
かぐや姫になるのは
 ―個性化の人生
容易ではありません。

イメチェン中の壇蜜(33)かぐや姫(PTSD克服で個性化)になれずキレる

「イメチェン戦略」中だそうですが
 ―ポスト藤原紀香
「露出が減って
お仕事が減るというなら
自分の実力がないということ。
(露出が減ったと言われても)
ない袖は振れぬ。
寄る年波には勝てませんから」
「ファンも増えていますから」と
突然の
イライラ
ブチ切れ劇に
報道陣はあっけにとられ
会見は
半ば打ち切りのような形で
終了したそうです。


現実的に
キレたら
 ―解離
ダメですね。
脱皮の仕方には
哲学がありますからね。

ジブリのヒロインと共通の『明日ママ』ポストはPTSD克服個性化のモデル

日テレのCMは
「見たい!
見たいは情熱
 〃  ドキドキ
 〃  エネルギー
 〃  創造力
 〃  冒険
 〃  進化
 〃  好奇心
 〃  始まり
 〃 が、世界を変えてゆく」

あいだに
ポニョや
魔女の宅急便のキキが
出てきたと思えば

ポストは
かぐや姫のように
月を見て
最後のセッションに入ります。
 ―なんとジブリだらけ
ユング心理学でいうところの
個性化モデルには
 ―自己実現モデル
文化によって
1つのパターンがあります。
日本の場合は
かぐや姫なんだと思います。
里親に高貴な姫君が預けられるのですが
現実の親は
実親だろうが里親だろうが
 ―サイコセラピストだろうが
 学校の教師だろうが
セルフ(月の王)から
大事ないのちを預かっているだけなんだと
思います。
永遠に自分の所有物だと勘違いし
ペット代わりにするから
PTSDをつくるのです。

被災地の子たちもPTSD予防中

夕方5時から
NHKでは
『未来への手紙2014』で
被災した子どもたちの
日常が取り上げられます。
小4の女の子は
「考え事をすると
眠れなくなっちゃう」
小5の男の子は
取り壊しの危機にある校舎を
 ―多くの児童が犠牲になった
 大川小学校
撮影し続けています。
「僕は生かされた」と思ったからで
眠れないなら精神科へとか
考えてもしかたないことは考えないという
愚かな専門家より
はるかに大人びています。
PTSDに立ち向かうと
人は哲学的になりますが
PTSD否認すると
馬鹿になります。
年齢は関係ないですね。

専門家抜きで
子どもたちが立ち上がり始めています。

いのちの記憶(集合的無意識)のなかに
セルフがありますからね。

『明日ママ』のポストはPTSD原理『かぐや姫の物語』

第8話の予告CMでは
ポストが
コガモの家の2階から
「おかあさん」と言いながら
月をつかもうとしています。


PTSD克服に関する
原理は1つですから
似てくるわけです。
CMに
『魔女の宅急便』が繰り返し
出て来るけど
ポストは
訪問カウンセリングしたり
魔王の補佐したりして
修業中ですしね。
PTSDにしっかり向き合う子は
心理療法家候補です。
 ―臨床心理士とか
 スクールカウンセラーじゃない
 古典的な専門家
今の日本を救うのは
そういう子たちです。

まど・みちお『うたをうたうとき」とPTSD原理『かぐや姫の物語』

うたを うたう とき
わたしは からだを ぬぎすてます♪

からだを ぬぎすてて
こころ ひとつに なります♪
 ―邪念が消えて
  セルフ(月)とこころ1つに

こころ ひとつに なって
かるがる とんでいくのです♪

うたが いきたい ところへ
うたよりも はやく♪
そして
あとから たどりつく うたを
やさしく むかえてあげるのです♪

月の世界で
涙を流しながら歌っていた
 ―安全確保されたら
 蘇るトラウマ記憶
女性の
その気持ちを受け止めてあげるのです。
確かに
そういう行為は
 ―PTSD予防
罪になるし
 ―迫害される。
自分の身も危険にさらされます。
しかし

「アスペルガーなんかじゃない」
「ADHDじゃない」と
 ―レッテルで汚される。
言ってあげることが
大事だと思います。
なんでこんなに
ぴったりなのでしょう。

PTSD原理『かぐや姫の物語』とまど・みちおさん

まど・みちおさんが
104歳で亡くなりましたが
『ぞうさん♪』なんかは
共感的な詩ですよね。
 ―どうして鼻が長いの?
 そうかお母さんと一緒なのかとか。
 科学的じゃないし
 だからどうした?という話ですが
 傾聴にはそういう
 波長合わせが大事なのです。
『うたを うたうとき』という詩は
「うたを うたうとき
わたしは からだを ぬぎすてます」

かぐや姫も
ヘビのように脱皮しながら
 ―PTSDもヘビも
 変わらねば死んでしまう存在
あるうたの続きを思い出します。
傾聴するときも
その人は
自分から抜け出し
無になっていると思います。