女性を
竹林から
見つけるところと
女性が
最後には
本来の亀の姿に戻って
海に還ってゆくところが
かぐや姫と共通ですね。
フランスから来ても
あんまりヒットしなくても
ジブリの東洋哲学は
一貫しています。
大震災後
世界共通語になった
「ツナミ」も
象徴的に取り入れられていますよ。
女性を
竹林から
見つけるところと
女性が
最後には
本来の亀の姿に戻って
海に還ってゆくところが
かぐや姫と共通ですね。
フランスから来ても
あんまりヒットしなくても
ジブリの東洋哲学は
一貫しています。
大震災後
世界共通語になった
「ツナミ」も
象徴的に取り入れられていますよ。
フロイト派の牛島定信によると
拒食症の原因は
「消化管妊娠空想をめぐる葛藤」だそうです。
無意識は極端な表現をとりがちですので
「妊娠」「結婚」は単なる「結合」と捉えて下さい。
「葛藤」は「コンプレックス=複雑で表現しがたい気持ち」ですね。
ユング心理学で言うと
無意識の中にある感官に
少なくともおじいちゃんの時代からの
PTSDの負の連鎖が詰まって
苦しんでいるということになります。
「祖父の世界のなかに
母親と同一化した状態で住んでいて
早期型エディプスコンプレックスに
巻き込まれている」のだそうです。
それで
あちこちに八つ当たりもしたくなるのでしょう。
適切に食べられないのが
個人の問題ではなく
祖父や母親も含めた家族病理の
コンプレックスのしわざだという話ですね。
愛子さまのことは昨日も書きましたが
あごの細さと黄色いお洋服から
ジブリが
『かぐや姫の物語』の帝の顎を
滑稽なまでに尖らせていたのを
思い出しました。
声優のお顔から
そうなったとのことですが
日本人の無意識を寄せ集める
吸引力をもったジブリの無意識ですから
カショオの人たちのムーンフェイスからの連想も
(月を見て嘆くかぐや姫)
あると思いますよ。
フロイトのヒステリーが
牛島先生の時代には拒食症
現在は過食嘔吐と
流行が変化しただけですね。
この象徴性が見えず
ただ表面的に
考えが幼いから発達障害とか
わがままとか
落ち込んでいるからうつ病と診断されると
何十年も治りません。
真のかぐや姫の象徴的意味についてはこちらからどうぞ✨
皇太子ご夫妻の長女
愛子さまは
15歳の誕生日を
迎えられました。
公的な行事に出席されたりと
積極的なのに
短期間に
こんなに痩せられると
そりゃ
ふらつくこともあるでしょうが
9月に
動物病院から雄の子猫「セブン」を譲り受け
以前から飼っている犬の
「由莉」、猫の「みー」で
アニマルセラピーのみのようです。
お母さんは
かぐや姫になることが許されず
愛子さまは
帝になるかもしれないので
大変な試練であり
フツーではない
思春期です。
わがままでもないし
食べるとか食べないとか
そういう二元論を超えた
仏性のような
個性化の過程を歩まれるのでしょう。
皇室は日本を映す鏡ですから
隠れ摂食障害が多い
現状も
ありのままに映し出します。
自然科学研究機構生理学研究所で
(愛知県岡崎市)
飼育中のサル1匹が
人になつかず
自分の爪をかむ行動を繰り返したので
遺伝子解析すると
特定の遺伝子が変化していることがわかったとのことで
「自閉症スペクトラム」 人間以外で初の確認?と
喜んでおいでです。
遺伝子操作をしていないとのことですが
実験環境は
サルにとっては
それだけでトラウマ環境です。
逃走意欲を失わず
囚人化に反抗する野生が
残っていたこと自体が素晴らしいことなのに
(「他者の行動に反応する神経細胞」って
なんですかね)
表面的に
管理者の
都合の良いようにしか考えないと
せっかくの
おさるさんと人類の出会いが
台無しですね。
ユング派までが
象徴が使えない発達障害が増えているなんて
愚説を垂れ流して
流行に便乗するから
ポニョは家出し
かぐや姫も逃走したくなるんです。
こういうのは
すべて正常で高貴な
自己実現の象徴的態度でしょ?
ユング派の目がひん曲がっているだけで。
サルでも反省のマネくらいはできるのに
研究者たちが
今だにこんな猿真似とは
情けないことですね。
「はてな匿名ダイアリー」で
そばの茹で汁を飲む彼氏を
「受け入れられそうにない」と
不快感をストレートに表現した
女性のブログ記事が
ネット上で波紋を広げているそうです。
関西と関東では
うどん文化かそば文化かという
違いがあり
落語の
『時そば』も
関西人には
『時うどん』にした方が
感情移入しやすい時代があったかもしれませんが
これだけいろんな国の料理を食べるようになった時代に
話し合わず調べもせずに
蕎麦湯は気持ち悪いとだけ
言ってのける人が存在するというのは
興味深い現象ですね。
ネットのお陰で
いろんな人がいるのがわかります。
一般には
馴染みがないものを前にすると戸惑う人が多いので
作法と称するものがありますが
終わりがよろしいですね。
「作法」のようなものにとらわれて
おいしいお蕎麦を楽しめないのは
「無粋」というものです。
しかし
鑑みれば
そんな人は案外いるもので
人間の魂の深淵にある象徴を見抜けず
ちょっと眺めただけで
発達障害が増えているなんて喧伝するのも
無粋なお方たちです。
(『高貴なお方の狂騒曲♪』
かぐや姫の正体をつかめない一流の人々のドタバタ)
東洋の「~道」と呼ばれるものには
「型」があり
まいにち一生懸命お稽古しますが
達人になると
型破りとなります。
箱庭なんかも
何も考えず
自由にやってみてくださいね。
ただし
ゴロツキコメントをする
ストーカーidthatidみたいな
無粋なお方はお断りしています。
全国的に
あいにくの雨模様ですが
見えるところでは
見えるみたいですね。
やっと
かぐや姫論文を
奉納できました。
「わが国のかぐや姫などは
残酷さということを表面に感じさせないが
すべての求婚者に不可能な難題を与え
不幸におとしいれて
自分は結婚することなく
月の世界に帰ってゆくのだから
真にクールなアニマ像といわねばならない。
西洋の「高慢な」姫たちが
一時的には残酷さを発揮しながら
ヒーローに対しては
従順に結婚してゆくのと
好対照をなしている」(P.233)
「日本人の心のなかの
かぐや姫像は非常に強烈であり
異性との結合の否定という犠牲の上に立って
「あはれ」の感情を洗練させてゆこうとする態度は
日本人の美意識を支えるひとつの柱となってきたと思われる」(P.233)
ユング派は
第一人者でも
こんなことしか書いてないので
どうしようもないですね。
(ユング心理学で日本人をはめ殺す親切ごかしはいけない)
こういう視座のない
象徴が使えない発達障害が増えているという
愚説をせき止めるために
がんばりました。
ネパール料理店でお祝いです?
今夜は
スーパームーンが見られるそうですね♪
真に絶望できたとき
お月さまは
大きく輝くみたいです。
頑張っているみなさまに
よいことがありますように✨
中国では
11月11日は
独身dayなのだそうです。
独身者のことを「光棍」と呼ぶので
(枝葉=子孫を持たない木=棍棒)
????
木が4本並んだ感じですね。
陰陽混合から
万物が生まれるという哲学が基本ですから
「独身」には光が当たります。
ジブリは
かぐや姫に
「あめつちよ
私を受け入れて!」と
言わせてましたね。
太極を更新すれば
(トラウマによって歪んだ
古い価値観を粉砕)
世界(あめつち=天地=乾坤)が変わります。
大死一番乾坤新たなりですから。
明治天皇の誕生日である
11月3日を
「明治の日」にしようと
祝日法改正運動を進める団体が
1日
国会内で集会を開き
「神武天皇の偉業に立ち戻り
日本のよき伝統を守りながら
改革を進めるのが
明治精神だった。
その精神を取り戻すべく
心を一つに頑張りたい」と語ったそうですが‥?
古事記は
日本という国がどのようにしてできたかを示す
神話です。
神代の話は
たとえ話ですが
(実在するかどうかしか考えないようでは話にならない)
ナンセンスなのかというと
そういうことでしか表せない
重要な
架空の表現なのです。
色即是空 空即是色の
般若心経の意味を知らない現代人には
意味不明となりつつあります。
ニュースの横には
こんな広告が?
集合的無意識は面白いです。
景気ばかり気にしていると
野蛮になるので
哲学のお勉強も大事ですね。
波乱の人生で
疲れ切り
絶望したゴーギャンは
1897年12月に
この絵
「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ去らんとするや」を描き
2月に自殺企図しますが
一命をとりとめました。
生きていると
辛くなることはあるもので
死にたくなることもありますが
そんなとき
どうするかが
とても重要です。
臨床心理学では
何らかのかたちで
表現し
適切に傾聴されれば
(甘やかすとか
そういうことではありません)
「死と再生」が起こると
考えられています。
もう頑張れないというところで
百尺竿頭一歩進めよの境地で
表現すれば
より良く生きなおすことが可能になりますから
私も日々
そのお手伝いをしています。
ヨーロッパの絵画は「写実」ばかりを追求し
「象徴の深みに欠ける」と言って
アジア・アフリカに関心を寄せた
ゴーギャンでしたが
ジブリも
西洋文化一辺倒の
象徴解釈が
日本人の自己治癒力を嵌め殺していると
指摘しているように
私には感じられます。
それで
鳥獣戯画から
『かぐや姫の物語』を発想したような
拡充法により
この作品も生まれたそうです。
今のユング派は
象徴も拡充法も
どこかに置き忘れてきてしまったみたいで
歌を忘れたカナリア♪みたいなものですね。