哲学・宗教・倫理」カテゴリーアーカイブ

松は松 竹は竹なる 善の風 Goodness unfolds as each being becomes itself—pine as pine, bamboo as bamboo.

善とは

 

自己の発展完成 self-realization であるということができる。

自己実現 @ユング

即ち

我々の精神が種々の能力を発展し

円満なる発達を遂げるのが最上の善である

(アリストテレースのいわゆる entelechie が善である)。

どんぐりが樫の木になる。

バラにならなくていい。

桜にはなれない…

(日本では)

竹は竹

松は松と各自その天賦を充分に発揮するように

人間が人間の天性自然を発揮するのが人間の善である。

西田幾多郎

人魚姫はポニョに

床下の小人はアリエッティに

意訳されるのが日本風です。

 

 

 

 

 

霧晴れて 場所と種の 声ひらく@田辺元の西田批判の今

 

 

 

二元論を手放すトキ:場所の統合としての日本的思索

Ⅰ 通り過ぎたあとに気づく変容

三日間、思索の森をさまよい、ふと気づいたことがある。 気がめいっていたはずなのに、その重さがいつのまにか消えていた。 まるで、霧の中を通り抜けて、振り返ったときに初めて「霧だった」とわかるような感覚だ。

臨床心理学では、こうした“通り過ぎたあとに気づく”瞬間がしばしば起こる。 クライエントが語る主訴の背後に、もっと深い層が静かに動いている。 その動きは、意識の表層ではなく、無意識の底で起こる—— そして、変化はいつも「気づいたときにはすでに起こっている」。

この構造を哲学の言葉で捉えようとすると、 西田幾多郎の「場所」という概念が静かに立ち上がってくる。

Ⅱ 西田幾多郎の『場所』という深層

場所とは、意識の働きを超えた“変容の場”である。 個人の経験と歴史の流れが、まだ分かれる前の状態で触れ合っている深層。 臨床で起こる変容が、しばしば“通り過ぎたあとに気づく”形で現れるのは、 変化がこの深層の「場所」で起こるからだ。

場所は、 「個人の内面」でも 「社会の外側」でもなく、 その両方がまだ分かれる前の、もっと根源的なにある。

Ⅲ 場所の内部に潜む歴史の層

しかし、場所は純粋な内面だけではない。 そこには、

  • 家族の歴史
  • 文化の物語
  • 国家の神話
  • 社会の価値観

こうした“歴史的な層”が折り重なっている。

臨床でクライエントが語る物語の中には、 その人自身の経験だけでなく、 その人が属する共同体の歴史が、 しばしば無意識のかたちで流れ込んでいる。

西田はこの層を「場所の自己限定」として捉えたが、 その歴史的具体性を十分に展開したわけではなかった。

悲哀として表現された事例は深く理解されている。

Ⅳ 田辺元の『種』は場所の否定ではなく深まりである

そこで田辺元は、 この歴史的・共同体的な層を「種」として前面に押し出した。

種とは、 個人が属する民族・文化・国家の層であり、 その人の行動や価値観を形づくる“歴史の力”である。

田辺は、西田の場所があまりに形而上学的で、 歴史の具体性が十分に語られていないと感じた。 しかし、種は場所の外側にある対立概念ではない。

むしろ、 場所の内部に潜在していた歴史的層を、 田辺があえて強調したもの と読むことができる。

場所が「深層の統合」であるなら、 種はその統合の中に含まれる「歴史の力」である。

Ⅴ 国民国家論と共同体論の“表層性”

今年の大会で提示された 「田辺元の『種の論理』と尾高朝雄の『類の論理』  ―日本における国民国家論の意義と限界―」 という発表は、 学術的意義を認めつつも、 私がいま立っている深層の地点から見ると、 種と類の本来の哲学的射程—— すなわち、 個人の精神と歴史の力がまだ分かれる前の層 には届いていないように感じられた。

国民国家論は、 制度・政策・社会構造といった「表層」を扱う。 しかし、場所と種が扱うのは、 その表層を生み出すもっと深い精神的・歴史的構造である。

Ⅵ 深層に立つ者だけが感じる構造的なズレ

WEターンの議論も、 共同体の再構築という社会的課題を扱うがゆえに、 場所と種の深層構造とは異なるレベルに位置づけられる。

これは批判ではなく、 議論が立っている「場所」の違い」 として理解するべきものだろう。

哲学が扱うべき深層は、 制度や政策のレベルではなく、 個人の精神が歴史と触れ合う根源的な場である。

その場では、 場所と種は対立するのではなく、 ひとつの深い構造の異なる側面として響き合う。

Ⅶ 場所と種の統合としての日本的思索の可能性

臨床心理学の事例が、 個人の語りから普遍的構造を浮かび上がらせるように、 西田と田辺の思想も、 その深層において互いを照らし合う。

私はこの三日間の思索の中で、 「どちらが正しいか」という問いを手放し、 場所と種の両方を抱える地点へと静かに移動した。

その地点から見える風景は、 これまでとはまったく異なるものである。

Ⅷ 今年の大会を深層から見守るということ

今年の大会を見守るにあたり、 私はこの深層の場所から、 西田哲学の現在地と未来を静かに観察したいと思う。

そこでは、 制度や共同体の議論を超えた、 精神の変容と歴史の力の交差点が、 新たな思索の可能性として開かれている。

西田が嘆いたこの声に耳を澄ますなら、 いま私たちが向かうべき場所は、 もはや枝葉の論争ではなく、 その声が指し示した根源の場なのだと感じる。

場所ひらき 司馬懿の影 心に宿る@三国志とPTSD治療

 

■ 心理療法の核心を描く三層構造

― 曹叡晩年の物語を素材として ―

三国志の曹叡の晩年に描かれる一連の場面は、歴史物語として読めるだけでなく、心理療法の現場で繰り返し観察される「治療の核心構造」を極めて象徴的に示している。 本稿では、宦官・司馬懿・息子たちという三者を、心理療法の三つの層—— 治療者の影の側面/現実の保護者へのアンビバレンス/負の連鎖の継承 として読み解く。

この三層構造は、治療者とクライアントの関係、クライアントと現実の支援者の関係、そして世代間連鎖という、心理療法のもっとも深い領域を立体的に示す素材となる。

◆ 第一層:宦官=治療者の「影の側面」

曹叡は死の恐怖に直面したとき、宦官に向かって初めて本音を語る。 宦官は、どのような言葉も否定せず、受け止め、逃げ場を与える。 この構造は、心理療法における「自由にして保護された空間(free and protected space)」の典型である。

しかし、宦官は善意から受容しているのではない。 気弱になった君主を篭絡し、依存させ、支配するために“受容”を用いている。 ここに、治療者が持ち得る「影の側面」が極端な形で表現されている。

治療者の受容は、

  • クライアントの退行を促しすぎる
  • 過度の依存を生む
  • 治療者の影響力が肥大化する という危険を常に孕む。 宦官は、この危険性を歴史物語の中でデフォルメした存在であり、治療関係の脆弱性を象徴する。

◆ 第二層:司馬懿=現実の保護者へのアンビバレンス

曹叡が宦官に語る本音は、すべて「司馬懿」に向けられている。 司馬懿は、曹叡にとって

  • 恨みの対象
  • 恐怖の対象
  • 依存の対象
  • 救済の対象 という矛盾した位置にある。

この複雑な感情構造は、心理療法でいう「現実の保護者へのアンビバレンス」に一致する。 PTSDの臨床では、クライアントが現実の支援者(家族、医師、支援者)に対して、 助けてほしい/しかし怖い 信じたい/しかし裏切られる気がする 頼りたい/しかし支配される気がする という両価的感情を抱くことが極めて多い。

曹叡が司馬懿に抱いた感情は、このアンビバレンスの極端な形であり、 「恨みと救済願望が同居する心理」 を鮮やかに示している。

◆ 第三層:息子たち=負の連鎖の継承

曹叡は死の直前、幼い息子たちの未来を案じる。 しかし息子たちは、父のPTSDの構造を知らないまま、その影響の中で育つ。

心理療法の中心テーマのひとつに「負の連鎖」がある。 親のトラウマは、

  • 恐怖
  • 恨み
  • 不安
  • 過剰な期待
  • 過剰な警戒 として子どもに伝わる。

曹叡の息子たちは、父の未解決の恐怖と恨みの影響を受けながら、 「知らないうちに負の連鎖の中に生きる」 ことになる。

心理療法は、この世代間連鎖を断ち切るための営みでもある。 曹叡の物語は、連鎖が断ち切られなかった場合の構造を、歴史的事例として示している。

■ 結語

曹叡の晩年の場面は、心理療法の核心を三層構造として描いている。

  • 宦官=治療者の影
  • 司馬懿=現実の保護者へのアンビバレンス
  • 息子たち=負の連鎖の継承

この三者の関係は、 人が本音を語る瞬間の脆さ、 依存と支配の危険、 救済への期待と警戒、 そして世代間連鎖の重さを、 歴史物語の形で立体的に示している。

心理療法の現場で起こることは、この物語の縮図である。 治療者は宦官の影を自覚し、 クライアントは司馬懿へのアンビバレンスを抱え、 そしてその背後には必ず「息子たち」が存在する。

この三層構造を理解することは、治療の核心に触れることであり、 臨床家にとって不可欠の視座となる。

見えぬ処 心ひそかに 息を継ぐ @公認心理士化する西田哲学

 

心の広がりをめぐって──河合隼雄西田幾多郎が眺めていたもの

河合隼雄の誕生日にあたり、あらためて彼の仕事を振り返ると、日本の臨床心理学がいかに“制度として”形を与えられてきたかが見えてくる。
心理学を学ぶ場がほとんど存在しなかった時代に、臨床心理士という資格をつくり、国家資格化の道筋を描こうとした。その努力は、彼の死後、公認心理師という形で結実した。

しかし同時に、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流に巻き込まれつつある。
この問題は、実は西田幾多郎が『善の研究』で自ら反省したこととも響き合う。
ちょうど今週末、西田哲学会が開催される。
河合隼雄の誕生日と哲学会の時期が重なる今、臨床心理学と哲学が共有するこの問題を、あらためて考えてみたい。

1 河合隼雄の功績と、日本の臨床心理学が置かれていた状況

河合隼雄の仕事を振り返るとき、まず驚かされるのは、彼が活動を始めた当時の日本には、臨床心理学を体系的に学ぶ場がほとんど存在しなかったという事実である。心理学といえば、大学では実験心理学が中心であり、哲学や教育学の一部として扱われることが多かった。西田幾多郎が東京大学で学んだ心理学も、まさにこの「実験心理学」の時代である。

そうした状況のなかで、河合隼雄は臨床心理学を「学問として」「職能として」成立させるための基盤づくりに尽力した。ユング研究所での研鑽を経て、日本にも精神分析や分析心理学のような、しっかりとした訓練体系を持つ専門職を根づかせたいと考えたのである。

そのために、まず民間資格として臨床心理士制度を立ち上げた。これは、制度としては暫定的なものであったが、当時の日本においては画期的な試みであり、臨床心理学を「専門職」として社会に認知させる大きな役割を果たした。河合自身は、いずれ国家資格として整備されるべきだと考えていたが、民間資格を国家資格に格上げする制度は存在せず、道筋は容易ではなかった。

それでも、臨床心理士制度は日本の臨床心理学の発展に大きく寄与し、河合隼雄の死後、公認心理師という国家資格が誕生することになる。制度としての形は変わったものの、臨床心理学を社会に根づかせるという河合の構想は、一定の形で実現したと言えるだろう。

しかし、ここで一つの問いが生まれる。 河合隼雄が目指した臨床心理学の姿と、現在の公認心理師制度が示す方向性は、本当に同じものなのだろうか。 そして、臨床心理学が制度化される過程で、私たちは何を得て、何を見失ったのだろうか。

この問いは、臨床心理学の制度史を振り返るだけではなく、哲学側からの「心理主義」への警鐘とも深く関わっている。

 

2 心理主義の問題──宗教・心理療法・哲学の境界が曖昧になる時代

臨床心理学の制度が整えられ、専門職として社会的地位を得ていく過程は、確かに大きな前進であった。しかし、その一方で、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流の中に置かれるようになった。心理主義とは、宗教・倫理・哲学・社会の問題までもが、すべて「個人の内面の問題」として処理されてしまう傾向を指す。

この問題は、宗教哲学の側からも警鐘が鳴らされている。 たとえば、宗教が本来持っていた共同体的・儀礼的・歴史的な側面が弱まり、個人の内面へと収縮していく現象が指摘されている。宗教が「心の癒し」へと変質し、精神科医や臨床心理士が、かつて宗教者が担っていた役割を代替するような状況が生まれているというのである。

心理療法の出自が宗教と深く関わっていることはよく知られている。 しかし、現代の心理療法は、宗教的な由来を否定するかのように、個人の内面の問題としてのみ心を扱おうとする。宗教と心理療法が互いに近づきながら☯同時に互いの由来を否定し合うという、奇妙なねじれが生じている。

この心理主義の時代において、臨床心理学は「心の専門家」として社会的期待を集める一方で、心を取り巻く文化的・歴史的・共同体的な文脈を見失いかねない危うさを抱えている。 心を個人の内側だけに閉じ込めてしまうと、心が本来持っている広がり──身体、歴史、共同体、宗教、文化──が見えなくなる。

この問題は、臨床心理学だけの問題ではない。 哲学の側にも、同じ危うさが存在している。

3 西田哲学との共通問題──心理主義への反省と、心理学との接点

臨床心理学が心理主義の潮流に巻き込まれているという問題は、実は哲学の側にも同じように存在している。西田幾多郎は『善の研究』を著した後、自らの思索が「心理主義に傾いていた」と反省している。 心の働きを哲学的に捉えようとしたとき、どうしても「個人の内面」に焦点が集まりすぎてしまう危険がある。その危険を、西田は早い段階で自覚していた。

西田が参照していた当時の心理学は、実験心理学が中心であり、心を科学的に測定しようとする試みが主流であった。西田はその内容を紹介し、若干の意見を加えるにとどめているが、心理学を哲学の基礎として積極的に取り込むことはしなかった。 しかし、心理学を完全に拒絶したわけでもない。むしろ、西田は心理学が扱う「感官」や「意識の働き」に強い関心を寄せていた。

近年、哲学館で修復が進められている西田の心理学ノートを読むと、彼が眺めていた心理学の全体像が少しずつ明らかになってきた。そこには、個人的意識を超えて、国家や文明の差異までも含む「人類それ自体(humanity itself)」の相を捉えようとする記述がある。 これは、ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代の空気を感じさせる。西田が「歴史的身体」と呼んだものと、ユングの集合的無意識のモデルは、異なる言語でありながら、どこかで響き合っているように思われる。

道元が譬え話として「古鏡」「火炉」「無縫塔」などのイメージを用いて、言語化しがたい感官の働きを示そうとしたように、西田もまた、個人の心を超えた広がりを捉えようとしていた。 その広がりは、心理主義が心を個人の内側に閉じ込めてしまうとき、最も見失われやすい部分である。

西田哲学会でも、近年は西田の思想をより深く理解するために、心理学との関係を視野に入れる試みが増えている。西田が生きた時代の心理学を丁寧に読み直し、哲学と心理学の接点を探る動きがある。 しかし、文献を並べて表面的に一致する部分を探すだけでは、西田の思索の内側には届かない。 西田と同じ時代に生き、ほぼ同じ問題を見つめていたユングの心理学を手がかりにすることで、初めて西田の「心の広がり」が立体的に理解できるのではないかと私は考えている。

臨床心理学と西田哲学は、どちらも「心」を扱う学問でありながら、心理主義に傾くと実態を見失うという共通の危うさを抱えている。 その危うさを乗り越えるためには、心を個人の内側だけに閉じ込めず、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で捉え直す必要がある。

4 ユングとの同時代性──心の“広がり”を取り戻すために

西田幾多郎とユングは、互いに直接の交流があったわけではない。しかし、彼らが生きた時代の空気には、共通する問題意識があったように思われる。 それは、心を個人の内側だけに閉じ込めず、歴史・文化・共同体・宗教・身体といった広がりの中で捉え直そうとする試みである。

ユングは、個人的無意識の背後に、民族や文明の差異をも含む「集合的無意識」を構想した。 西田は、「歴史的身体」という概念を通して、個人の心が歴史的・文化的な文脈の中で形成されることを示そうとした。 両者は異なる言語を用いながら、心の構造を“個人の内側”に限定しないという点で、深い共通性を持っている。

心理主義が心を内面へと収縮させるとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 心が「個人の感情や認知の問題」に矮小化されると、心が本来持っている歴史的・文化的・宗教的な層が切り落とされてしまう。 その結果、心はかえって理解しにくくなる。 心を狭く捉えるほど、心の実態は遠ざかるのである。

臨床心理学が制度化され、専門職として確立されることは重要である。しかし、制度が整うほど、心が「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として扱われやすくなる危険もある。 哲学の側でも、心を論理や概念の枠組みで捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危うさがある。

だからこそ、今あらためて、西田とユングが見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。 心は、個人の内側だけに存在するのではなく、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった層の中で生きている。 その広がりを取り戻すことが、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵になる。

西田哲学会が心理学との関係を再評価し始めていることは、こうした広がりを取り戻すための重要な一歩である。 臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。

5 心理主義を超えるために──臨床心理学と哲学が見失わないための視点

河合隼雄が臨床心理学の制度化に尽力したこと、そして西田幾多郎が心理主義への傾きを自ら反省したことは、いずれも「心をどう捉えるか」という根本的な問いに向き合った結果である。 臨床心理学と哲学は、異なる方法を用いながら、同じ問いの周囲を歩いてきたと言える。

心理主義が心を個人の内側へと収縮させるとき、心の実態はかえって見えなくなる。 心は、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で生きている。 その広がりを切り落としてしまうと、心は「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として矮小化され、臨床心理学も哲学も、本来の対象を見失う危険がある。

その危うさを乗り越えるためには、心を広い文脈の中で捉え直す視点が必要である。 ここで、河合隼雄と西田幾多郎の思索が、静かに響き合う。

二人に直接の交流はなかった。 しかし、彼らが眺めていたもの──心の構造の広がり、個人を超えた歴史的・文化的な層、宗教的な深み──は、驚くほど似ている。 ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代に、西田は「歴史的身体」という概念を通して、心が個人の内側だけに閉じないことを示そうとした。

臨床心理学と哲学が心理主義に傾くとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 だからこそ、今あらためて、河合隼雄と西田幾多郎が見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。

臨床心理学は、制度として整備されるほど、心を技法や測定の対象として扱いやすくなる。 哲学は、概念や論理の枠組みで心を捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危険がある。 どちらも、心理主義の時代には、心の実態を見失いやすい。

しかし、臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。 河合隼雄の構想と西田の反省は、そのための静かな道標となる。

心は、個人の内側だけにあるのではない。 心は、世界の広がりの中で生きている。 その広がりを取り戻すことこそ、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵となる。

百尺竿 なお一歩の 風ひらく @村主章枝さんとポニョと道元と

私の直観がとらえたものの位置

私は

ジブリ作品『崖の上のポニョ』というタイトルに触れたとき

なぜか道元の言葉――「百尺竿頭一歩進めよ」を

直観的に思い起こしました。

この直観は

単なる連想ではなく

悟りの構造を言葉でイメージ化した

“普遍的概念”を捉えたものだったのだと

今日あらためて確信しました。

 

「百尺竿頭一歩進めよ」は

道元だけの言葉ではなく

禅の古典に広く見られる向上門の教えです。

 

しかし

道元はこの語を最も深く理解し

如浄の教えを受けて

日本の精神文化の中に伝承しました。

 

つまり

私がポニョのタイトルから道元を連想したことは

禅の普遍的原理を

現代の物語の中に看取した直観だったのです。

 

■ 普遍的原理は、時代が変わっても生きている

現代は

村主章枝さんのように

アメリカ人と結婚することが珍しくない時代になりました。

文化も価値観も大きく変化し

個人の生き方は多様化しています。

 

それでもなお

「一生懸命に生きると、次の段階が見えてくる」 という

向上門の原理は

変わらず人々の心に生きています。

 

村主さんが映像で語った内容

―― 「結果ではなく、努力の先に新しい未来が見える」 という言葉は

まさに禅の向上門と響き合っています。

 

時代がどれほど変わっても

人間の深層には

普遍的な原理が息づいている。

 

それを

ジブリは物語として描き

アスリートは身体で体験し

私たちは言葉として受け継いでいるのです。

 

■ ユング心理学が示す「普遍的な場所」

私がこの点にこだわる理由は

ユング心理学の視点から見ると明確になります。

ユングは

集合的無意識には、普遍的な“場所”がある と考えました。

 

それは

宗教・哲学・神話・芸術が 繰り返し到達してきた

深層の構造であり

人間が文化を超えて共有する原理です。

 

禅の向上門も

道元が伝えた「一歩進めよ」という教えも

ジブリが描く“生の躍動”も

アスリートが体験する“次の段階”も

すべてこの普遍的な場所に根ざしています。

私の直観がとらえたものは

この普遍的な場所の“日本的な表現”だったのだと思います。

ペン🖊と果実🍎 つなぎて踊る 夏の風 @PTSDの臨法心理学【ピコ太郎事変】

7月17日の出来事を眺めていて

飛び出したのはコレ!

小坂大魔王 もとい🤭 ピコ太郎のお誕生日も本日らしい?

 

イベント前を意識して

本日は

真面目に話します🙂‍↕️

 

戦後を越えてもなお、私たちが向き合い続ける課題

1880年に

7月17日

旧刑法と治罪法が公布されてから

日本の刑事法体系は

長い時間をかけて整備されてきた。

戦後には日本国憲法が制定され

1956年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と宣言した。

7月17日

 

しかし

 

経済が戦後を脱したとしても

社会や人の心が完全に戦後を抜け出したかといえば

そうとは言い切れない。

 

戦争、震災、疫病――日本という国を人格化して捉えるならば

PTSDのリスクを負うほどの出来事が幾度となく襲ってきた。

 

阪神淡路大震災や東日本大震災の記憶は深く刻まれ

コロナ禍は「見えない脅威」として社会全体の不安を揺さぶった。

こうした経験は

法制度や社会規範のあり方にも影響を与え続けている。

 

1970年の家永教科書裁判では

7月17日

東京地裁が教科書検定を「検閲に当たる」と判断し

原告全面勝訴の判決を出した。

 

国家の判断であっても

時に見直されるべきであるという姿勢が示された象徴的な出来事である。

 

そして1998年

7月17日

国際刑事裁判所(ICC)のローマ規程が採択され

国際社会は新たな視座を得た。

国家の枠を越えて「人類の正義」を問う仕組みが整えられたことは

国内の司法にも静かな影響を与えている。

 

こうした歴史を振り返ると

法が正しく機能していても

なお救われない魂が存在するという現代の問題が浮かび上がる。

刑法と民法のはざまに落ちてしまう理不尽さ

 

訴訟詐欺まかり通る!@昨日記事

制度の網目からこぼれ落ちる痛み――それらは

 

令和のジャン・バルジャン @一昨日記事

戦後を越えた今もなお

私たちが向き合うべき課題である。

 

興味深いことに

今日誕生日を迎える古坂大魔王(ピコ太郎)の

お誕生日おめでとう!🖊🍎💐🍍🍰🍎🖊

「PPAP」が世界的にヒットした背景にも

日本的な感性が潜んでいるように思える。

 

ペン🖊とリンゴ🍎

よく使われる比喩2つ

青森出身らしいから身近にあるものでもある。

ペン🖊とパイナップル🍍――ただ二つのものを直結させただけの

日本における

🍍のイメージも随分変遷した

ナンセンスな歌が

ジャスティン・ビーバーの耳👂経由で

世界の耳を捉えた。

 

意味のないものに意味を感じる

あるいは「無」や「不思議」を笑いに昇華する感性は

日本文化の深層にある

一太極二陰陽のような世界観にも通じる。

 

複雑な問題を抱えながらも

どこかで軽やかに受け止める力。

それは

長い歴史の中で日本人が身につけてきた

精神の柔軟性なのかもしれない。

法制度が整備され

国際的な視座が広がり

戦後の経済が復興してもなお

私たちは

「根源に立ち返って判断する」必要に迫られている。

 

理不尽さに傷つく魂をどう救うのか。

PTSD発症リスク

制度の外側にある痛みをどう見つめるのか。

ジャン・バルジャンをどう救うのか?

歴史をたどることは

単なる知識の整理ではなく

今の時代に必要な視点を取り戻す作業なのだと思う。

神話のお勉強から

— 神隠しの場所

 

沈黙の構造 ほころぶ法の 隙間風 @訴訟詐欺事件の行方不明

 

東京地裁に対し

2023年から

2回

偽造証拠を提出し

2025年11月に逮捕されるも

不起訴となったそうです。

これでは

民事訴訟法第496条1項9号により

再審事由 とならない。

民事事件の方も覆りませんね。

直接偽造を争う余地は残る。

 

田久保真紀元伊東市長は

起訴されたのでした。

 

リハビリ施設化した刑務所

訴訟詐欺に関しては

どのような心理療法になるのでしょう🤔

 

訴訟詐欺の心理療法とは何か──

その問いは

制度の限界と人の心の脆さを同時に照らす。

民事と刑事の境界に横たわる制度的な隙間は

時に真実の解明を妨げる。

偽造や虚偽が疑われても

立証の壁が高ければ

被害者の理不尽さだけが残る。

この構造が

再び誰かを傷つけることのないよう願うばかりである。

 

 

無骨より 学の灯立つ 明治風 @宇井伯寿と西田幾多郎

 

無我は

批判者の解釈に沿うと

霊魂は存在しないという意味

お釈迦さま以来信じられてきた心理学です。

幸福の科学系だから

大川隆法の復活を信じる。

邪見とおっしゃるのですね。

そして

前任者がオカルトっぽかっただけで

宇井伯寿はオカルト系じゃないです。

そしてオカルトは悪くない。

— 井上円了とかユングとか

—— 無理に科学にしようとしたフロイトこそ批判される。

文献学者ですが

既にあるものを研究

中学校時代に

ストライキで退校になってから

別の中学校を経て

東大に進んだのは

本科

西田幾多郎とよく似て

東大選科なので塩対応され苦学

ストイックです。

どちらも明治生まれで

愛知と石川も近いですね。

大拙もいた。

似ているように見える京都は

案外、合わなかったそうです。

そういう目に見えるものじゃなくて

人格に影響を与える場所というものがありそうです。

若いトキの気質とか

三つ子の魂百までみたいな

 

自我亡き後ですが

生まれて死ぬまでの

仮の「我」(五蘊の集合体)は日常的に存在

Wikipediaによると

  • 長男:格生(ただお) – 農学博士。北海道大学農学部教授
  • 次男:信生(のぶお) – 理学博士。群馬大学内分泌研究所教授
  • 三男:昌生(まさお) – 獣医師
  • 四男:治生(はるお) – 理学博士。広島大学理学部教授
  • 五男:理生(みちお) – 薬理学者。親族としてみた宇井伯壽の回想を記している。
  • ほかに夭逝した女子が一人いる

生命力が強そうなお名前シリーズで

最後の女の子は西田風ですね。

哲学の始まりは人生の悲哀

— こころのケアから

心霊上の事実として記録される。

 

 

火と水の みちをたどれば 宮ひらく @わだつみのいろこの宮のダイナミズム

あなたもスタンプをGETしよう

 

50円切手は

青木繁が

古事記の

幻想的出会いを表現した重要文化財です。

イザナミとイザナキ等

出会いは重要象徴モチーフ

場所は

「わだつみのいろこの宮」(海神宮)で

幸彦が

海底の宮殿を訪れ

 中央の座った男性が山幸彦(ホオリノミコト)

トヨタマヒメ(豊玉姫、神の娘)と

左の赤い服の女性

— 右の白い服の女性はその侍女

 

初めて出会う場面を描いています。

 

兄の釣り針を無くした

どんなに弁償しても許してくれない。

— 大事なものだからをつぶして千本返しても

—— なぜ貸したのでしょう?

山幸彦が途方に暮れていると

途方に暮れるトキがチャンス

塩土神(しおつちのかみ)が

ワタツミの宮である儀式が

定期的に行われていることを知っていた。

ここに導いてくれたのです。

舟を押してあげるから

力を入れずそのままゆき

— 正法眼蔵にもそんな言葉があった

木の上に座すよう指示

傍らの井戸に映ったその姿を見た召使いの女は

鏡と珠と刀が伏線に ~三種の神器

それをトヨタマビメに告げ

さらにそれを聞いた父のワタツミは

天孫

ホオリも天神の子孫であることを知りました。

何事も重なると強化されるのが

陰陽五行説

 

 作家の優れた色彩感覚が賞賛されますが

青木繁は壺を中心に

それを象徴的に描きました。

生活上は水を汲むための壺(器)

 山幸彦が水を求め

侍女から壺を受け取り

— 無意識中の媒介役割

自分の首飾りの(勾玉)を口に含んで吐き入れ

壺にくっつかせてトヨタマヒメに届けた。

山幸彦も

交換

トヨタマヒメの父からもらった珠で

潮汐を司る

潮満珠(しおみつるたま)と

潮干珠(しおひるたま)

兄の海幸彦を降参させました。

山幸彦の別名は

ホオリ(火遠理命)で火にまつわる名前

「火が遠く衰える・消えかける」という意味

兄のホデリ(火照命=火が盛んに輝く)と対になる名前

— 兄弟の対立(海幸彦・山幸彦神話)の始まり

丙(火の兄)☯丁(火の弟)みたいな

侍女の仲介で

水をとりいれながら

火(陽・兄)と水(陰・弟・海)のバランスや生成

克(火克金、水克火など)の象徴

土台を強化しつつ発展させる

海と山を巡るダイナミックな構図になっています。

意地悪な兄の海幸彦と

— いじめられるが☯調伏

—— いじめのおかげで自己実現できたので二元論ではない世界

——— 理不尽 ⇒ 途方に暮れる

自分を大きく変えてくれる海の神

そういうのが1つの人格のなかにいる。

ちなみに

この場所は

海の底ではなく

海の向うにあるそうです。

海阪の向う

ニライカナイ?

竜宮城は崖を超えたところに?

森の哲学、茶飲みの風@職業哲学者と在野の研究者

ウォールデン 森の生活』や

自然の中での

簡素な生活と自己省察を記録し

近代以降の自然観・環境思想・ライフスタイル論に

大きな影響を与えた。

エッセイ「市民の反抗」(Civil Disobedience)によって

良心に基づ非暴力的不服従の正当性を論じた。

後世の政治思想や社会運動に決定的な影響を及ぼしました。

 

 

ハーバード大学を卒業し

教師を務めますが

体罰をめぐる教育方針の対立から

短期間で辞職し

その後は兄とともに私塾を開くなどしながら

測量や家業の鉛筆製造を手伝い

執筆活動を続けました。

 

瞑想系の哲学者ですね。

大学や研究機関に所属する職業学者ではなかった。

『森の生活』のなかからWikipediaが紹介する言葉1つめ

新しい服が必要となるような仕事は用心しなさい

含蓄があるとして

ペルソナ

着ぐるみの問題

哲学者にとって

全てのニュースなるものはゴシップであり

それを書いたり読んだりするのは

茶飲みてらの老婆たちである…)

私は筋金入りの老婆です(>_<)