本日は
『おしいれのぼうけん』を書いた
ふるたたるひさんのお誕生日です。
さくら保育園では
先生の言うことを聞かない子は
おしいれに入れられます。
普通の子は
ただ怖くて
反射的に泣き出し
何も考えずに「ごめんなさい」と言いますが
ちょっと強い子は
その名もあきらとさとし
まず状況を観察します。
すると
この一大事にも
あきらのほうは限界で
― トラウマから閉所恐怖症にでもなったら
聞き耳をたてる先生も不安に💦
抜け穴があることがわかり 👈象徴的な意味で
ふたりは押し入れの上段と下段に
別々に閉じ込められたが
穴があって 👈 文字通り
表紙のように手をつなぐことができた。 👆 サイコセラピーの極意
けんかしていたのに
タッグを組んで先生に対抗開始
こころのなかが映し出されるのです。
お化け屋敷も二人ならあんまり怖くないから
よく観察できる。
― サイコセラピーもそんな感じ
くらやみがスクリーンになる。
妄想も し放題というものではなく
集合的無意識にあるものが浮かびます。
この保育園では
ねずみばあさんです。
先生に似ているという指摘がある。
先生は自分のファンタジーをつかって
― ねずみばあさんの伝説は先生の創作
子どもたちを支配しようとしていた。
ふたりは
とじこめられてまもなく
不安なきもちを共感しあい
― あきらの限界は さとしの存在を脅かす。
お互いにごめんねとこころからあやまりあって
いつのまにか仲直りしていた。
おしいれのなかで
本当に深くしっかり考えていたし
幻覚相手とは
まるでサイコセラピー
若くて未熟な先生も成長させたのでした。
恐怖心を与えて
無碍に謝らせるのはよくないと
あきらめさとった。
アジャセコンプレックス的なお話だと思います。
重大事件が起きたとき
日本人は
こころからの反省を求めますが
テレビの報道では
被害者に謝罪があったかという質問が飛ぶ。
容疑者は
自分がかわいそうで
反省どころではなく
逆恨みさえする。
防衛に走ります。
黙秘とか否認
妄想に逃げるとか
アメリカ人のロジャーズも
非行少年に反省させると
アドバイスや指導、訓戒によって
必ず再犯するので
相当がっかりしたらしい。
傾聴に徹する方法を提唱するようになったのでした。
先生も
こころからの「ごめんなさい」ができるほうがいいと気づいたとき
はらはらしながら傾聴できていた。
如人千尺懸崖上樹 ~ 崖の下から問う方が怖いのです。