獅子頭」カテゴリーアーカイブ

朝日新聞『獅子頭』第八話 雑技と人類の記憶

雑技学校への
入門テストで
不合格になった
兄大順のこころは

「焼け焦げた餅みたいな
 雲に覆われている」
空模様と
合致しています。

そして
二順を送り出す頃には
涙があふれ
顔を見せることが
できなくなりました。

雨が降り出したん
ですね。

人間という
小宇宙と
天体という
大宇宙が
意識を拠点に
重なりました。

そんな時
誰でも
詩人や哲学者になるのだと
思います。

『雑技は
石器時代に始まる』

とあります。

それで
この学校に入学したら

サルみたいに
木の上を歩けるとか

言ってたんですね。

人間の子が
サルの技術を
取り戻すのは
至難のワザですが

ユングは
言いました。

『意識が目覚める頃

子どもはそこから
現れ出てきたばかりの
心理学的な世界、
すなわち
深い無意識の状態にまだ
密接に繋がっている

7歳の二順は
ぎりぎりセーフで
10歳の大順は
その時期を
はずしてしまった
ようです。

早朝からの
厳しい訓練は

身体をつかった
人類の過去の
記憶への旅
でも
あるのですね。

そして
深く深く
沈殿したひとが

浮力で

高く高く
跳べるのだと
思います。

【百尺竿頭】的なものが
雑技にもあるようです。
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朝日新聞『獅子頭』第八話 雑技と人類の記憶

雑技学校への
入門テストで
不合格になった
兄大順のこころは
「焼け焦げた餅みたいな
 雲に覆われている」
空模様と
合致しています。
そして
二順を送り出す頃には
涙があふれ
顔を見せることが
できなくなりました。
雨が降り出したん
ですね。
人間という
小宇宙と
天体という
大宇宙が
意識を拠点に
重なりました。
そんな時
誰でも
詩人や哲学者になるのだと
思います。
『雑技は
石器時代に始まる』

とあります。
それで
この学校に入学したら
サルみたいに
木の上を歩けるとか

言ってたんですね。
人間の子が
サルの技術を
取り戻すのは
至難のワザですが
ユングは
言いました。
『意識が目覚める頃

子どもはそこから
現れ出てきたばかりの
心理学的な世界、
すなわち
深い無意識の状態にまだ
密接に繋がっている

7歳の二順は
ぎりぎりセーフで
10歳の大順は
その時期を
はずしてしまった
ようです。
早朝からの
厳しい訓練は
身体をつかった
人類の過去の
記憶への旅
でも
あるのですね。
そして
深く深く
沈殿したひとが
浮力で
高く高く
跳べるのだと
思います。
【百尺竿頭】的なものが
雑技にもあるようです。

朝日新聞『獅子頭』第七話 子どもとストレス 

二順と兄の大順は

雑技学校で
美人の
黄先生に

身体のテストを受けたようです。

よくわかりませんが
【柔軟性】を
チェックされているような

10分ほどのテストですが
二人にとっては
ちょっと
【痛い】テストでした。

息をとめ
歯を食いしばって
耐えてましたが

身体中から
ぽきぽき響く
関節の【怒り】を
ぐっと我慢しなければ
なりませんでした。

農村から
都会の
雑技学校に入学できるかもしれないと
いう期待があるから
我慢したのでしょう。

それどころか
こんな美人の先生の
近くにいられるなら
たいしたことはない
とさえ言っています。

無意識の防衛機制で言うと
【知性化】かな。

痛いけど
先生といられる
(技のためなら完璧ですが
7歳なので)

そう思って
ストレスに耐える。

耐えていると
平気になってきますからね。
看護婦さんが
血をみても平気になるのと
同じです。

そして
二順は合格
兄の大順は不合格

運命の分かれ道です。
二つの【順】のフセン
できました。

兄の性格は
すでに変化の兆しをみせています。

不合格のショックと
弟への嫉妬から
寝てる弟を一蹴りしますが
起こしてやっていることにも
なります。

いじわるに徹するなら
こうはなりませんから

兄なりに
ぎりぎりの
折り合いをつけながら
自分をなっとくさせているのでしょう

10歳でも
このくらいの
ストレス克服は
普通に【自力】
こなしながら
成長しているもの
なのでしょうね。
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朝日新聞『獅子頭』第七話 子どもとストレス 

二順と兄の大順は
雑技学校で
美人の
黄先生に
身体のテストを受けたようです。
よくわかりませんが
【柔軟性】を
チェックされているような
10分ほどのテストですが
二人にとっては
ちょっと
【痛い】テストでした。
息をとめ
歯を食いしばって
耐えてましたが
身体中から
ぽきぽき響く
関節の【怒り】を
ぐっと我慢しなければ
なりませんでした。
農村から
都会の
雑技学校に入学できるかもしれないと
いう期待があるから
我慢したのでしょう。
それどころか
こんな美人の先生の
近くにいられるなら
たいしたことはない
とさえ言っています。
無意識の防衛機制で言うと
【知性化】かな。
痛いけど
先生といられる
(技のためなら完璧ですが
7歳なので)
そう思って
ストレスに耐える。
耐えていると
平気になってきますからね。
看護婦さんが
血をみても平気になるのと
同じです。
そして
二順は合格
兄の大順は不合格
運命の分かれ道です。
二つの【順】のフセン
できました。
兄の性格は
すでに変化の兆しをみせています。
不合格のショックと
弟への嫉妬から
寝てる弟を一蹴りしますが
起こしてやっていることにも
なります。
いじわるに徹するなら
こうはなりませんから
兄なりに
ぎりぎりの
折り合いをつけながら
自分をなっとくさせているのでしょう

10歳でも
このくらいの
ストレス克服は
普通に【自力】
こなしながら
成長しているもの
なのでしょうね。

朝日新聞『獅子頭』第六話 一太極二陰陽の予感

二順と兄は
父親に連れられ
雑技学校へ向かっていますが…

今の日本と違い、
農村と都会の違いは
歴然

掛け合い漫才の
ボケとツッコミさながらに
おおはしゃぎしています。

本人は大真面目に言っているのですが
バスなんてのを初めて見たので
「家が走ってる」なんて発言の
オンパレードですからね。
ぼけてるようにしか見えない。

ボケとツッコミ
陰と陽ですね。
落語では一人で
陰と陽を演じます。

あっち向いたり
こっち向いたり
しながら

話はどちらでもない
オチを迎えます。

西洋の【二元論】に対して
我々には
易陰陽五行の説の
【一太極二陰陽】の法則があるのでは?
とは私の持論です。

田舎と都会を
統合するとかじゃなくて
都会人になっておしまいと
いうのではなくて
もっと大きなスケールの話に
なるはずです。

学校について
美人の先生に
挨拶します。

農村では
見たことがないような
美人です。

雑技の修行というものの
精神性を暗示しているような
予感もします。

 
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朝日新聞『獅子頭』第六話 一太極二陰陽の予感

二順と兄は
父親に連れられ
雑技学校へ向かっていますが…
今の日本と違い、
農村と都会の違いは
歴然
掛け合い漫才の
ボケとツッコミさながらに
おおはしゃぎしています。
本人は大真面目に言っているのですが
バスなんてのを初めて見たので
「家が走ってる」なんて発言の
オンパレードですからね。
ぼけてるようにしか見えない。
ボケとツッコミ
陰と陽ですね。
落語では一人で
陰と陽を演じます。
あっち向いたり
こっち向いたり
しながら
話はどちらでもない
オチを迎えます。
西洋の【二元論】に対して
我々には
易陰陽五行の説の
【一太極二陰陽】の法則があるのでは?
とは私の持論です。
田舎と都会を
統合するとかじゃなくて
都会人になっておしまいと
いうのではなくて
もっと大きなスケールの話に
なるはずです。
学校について
美人の先生に
挨拶します。
農村では
見たことがないような
美人です。
雑技の修行というものの
精神性を暗示しているような
予感もします。
 

朝日新聞『獅子頭』第五話 いよいよ崖の上へ

二順も
小学生になり
父のいる都会の雑技学校というのは
猿みたいに木の枝歩けるようになるような
学校だと
クラスメートに言ったり
するようになりました。

そしてその雑技学校へ
進学できることになります。
兄と一緒です。

新しい服
母と離れて
知らない土地へ
【個性化の過程】の始まりです。

かぐや姫なんかでも
衣が変わると人格が変わったりしますし、
聖書には
「あなたは父の家を出て…」と
個性化の場面では
衣服や住む場所の変更が
象徴として表現されます。

まあ現実でもそういうものですね。

自分も
猿みたいに木の枝を歩けるように
なるのかと聞くと
母は
孫悟空みたいになれると答えます。

猿みたいに木の枝を歩くというのは
【如人千尺懸崖上樹】的ですし、
【孫悟空】は
【空(くう)】を悟る子孫ですからね

象徴的には
同じような意味です。

父と一緒ですが、
家出したポニョと
深いところでは同じ境遇です。
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朝日新聞『獅子頭』第五話 いよいよ崖の上へ

二順も
小学生になり
父のいる都会の雑技学校というのは
猿みたいに木の枝歩けるようになるような
学校だと
クラスメートに言ったり
するようになりました。
そしてその雑技学校へ
進学できることになります。
兄と一緒です。
新しい服
母と離れて
知らない土地へ
【個性化の過程】の始まりです。
かぐや姫なんかでも
衣が変わると人格が変わったりしますし、
聖書には
「あなたは父の家を出て…」と
個性化の場面では
衣服や住む場所の変更が
象徴として表現されます。
まあ現実でもそういうものですね。
自分も
猿みたいに木の枝を歩けるように
なるのかと聞くと
母は
孫悟空みたいになれると答えます。
猿みたいに木の枝を歩くというのは
【如人千尺懸崖上樹】的ですし、
【孫悟空】は
【空(くう)】を悟る子孫ですからね
象徴的には
同じような意味です。
父と一緒ですが、
家出したポニョと
深いところでは同じ境遇です。

朝日新聞『獅子頭』第四話 『崖の上のポニョ』っぽい?!

時が経ち、
三話で赤ん坊だった【二順】
の父親は

退役軍人の兄のおかげで
貧しい農村を出て
都市の雑技学校の
食堂の調理師になった。

家を出る前
農民の父親に
母親が調理の特訓をしようとする。

ダメだダメだと
厳しいことを言う母親に
父親は
野菜を油で炒めて
塩と胡椒を加えるという
基本はどこでも同じだし
職場では
油がふんだんに使えるし
味の素もあるだろうから

大丈夫だと返す。

この家では
ろうそくの明かりのもと
きゅうりの味噌漬けと粟のご飯だけの
食事が普通だ。

第一話で【文革】に触れていたが、
【文明】というモチーフが
底に流れているような気がする。

中華料理と言えば
【火食】のイメージだが、

二順の家のように
火を使う以前の文化水準があり

易学の
【先天易】と【後天易】の間に
【火食】
がある。

火を使うか否かで
哲学ががらりと変わってしまう
ということを
昔の中国人は知っていたのだ。

この哲学は
もちろん
【陰陽五行説】
お釈迦さまの掌のように
あらゆるものを乗せることができる。
つまり、説明することができる。

中国文化も政治も食事も
医療も占いも
すべての基本に
【陰陽五行説】がある。

さらに
【味の素】
これは世界を席巻している。
外国に行けば、
その国の味を楽しみたいと思うが
ベトナムでもタイでも
味の素のびんや広告を見かける。
「これがないと」
と言われるとちょっとショック…

みんな同じ味になってしまう。

英語で説明すると
なんだか内容が軽くなってしまうものだが
味の素で日本もそういう文化破壊の
片棒を担いでいる。

原始的な生活から文明化へ
そしてグローバルスタンダードへの習合

易もいつかまた
後天易から進化させなくてはならないのかもしれない。

二順が兄に
父の行った【雑技学校】の【雑技】って
何?と聞くと、

サルみたいに木の枝を歩くことかなあ
と答えた。

木の枝といえば
【如人千尺懸崖上樹】

危機に見舞われて克服していくわけだから

『獅子頭』も
『崖の上のポニョ』かな…
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朝日新聞『獅子頭』第四話 『崖の上のポニョ』っぽい?!

時が経ち、
三話で赤ん坊だった【二順】
の父親は
退役軍人の兄のおかげで
貧しい農村を出て
都市の雑技学校の
食堂の調理師になった。
家を出る前
農民の父親に
母親が調理の特訓をしようとする。
ダメだダメだと
厳しいことを言う母親に
父親は
野菜を油で炒めて
塩と胡椒を加えるという
基本はどこでも同じだし
職場では
油がふんだんに使えるし
味の素もあるだろうから

大丈夫だと返す。
この家では
ろうそくの明かりのもと
きゅうりの味噌漬けと粟のご飯だけの
食事が普通だ。
第一話で【文革】に触れていたが、
【文明】というモチーフが
底に流れているような気がする。
中華料理と言えば
【火食】のイメージだが、
二順の家のように
火を使う以前の文化水準があり
易学の
【先天易】と【後天易】の間に
【火食】
がある。
火を使うか否かで
哲学ががらりと変わってしまう
ということを
昔の中国人は知っていたのだ。
この哲学は
もちろん
【陰陽五行説】
お釈迦さまの掌のように
あらゆるものを乗せることができる。
つまり、説明することができる。
中国文化も政治も食事も
医療も占いも
すべての基本に
【陰陽五行説】がある。
さらに
【味の素】
これは世界を席巻している。
外国に行けば、
その国の味を楽しみたいと思うが
ベトナムでもタイでも
味の素のびんや広告を見かける。
「これがないと」
と言われるとちょっとショック…
みんな同じ味になってしまう。
英語で説明すると
なんだか内容が軽くなってしまうものだが
味の素で日本もそういう文化破壊の
片棒を担いでいる。
原始的な生活から文明化へ
そしてグローバルスタンダードへの習合
易もいつかまた
後天易から進化させなくてはならないのかもしれない。
二順が兄に
父の行った【雑技学校】の【雑技】って
何?と聞くと、
サルみたいに木の枝を歩くことかなあ
と答えた。
木の枝といえば
【如人千尺懸崖上樹】
危機に見舞われて克服していくわけだから
『獅子頭』も
『崖の上のポニョ』かな…