C.G,ユング」カテゴリーアーカイブ

臨床心理士国家資格化を阻むもの① 臨床

民間資格である
臨床心理士の
国家資格化は

難航しているわけですが

その原因の1つに

「臨床」という名称が
あり

臨床と冠することに
さまざまな理由からですが
難色を示されています。

なぜかなぁ?と
漠然と思っていたのですが

講義中
ふと閃きました。

臨床心理学の【臨床】の語源は
床に臨む(のぞむ)

床はベッド
しかし普通のベッドではなく
死の床です。

クリニカル・サイコロジー

clinicalの語源も【死】
です。

どういうことか?
と言うと

臨床心理学の歴史は
非常に浅く
発展途上の学問なのですが

心理療法が生まれる前は
宗教や哲学、シャーマニズムが
人々の不安や悩みを
解決しようとしていた
わけです。
(現在でも実情は
贔屓目にみつもっても
半々でしょう)

一番の不安は
死にゆく不安です。

これを教会で
牧師がなだめていた
そうです。

我々の仕事は牧師の仕事と
表面的には全く違いますが
【象徴的】には同じなのです。

自己実現には
古い価値観の死と再生
必須で

価値観を変えるのは
死ぬような苦痛を意味しますから。

ところが目

精神科医療は
死を相手にしておらず
自殺者増加という大失態を
演じています。

そのコンプレックス
無意識の大弱点を
突かれて
感情的に猛反発している
とも言えるし、

そっち(臨床心理士)だって
同じ穴のムジナじゃないか

臨床心理学の最大の売り物だった
ユング心理学が
象徴はおろか
分析まで捨てて

発達障害に逃げ込んでいるクセに

うつ病に逃げ込んだ我々と
どこが違うのか

ということではないかな…

と思います。

ちなみに
私は臨床心理士ではないので
この問題に関しての
ご配慮は無用ですよニコニコ
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臨床心理士国家資格化を阻むもの③ 先祖がえりし講釈師になった日本のユング派

キリスト教の牧師と
チベットの仏教僧
ユングは
牧師の息子ですが
『チベットの死者の書』を
座右の書としました。

PTSD研究家翠雨の日記
ユングは
別に仏教に改宗した
わけではありませんが
魂の研究において
陰陽五行や仏教の存在を
無視し
キリスト教の文化や哲学だけの
閉じられた世界で完結させる
ようなことはしませんでした。

なのに
今の日本のユング派は
ユング以前に
先祖がえりした感じです。
チベットの僧たちが
行うように
集合的無意識のなかにある
魂の一定の法則をつかみ

不安なこころを
そこに回帰させ
ご先祖さまの一員に
名を連ねる安心感を
与えながら
進化再生させる
そんな方法ではなく

牧師のような
講釈師に変貌したタイプが
増殖中
です。
枝雀さんに
あの世から
「やいっ!
おたまじゃくし
かいじゃくし!」と
叱ってほしいです。
       ―くしゃみ講釈より

哲学は哲学者の専売特許ではない

心理療法は
二律背反
あるいは
矛盾の相克の中に
身をおいて
なされるものです。
陰か陽か
ではないから
たちまち
哲学です。
子どもも例外ではありません。
それを言いたくて
宮崎監督は5歳の宗介を
主人公
にし、
ヒロインも同じくらいの年齢の
はちゃめちゃな
ポニョにしたのです。
日本では
【一太極二陰陽】が
リセットの法則ですが
ゲームじゃなくて
死活問題ですから
楽ではありません。
だから
ユングは
心理療法の理想は
ありもしない幸福に導くことではなく
苦痛に耐えられる強さと
哲学的忍耐力を身につけさせることだと
言ったのです。
ポニョも公案そのものですから
【哲学】です。
子どもだって
哲学するのです。
これが
今では
【統合失調症】を経過したと
言われる混乱を克服した
ユングが魂と葛藤して
つかんだ答えです。
(ユングは神経症と呼んでいますが)

臨床心理士国家資格化を阻むもの② 『チベットの死者の書』

臨床の語源は
牧師が死に行く人々の
苦痛や不安をなだめていたこと

ですが
東洋でも同じです。
『チベットの死者の書』
一番はっきり書かれていて
死に行く人に対し
僧が毎日毎日
語りかけるのです。
これから死の旅に出るという
自覚をさせ
誰もが通る道だから
畏れるなと
不安や恐怖を軽減させながら
それでも
襲ってくる不安のイメージ化である
ビジョン・幻覚に対し
こういう恐ろしい魔物が
~って言うだろうけど
無視し、
光の方に飛び込み
一体化しなさい
とか

魂に関する
悠久の研究から得た
莫大なデータをもとに
堂々と語りかけます。
思うのですが…
死者が聴いているのかどうか
私にはわかりません。
しかし
これって
遺族の悲しみやいずれ来るであろう
死の恐怖に対する
教育になっていると
思いませんか?
さらには
素朴で純真なチベット人は
象徴レベルで受け止めるでしょうから
現在の心理学的な問題に対して
自分で取り組む材料としての
心理教育にもなっているのでは?
と感じます。

臨床心理士国家資格化を阻むもの① 臨床

民間資格である
臨床心理士の
国家資格化は
難航しているわけですが
その原因の1つに
「臨床」という名称が
あり
臨床と冠することに
さまざまな理由からですが
難色を示されています。
なぜかなぁ?と
漠然と思っていたのですが
講義中
ふと閃きました。
臨床心理学の【臨床】の語源は
床に臨む(のぞむ)

床はベッド
しかし普通のベッドではなく
死の床です。
クリニカル・サイコロジー
clinicalの語源も【死】
です。
どういうことか?
と言うと
臨床心理学の歴史は
非常に浅く
発展途上の学問なのですが
心理療法が生まれる前は
宗教や哲学、シャーマニズムが
人々の不安や悩みを
解決しようとしていた
わけです。
(現在でも実情は
贔屓目にみつもっても
半々でしょう)
一番の不安は
死にゆく不安です。
これを教会で
牧師がなだめていた
そうです。
我々の仕事は牧師の仕事と
表面的には全く違いますが
【象徴的】には同じなのです。

自己実現には
古い価値観の死と再生
必須で
価値観を変えるのは
死ぬような苦痛を意味しますから。
ところが目
精神科医療は
死を相手にしておらず
自殺者増加という大失態を
演じています。
そのコンプレックス
無意識の大弱点を
突かれて
感情的に猛反発している
とも言えるし、
そっち(臨床心理士)だって
同じ穴のムジナじゃないか
臨床心理学の最大の売り物だった
ユング心理学が
象徴はおろか
分析まで捨てて

発達障害に逃げ込んでいるクセに
うつ病に逃げ込んだ我々と
どこが違うのか
ということではないかな…
と思います。
ちなみに
私は臨床心理士ではないので
この問題に関しての
ご配慮は無用ですよニコニコ

プロテスタント系教会への消火器投げ入れ事件続発の【象徴的意味】

PTSD研究家翠雨の日記

消火器が投げ込まれ
割られた教会の窓ガラスです。

今日は神戸市と西宮市の4カ所発生しました。

プロテスタント系教会に
消火器が投げ込まれる事件は
兵庫、大阪などで続発

県警は昨年2月以降
この4件を含め
20件の被害を
確認しています。

牧師は「各地の教会で被害が続いたので
玄関にセンサーライトを取り付けたのだが…。
こんな行為は止めてほしい」と
嘆いておられます。

じっくり神と向き合う時間は
この時代こそ貴重です。

貴重な場を提供されている
教会の方々には
本当に申し訳なく思います。

ただ
私の妄想を一席…
(教会のあり方とは
全く関係のない話です)

不可解に見える事件にも
必ず無意識の意図がありますから

頻発する事件については
意味を考える必要があると思います。

西洋人と日本人では
窮地から這い上がるときの
リセットの法則に
大きな違いがあります。

ユング心理学は
PTSD克服者ユングが
命と格闘して獲得した
技法理論ですから

貴重です。

これなしには
PTSD治療は
過酷さを極め
多くの人々は
その過酷さに直面する勇気を失墜し
無意識的に
誤診を受け入れてしまうでしょう。
(その方が楽だからです)

しかし
日本でユング心理学を使うには
ユングの理論を日本流にアレンジしなおす
必要があります。
(河合隼雄氏の遺言でもあります)

ただ…

現状は心理療法家が
東洋思想を正しく理解できていないために

西洋理論であるユングを理解できず
(自らの存在根拠がつかめて初めて
他文化理解が可能なのです)

その生半可なユング理論を
日本人にそのままあてはめるから

誤診ばかり起こすのです。

心理学の学会や出版社の動向を
少し眺めても

学会を【発達障害】漬けにしているのが
わかります。

ユング派の重鎮すら
こころの分析を放棄し
PTSDを発達障害に貶めているのです。

あまりの理不尽さに
キレた【解離を起こした】集合的無意識が

【象徴】としての【教会】に
消えろ!と消火器を投げ込んでいるのでは?

と推測します。

重々言いますが
教会は全く悪くありません。

マリア信仰の歴史など考えれば
日本人は日本人なりに
キリスト教ともとから存在した思想を
習合しながら受け入れていることが
明らかだからです。
続きを読む

プロテスタント系教会への消火器投げ入れ事件続発の【象徴的意味】

PTSD研究家翠雨の日記
消火器が投げ込まれ
割られた教会の窓ガラスです。
今日は神戸市と西宮市の4カ所発生しました。
プロテスタント系教会に
消火器が投げ込まれる事件は
兵庫、大阪などで続発
県警は昨年2月以降
この4件を含め
20件の被害を
確認しています。
牧師は「各地の教会で被害が続いたので
玄関にセンサーライトを取り付けたのだが…。
こんな行為は止めてほしい」と
嘆いておられます。
じっくり神と向き合う時間は
この時代こそ貴重です。
貴重な場を提供されている
教会の方々には
本当に申し訳なく思います。
ただ
私の妄想を一席…
(教会のあり方とは
全く関係のない話です)
不可解に見える事件にも
必ず無意識の意図がありますから
頻発する事件については
意味を考える必要があると思います。
西洋人と日本人では
窮地から這い上がるときの
リセットの法則に
大きな違いがあります。

ユング心理学は
PTSD克服者ユングが
命と格闘して獲得した
技法理論ですから
貴重です。
これなしには
PTSD治療は
過酷さを極め
多くの人々は
その過酷さに直面する勇気を失墜し
無意識的に
誤診を受け入れてしまうでしょう。
(その方が楽だからです)
しかし
日本でユング心理学を使うには
ユングの理論を日本流にアレンジしなおす
必要があります。
(河合隼雄氏の遺言でもあります)

ただ…
現状は心理療法家が
東洋思想を正しく理解できていないために
西洋理論であるユングを理解できず
(自らの存在根拠がつかめて初めて
他文化理解が可能なのです)
その生半可なユング理論を
日本人にそのままあてはめるから
誤診ばかり起こすのです。
心理学の学会や出版社の動向を
少し眺めても
学会を【発達障害】漬けにしているのが
わかります。
ユング派の重鎮すら
こころの分析を放棄し
PTSDを発達障害に貶めているのです。

あまりの理不尽さに
キレた【解離を起こした】集合的無意識が
【象徴】としての【教会】に
消えろ!と消火器を投げ込んでいるのでは?

と推測します。
重々言いますが
教会は全く悪くありません。
マリア信仰の歴史など考えれば
日本人は日本人なりに
キリスト教ともとから存在した思想を
習合しながら受け入れていることが
明らかだからです。

いつのまにか医学モデルに追随するようになった心理療法

教科書的には

クライエントの訴える
症状だけを
聴くのではなく

無意識の意図まで含んだ
全体性をとらえるように
というのが
心理療法の基本原則です。

学生の頃は
診断し
診断名をつけ
それにまつわる問題だけを
除去するという
【医学モデル】
相当馬鹿にし

心理療法では
【診断名】なんか
関係ない!とシラー
考える気風がありました。

ユング心理学や
ロジャーズが流行ってた
こともあると思いますが、
なんか活気があったのが
懐かしく想い出されます。

今の心理療法家は
落ち着きがなかったり
笑わなかったら
【発達障害】
リストカットでもしようものなら
【ボーダー(BPD)】
【人格障害】

摂食障害さえもが
どこか
発達障害扱いで目

医学モデルそのものに
変質してしまいました。
続きを読む

いつのまにか医学モデルに追随するようになった心理療法

教科書的には
クライエントの訴える
症状だけを
聴くのではなく
無意識の意図まで含んだ
全体性をとらえるように
というのが
心理療法の基本原則です。

学生の頃は
診断し
診断名をつけ
それにまつわる問題だけを
除去するという
【医学モデル】
相当馬鹿にし
心理療法では
【診断名】なんか
関係ない!とシラー
考える気風がありました。
ユング心理学や
ロジャーズが流行ってた
こともあると思いますが、
なんか活気があったのが
懐かしく想い出されます。
今の心理療法家は
落ち着きがなかったり
笑わなかったら
【発達障害】
リストカットでもしようものなら
【ボーダー(BPD)】
【人格障害】
摂食障害さえもが
どこか
発達障害扱いで目
医学モデルそのものに
変質してしまいました。

ユングの知的発達の冒険⑦ アウトサイダーの孤独

クラフト=エビング
という人物が

精神疾患を
人格のやまいと
とらえ

 ―当たり前のようですが
 当時は人格なんかに敬意を
 払う精神科医はいません―

その人格のやまいに対して
全人格をもって立ち向かう

と書いているのを
見つけたユングは

精神医学に深く魅了された
と言います。

「取り返しがつかないほど」
深くひきつけられた
と書いています。

しかし
内科の先生にそう話すと
深く失望され

子ども時代の【古傷】が蘇り
(疑問や発作に一人で耐えるなど孤独でした)
アウトサイダーである自分を
再び自覚しました

あきらめず猛進しました。

常識にとらわれず
どんどんそれを超えていくことは
素晴らしいことですが

恐ろしく孤独な作業でしょう。

西洋人ですが
禅僧みたいに
自覚を深めていくところがあり

私はユングのこういう性格については
凄いと尊敬しています音譜

ユング心理学を
日本人にあうように
さらに進化させれば
PTSD理解に役立つと
考えているのですが

現在の日本の専門家は
ユング以前
(ユングに失望した内科医レベル)
なのです叫び

PTSDを克服しようとする人もまた
とても孤独だと思います。
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