
これは
如人千尺懸崖上樹の構図でしょう。
 ―崖の上のポニョ

 ―崖の上の宗介の家まで
 駆け上る。
 『門』の宗助は
 崖上の禅寺を目指す。
 かぐや姫は天に還る。


アリエッティの場合は
 ―自然治癒力の象徴
畏れを感じていましたが

帰還兵みたいな
 ―サバイバル能力が高そう
お父さんが
導いてくれました。
かぐや姫の場合は
翁が養育します。
 ―よくぶつかり
 人間的です。
ポニョの場合は
宗介が守り通してあげました。

この公案は
PTSD治療において
普遍的です。
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『風の谷のナウシカ』PTSD蔓延社会を癒す集合的無意識の底力

腐海の植物は
瘴気を出し
解毒の好転反応と言っても
その症状で
ナウシカの父らは
瀕死の状態です。
しかし
ナウシカの調査で

腐海の底に
とても清浄な場所があることが
わかり
 ―到達するのに
 死ぬような目に遭った。
枯れ木にみえる大木が
全てのものを
浄化していました。

集合的無意識の
底には
中心力と言う
地球のマグマのような
エネルギーがあります。
「枯木の龍吟」と言いまして
 ―陰陽的
瞑想的な
心身の癒しの場所です。

そこに二人が立ちますが
一太極二陰陽の構図で
 ― 陰陽五行説
古事記にしても
 ― イザナミとイザナキが
    (陰陽)
   出会った時も
   柱の周りをまわります。

『かぐや姫の物語』でも
かぐや姫を発見した後の
翁と媼はこの構図です。
限られた時間とスペースでも
わざわざ描かなくてはならない
基本であり
象徴です。
『千と千尋の神隠し』『かぐや姫の物語』PTSDを癒すセルフのパワー
千尋が
失意の時         ←実は尋牛
 ―解離せず
 きちんと失意 
川向うに
天国のような神々しい世界が
浮かび上がり
こちらに
迫ってきて
 ―大きな船でした。
神々が降り立ちます。
 ―八百万の神々
 (セルフ)
 三つ巴のマークもたくさん飛んでいて
 陰陽五行説が強調されています。
ただ通り過ぎるだけですが  ←見跡
 ―自力をつくさないと
 他力は働かないから
 
 これからこき使われる。
その圧倒的なパワーと
沖縄民謡調の音楽に
 ―琉球は中国に近いですからね。
『かぐや姫の物語』で
天人がやって来るシーンを
思い出しました。
 ―普通の人と順序が逆


仏教的なイメージに満ちています。
人間の計らいを超えて
有無を言わせず
迫って来る
圧倒的な感じが
セルフの働きだと思います。

千尋が
湯婆婆の部屋に引き寄せられるときも
こんな感じでしたね。
 ―昇天じゃなくて
 召命であり
 これからの時ですが
外界に「消えろ!」と言ってたら
自分の身体が透明になってゆき
 ―陰陽融合の架空の時
ハクが
この世のものを食べるように
アドバイスします。
 ―代わりに記憶が徐々に薄れていく。
かぐや姫でも需要なモチーフでしたね。
お父さんとお母さんに
「会えるよね」と
不安を漏らす千尋に
ハクが
「今は無理だが
必ず会える」と言ってた部分は

かぐや姫の主題歌の1つのモチーフと
重なります。
記憶を失いながら
 ―幻想に入っていくから
考えるから
生死を超えた
輪廻の話のように
なってしまうだけで
 ―比喩
即身成仏なんですよね。
 ―生身のまま個性化
虐待PTSDドラマ『明日ママ』フラッシュバック
最終話で2つ出てきました。
子どもを亡くした女性は
妄想に生きてますが
 ―ポストを生贄にしながら
時に
些細なことから
 ―ポストのヘアゴムについた2つの赤い玉
無意識の連鎖反応が起き
 ―赤い花(ラナンキュラソ?)
  子どもの小さな赤い靴
 踏切の警報音が脳裏に鳴り響き出すと
 信号の赤が見え
子どもを亡くしたあの日の状況が
鮮明に
蘇ります。
その女性の妄想を破る治療をした
魔王もまた
幻想の中で
子どもを亡くした日の
悲しさの中に立ち尽くし
 ―土砂降りの雨の中
余力を振り絞って
 ―百尺竿頭一歩進めよ
ボールを蹴り
倒れこみます。
 ―しかし
 オツボネに見守られている。

 ―自己も他己も否定したところを
 月(セルフ)が見ている。
 ここから人は恢復してゆく。
子どもを亡くした
こころの傷だけで
人はPTSDになります。
 ―妄想から人格障害もどきまで
しかし
時に起るフラッシュバックは
自己治癒力の働きによるものなので
消し去るのではなく
正しく扱うのが治療的になります。
 





























