ジブリ『かぐや姫の物語』」カテゴリーアーカイブ

札幌小3女児行方不明PTSD解離性負の連鎖

神隠しに会う子も
ニュースになってますね。
言わないだけで
記憶にないだけで

何かきっかけがあったのだと
思います。
多感だから
にこにこしてたり
ぼーっとしてるように見えても
 ―適応のための防衛


怒りを抑圧してたりします。

問題を抱えた子は
抜け道を模索してますから
流行のものをすぐに
取り入れます。
 ―リスカや過食症が流行った時期も
 ありますね。
子どもの旅は
危険ですから
 ―考えてみれば
 山下清は
 その点でも天才的
PTSD予防教育が
大事です。

高1女子PTSD解離自転車暴走で高齢者死亡させる

昨日
夕方
千葉県の
高校1年の女子生徒(16)の
自転車が
出合い頭にぶつかり
80歳くらいの男性が転倒して
頭を打ち
約14時間後に
搬送先の病院で
死亡しました。
解離暴走すると
自転車も凶器になります。
 ―小学生とかの事件もある。

暴走する場所が
大事です。

煽られて
どこでも走らないようにね。
解離人格は
全容をきちんと見ないから
 ―都合のいいところだけ採用
よく間違いますニコニコ

阪神淡路大震災19年目も『かぐや姫の物語』式PTSD予防

報道されるイメージには
パターンがあるように思います。

1つ1つの魂が
煌々と輝いて
生きています。
 ―見事な比喩表現ですね。

これは
お雛さまが入ってますが
ここに火を灯したりしますね。
祈りのイメージには
かぐや姫があると思います。
ポニョも
アリエッティも
華厳経でしたね。
深いところで1つの
元型なんだろうと思います。

芥川賞も『かぐや姫の物語』風PTSDの入り口としての『穴』イメージ

29歳の女性が
退職して
夫の実家の隣に引っ越します。
 ―職業人が
 「妻」から「嫁」に
  
 周囲の対応が勝手に変わり
 取り込まれる。
誰かが河原に掘った穴に落ち  ←タイトルは『穴』
 ―共時性

正体不明の男性や獣
子どもたちと遭遇
 ―『かぐや姫の物語』にもつながるかも
 地球に落ちて
 捨て丸や子どもたちや
 カエルやウリボウと出会う。
日常に入り込む違和感が
異世界につながる不気味さを
リアルに描いていると
評価されました。

不思議の国のアリスみたいに
現実と非現実を行き来して
人間は成長します。



5日から行方不明中1女子生徒無事に帰宅はPTSD軽度の解離

大阪市鶴見区の
中学1年の女子生徒(12)ですが
「家出した少女と一緒にいる」と
女性から電話があり
無事保護されました。
「親に怒られ
自分で出て行った」

記憶もあり
気持ちの経緯も話せますから
軽度の解離ですね。

育ち直しが必要だという
サインでしょう。
 ―親の育ち直しかもしれない。
サインが出せるのだから
発達障害ではないですね。
解離性遁走にも
いろいろあります。

『かぐや姫の物語』「あるべきようは」でなければPTSDは治らない

前記事の
明恵上人ですが

「あるべきようわ」と
言ったそうです。
 ―「あるべきようは?」
  どうあればよいのか
  問い続けます。

「あるべきように」では
ないのです。
一字違いが
大違いです。
適応論を選ぶのか
個性化の過程を歩むのか
そこで決まります。

『かぐや姫の物語』も鳥獣戯画もPTSD哲学のテキスト




赤ちゃんは
常に運動し
学習中です。
カエルを見ても
マネし
歩けるようになったりします。
 ―心身に準備が整ったときに
 興味が出る。
ヨーガもそうですが
 ―古代日本人も
 ヘビの脱皮のマネをした。
人間は
動物のマネをして
成長します。
現代の大人も
これを思い出すべきです。

このブログの壁紙ですが
 ―カエルが似ているなぁと
高山寺に伝わる
国宝で
日本最古の漫画と言われています。
これも
鳥獣人物戯画って
言われてたんですね。
要するに
人物風刺です。
動物の姿を借りて
人間界の風刺をしているのですね。
 ―あらゆるものは
 比喩表現です。
古い寺の別院を
高山寺として
再興したのは
明恵

華厳経だから

ポニョとも通じてますね。
 ―ジブリと華厳経は
 相即不離
イメージ表現は
たましいの表現なのです。
箱庭で遊んでるようで
哲学してるんですね。

『かぐや姫の物語』PTSDの自己治癒力と「山川草木悉有仏性」

涅槃教の一節に
「(一切衆生)
悉有仏性」と言う
表現がありますが
曹洞宗の開祖
道元禅師(1200-1253)は
「山川草木悉有仏性」と
読み直されました。
山川草木には
 ―自然界には
悉く
仏性があるということです。
誰にでも仏性があると言うと
普通の人は
自我肥大を起こし
おかしくなってしまいがちなので
 ―仏になったと勘違いする。
私は
道元の言葉の方を
好みます。


翁が
竹に仏性を観たという
 ―投影を通して
 悟る道が開ける。
解釈もあるかとは思います。
 ―あとは翁の夢とか

そして
自然と戯れることが
大事ですね。

箱庭の意味も
そこにあります。
 ―小宇宙 即 大宇宙
自然治癒力が
蘇れば
 ―作動するようにするのが
 心理療法
PTSDなんて
イチコロです。
 ―向精神薬を使うと
 イチコロにされます。
 殺虫剤みたいなものですね。
人間のこころはそのように
できているのです。

『かぐや姫の物語』PTSD克服個性化の過程で「貝合わせ」をやめる

祝宴に呼ばれた凡夫たちが
あまりに
自分勝手なことを
あーだ、こーだ言うのが
聴こえてきて
 ―失礼千万
思わず

手にしていた
貝を割って
遁走します。
 ―夢のなかにですが
二枚貝は
唯一絶対の組み合わせ
貝にも
陰陽あるそうです。
 ―表と裏

しかし
決まった組み合わせのなかから
神経衰弱のように
選ばねばならないのは
予定調和的で
ありきたりです。
教育係の
相模は
「高貴な姫君は
~であるべき」と
上から目線で
あれこれ指導しますが
所詮
現実適応にすぎません。
こういうのはおかしい!と
哀しみと怒りのなか
気くことが
個性化の始まりなんでしょう。
この世は
理不尽なストレスだらけ
それを我慢するか
キレて失敗し
迷界に落ちるか
正しく抜け出して
個性化するか
我々の前には常に
3つの道が開けています。

『かぐや姫の物語』PTSDを昇華するには「馬のまえに牛」

朝日新聞の天声人語に
夏目漱石の言葉が
書かれています。
「吾々は
とかく馬になりたがるが
牛には
中々なり切れないです」
 ―漢字の使い方が独特ですが
 意味深いです。
芥川龍之介ら
才ある門弟に
あせってはいけない
根気が大事と
励ましたようです。

天を駆けるためには
牛車に乗って
たびたび
こころの自然に
立ち返る必要があります。
 ―楽しい作業ではないですね。

牛を追いかけ

自分も
追いかけていたものも消えて
初めて
駆ける準備が完了です。
 ―ただし単なる準備
輪廻転生の図
天を駆ける寸前でも
天にいても
間違うと
いつでも
常識にまみれた苦界に
 ―PTSD発症
さらにその先の地獄に
 ―心療内科で薬漬け
転落です。
鬼のような
トラウマが
 ―輪廻を抱えている
全てを牛耳っています。