防衛機制は
死なないための
当座しのぎで
開き直ってると
それが醜い後遺症になるわけですが
―同じ傷でも
美しく見えるものと
醜いものがあります。
【昇華】だけは
唯一絶対の治療過程で
目指されるべきものです。
―目指しようがないから
足元・基本から
コツコツと
絶望して
―無我
自己否定+他からの否定
雪の上に倒れたら
―雪は昇華の象徴
集合的無意識の常識から
―親の価値観や
世間の常識
引き離されます。
目には見えない
感官をしっかり感じているから
―「眠れないなら睡眠薬」
「精神科医や臨床心理士の
言うこと聞いてたら大丈夫」なんて
思わなくなります。
上昇できるのです。
「ジブリ『かぐや姫の物語』」カテゴリーアーカイブ
『かぐや姫の物語』PTSD的常識の超え方
好きなように世界をつくる様子は
箱庭療法とよく似ています。
最初は
記憶に浸って
少しは癒され
その時だけ
幸福な気分になれますが
―イメージを媒介として
媼に共感してもらえたりします。
言葉で語るより
五感全体が呼び覚まされ
そこに生きている感じがします。
そうしていても
お呼びじゃない輩ばかり
厚かましく押し寄せ
勝手に
無茶をして
死んでしまったりするので
こころが傷つき
―罪悪感を背負わされる。
これでは根本解決にならないことを
自覚します。
―退行して
記憶を取り戻し
そこに浸るのではなく
気づいてゆくのが
心理療法
絵合わせなどして
遊んでいても
凡夫の失敬な声に傷つき
壊して
その場から
―象徴的な意味での
「場」
走り去ります。
義憤のような
こういう感情は大事ですね。
一度こういうこころの作業をしないと
常にヒステリー
(PTSDの旧名)で
感情爆発の
猪突猛進
自分も人も傷つけ
悪化してゆきます。
場合によっては
犯罪ですね。
『かぐや姫の物語』PTSD治療を導く自己(セルフ)の威力
ユング心理学だと
セルフ
仏教なら
真の自己ですが
圧倒的なパワーがあり
ユング心理学では
どちらかというと
畏怖の対象で
PTSD治療するなと
言う人がいたくらいです。
―特にユング派精神科医
治療せずにどうするんですかね。
『かぐや姫の物語』では
このあたりによく表れていると思います。
自我が
今の常識世界にとどまりたいと
願っても
―よく見たら
翁も捨丸もちょっと自己チューなところがあり
このまま一緒に幸せになれそうにはない。
抵抗できず
引き寄せられ
邪魔しようとする凡夫たちも
身動き取れなくなります。
そのパワーは
個性化の過程で
だんだん強まるわけで
例えば
感情を強くするように
―嫌なものは嫌と
きちっと自覚する。
夢の中でも
導いてくれたりもするわけです。
きちんと絶望すれば
―普通は絶望しないように
防衛しますね。
根本的な間違いです。
見守ってくれたりもしています。
誰のこころのなかにもある
自然治癒力であり
成長の秘密です。
『かぐや姫の物語』ハルカスも釈迦牟尼迎えてPTSD予防のこけら落とし
『かぐや姫の物語』PTSD治療の初期マンダラ
『かぐや姫の物語』PTSD公案「雪山童子」いのちの記憶
世間の人は
よく知らなくても
あーだこーだ
勝手なこと言いますから
―凡夫
かぐや姫は
悲しくて
饗宴の主人公なのに
―主人公が見えないのが
仏教的
遁走します。
―夢の中だから
価値があります。
でも相当リアルな夢で
それが大事です。
道に倒れ
―中島みゆきのうたにもありますね。
「この景色
知ってる」
―デジャ・ヴュー
よく見ると
天人が舞っています。
『雪山童子』のモチーフだと思います。
―ポニョ的公案の始め
捨て身で
崖から飛び降りたら
天人が救ってくれ
釈迦に生まれ変わる
きっかけになりました。
天はこういう人を救うように
できているのです。
―人間のセルフですが
かぐや姫は
やはり自己実現モデルです。
いのちの記憶のなかに
―集合的無意識
仕組まれた
秘密です。
素直な人にだけ
起こる奇跡です。
『かぐや姫の物語』PTSD克服する仏性としてのかぐや姫
群れないかぐや姫と群れられない未治療重症PTSDこの大きな違い陰陽五行説
出入り禁止にされると
「私は群れん!」
他でも
イノシシのように暴れるけど
―かぐや姫も
ウリボウと接触
危険だから
捨丸が守る。
やはり出入り禁止になります。
―人間が同じだから
どこに行っても一緒
生き恥を感じて
落ち込み
足跡は
「そのままにしておく」
群れることも
消すこともできないのを
―わざわざ書くのは
コンプレックスがあるから。
否認しているうちは
苦界でしょう。
かぐや姫は
愛され
群れることもできるけど
群れないし
精一杯生きて
エネルギーを使い果たすから
―固着と退行
(フロイト)
放置された課題は
エネルギーを持っている。
不退転なんですよね。
―消すとか消さないとか
どうでもいい。
未治療には未治療の
金太郎飴のような
言論パターンがあります。
そして
かぐや姫と対極になっています。
『かぐや姫の物語』も『古事記』も皇室ゆかりのPTSD原理
『古事記』は
天皇家の
家系図のようなものでありながら
PTSD予防原理について書かれた
―こころのケア
神話ですが
―架空の話
非現実的な話と現実の皇室に架かる
お話
どの民族にもこういう神話がある。
竹の園と言えば
皇族の異称です。
―由来も
陰陽五行説のふるさと
中国から
物語の最後に
帝も出てきますね。
―アリエッティが
物語の最後に去ってゆくように
影響を与えるだけですが。
竹は
多年生常緑樹で
松と似ています。
―太極
松竹梅は人間が付けたランクづけ
まっすぐで
中が空洞なのは
こころの大事なあり方かも
しれません。
―無我で歪まず自己実現
地下茎にタケノコができるから
ジブリは
かぐや姫を
「タケノコ」と呼ばせて
地下茎の存在であることを
―集合的無意識
強調したのでしょう。
竹細工と言いますが
船から笛まで
大陸での
ヒョウタンのように
変幻自在です。
―これも「空」
かたちはあるが
何にでもなれる。
竹植日が
旧暦5月13日だそうで
―科学的には俗説ですが
暗号のような
哲学的意味がある。
「降らずとも
竹植うる日は蓑と笠」なんて
俳句があります。
俳諧師は
陰陽五行説を知っていたのでしょう。
―陰陽五行説を知らずに
(人のこころ)
歴史も芸術も理解不能
詳細はうるさくなるので
割愛しますが
この日は
十干十二支的に
「天の水」というような
意味があるようです。
―竹は水がないと育たない。
短い時間で
ズンズンと成長する
驚異のかぐや姫の
竹的意味です。
こういうことを踏まえて
日本人のこころの病を診ないと
後で
大恥かいて
追放されるんです。
5人の貴公子たちを
風刺したお話でもあります。
海外留学しても
何もつかんで帰って来ない人が
殆どです。
―道元くらいかな。
『かぐや姫の物語』PTSD原理『古事記』と同じモチーフ
わりと最初の方で
家が出てきたら
おじいさんとおばあさんが
左右から
出てきます。
イザナミとイザナギが出会った時
柱を立てて
回りました。
陰陽五行説の原理通りにしないと
蛭子が生まれ
生きられませんでした。
―無視すると
お話にならないくらい
大事なこと
陰陽で
陽が与え
陰が受け取るという
原則でもあります。
―現実と一緒です。
♪まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
回ってお日さんつれてこい
お日さんは
アマテラスであり
お火さんで
かぐや姫かもしれないですね。
―火山の神と
書いた人もあった。
5気の1つ「火」
集合的無意識の
いのちの記憶にある
大事な共通の原理です。
―古事記もかぐや姫も
アリエッティもポニョも一緒
水車でお日さん連れて来るなんて
常識では解けない命題ですが
―ナンセンスなら
こんなに何度も出てこない。
「水剋火」で
水の方が強いですから
涙でつまらないエゴなど
吹き飛んでしまうのかも
しれないですね。
かぐや姫は
エゴで動かず
使命を思い出し
使命を果たします。
宿命みたいなものですから
―トラウマを宿している。
PTSD治療原理です。
感情のままに
解離して
好き勝手するのと
反対の方向です。