涅槃教の一節に
「(一切衆生)
悉有仏性」と言う
表現がありますが
曹洞宗の開祖
道元禅師(1200-1253)は
「山川草木悉有仏性」と
読み直されました。
山川草木には
―自然界には
悉く
仏性があるということです。
誰にでも仏性があると言うと
普通の人は
自我肥大を起こし
おかしくなってしまいがちなので
―仏になったと勘違いする。
私は
道元の言葉の方を
好みます。
翁が
竹に仏性を観たという
―投影を通して
悟る道が開ける。
解釈もあるかとは思います。
―あとは翁の夢とか
そして
自然と戯れることが
大事ですね。
箱庭の意味も
そこにあります。
―小宇宙 即 大宇宙
自然治癒力が
蘇れば
―作動するようにするのが
心理療法
PTSDなんて
イチコロです。
―向精神薬を使うと
イチコロにされます。
殺虫剤みたいなものですね。
人間のこころはそのように
できているのです。
「ジブリ『かぐや姫の物語』」カテゴリーアーカイブ
『かぐや姫の物語』PTSD克服個性化の過程で「貝合わせ」をやめる
祝宴に呼ばれた凡夫たちが
あまりに
自分勝手なことを
あーだ、こーだ言うのが
聴こえてきて
―失礼千万
思わず
手にしていた
貝を割って
遁走します。
―夢のなかにですが
二枚貝は
唯一絶対の組み合わせ
貝にも
陰陽あるそうです。
―表と裏
しかし
決まった組み合わせのなかから
神経衰弱のように
選ばねばならないのは
予定調和的で
ありきたりです。
教育係の
相模は
「高貴な姫君は
~であるべき」と
上から目線で
あれこれ指導しますが
所詮
現実適応にすぎません。
こういうのはおかしい!と
哀しみと怒りのなか
気くことが
個性化の始まりなんでしょう。
この世は
理不尽なストレスだらけ
それを我慢するか
キレて失敗し
迷界に落ちるか
正しく抜け出して
個性化するか
我々の前には常に
3つの道が開けています。
『かぐや姫の物語』PTSDを昇華するには「馬のまえに牛」
朝日新聞の天声人語に
夏目漱石の言葉が
書かれています。
「吾々は
とかく馬になりたがるが
牛には
中々なり切れないです」
―漢字の使い方が独特ですが
意味深いです。
芥川龍之介ら
才ある門弟に
あせってはいけない
根気が大事と
励ましたようです。
天を駆けるためには
牛車に乗って
たびたび
こころの自然に
立ち返る必要があります。
―楽しい作業ではないですね。
牛を追いかけ
自分も
追いかけていたものも消えて
初めて
駆ける準備が完了です。
―ただし単なる準備
輪廻転生の図
天を駆ける寸前でも
天にいても
間違うと
いつでも
常識にまみれた苦界に
―PTSD発症
さらにその先の地獄に
―心療内科で薬漬け
転落です。
鬼のような
トラウマが
―輪廻を抱えている
全てを牛耳っています。
『かぐや姫の物語』ラストはPTSD克服のかたち【昇華】
『かぐや姫の物語』PTSD的常識の超え方
好きなように世界をつくる様子は
箱庭療法とよく似ています。
最初は
記憶に浸って
少しは癒され
その時だけ
幸福な気分になれますが
―イメージを媒介として
媼に共感してもらえたりします。
言葉で語るより
五感全体が呼び覚まされ
そこに生きている感じがします。
そうしていても
お呼びじゃない輩ばかり
厚かましく押し寄せ
勝手に
無茶をして
死んでしまったりするので
こころが傷つき
―罪悪感を背負わされる。
これでは根本解決にならないことを
自覚します。
―退行して
記憶を取り戻し
そこに浸るのではなく
気づいてゆくのが
心理療法
絵合わせなどして
遊んでいても
凡夫の失敬な声に傷つき
壊して
その場から
―象徴的な意味での
「場」
走り去ります。
義憤のような
こういう感情は大事ですね。
一度こういうこころの作業をしないと
常にヒステリー
(PTSDの旧名)で
感情爆発の
猪突猛進
自分も人も傷つけ
悪化してゆきます。
場合によっては
犯罪ですね。
『かぐや姫の物語』PTSD治療を導く自己(セルフ)の威力
ユング心理学だと
セルフ
仏教なら
真の自己ですが
圧倒的なパワーがあり
ユング心理学では
どちらかというと
畏怖の対象で
PTSD治療するなと
言う人がいたくらいです。
―特にユング派精神科医
治療せずにどうするんですかね。
『かぐや姫の物語』では
このあたりによく表れていると思います。
自我が
今の常識世界にとどまりたいと
願っても
―よく見たら
翁も捨丸もちょっと自己チューなところがあり
このまま一緒に幸せになれそうにはない。
抵抗できず
引き寄せられ
邪魔しようとする凡夫たちも
身動き取れなくなります。
そのパワーは
個性化の過程で
だんだん強まるわけで
例えば
感情を強くするように
―嫌なものは嫌と
きちっと自覚する。
夢の中でも
導いてくれたりもするわけです。
きちんと絶望すれば
―普通は絶望しないように
防衛しますね。
根本的な間違いです。
見守ってくれたりもしています。
誰のこころのなかにもある
自然治癒力であり
成長の秘密です。
『かぐや姫の物語』ハルカスも釈迦牟尼迎えてPTSD予防のこけら落とし
『かぐや姫の物語』PTSD治療の初期マンダラ
『かぐや姫の物語』PTSD公案「雪山童子」いのちの記憶
世間の人は
よく知らなくても
あーだこーだ
勝手なこと言いますから
―凡夫
かぐや姫は
悲しくて
饗宴の主人公なのに
―主人公が見えないのが
仏教的
遁走します。
―夢の中だから
価値があります。
でも相当リアルな夢で
それが大事です。
道に倒れ
―中島みゆきのうたにもありますね。
「この景色
知ってる」
―デジャ・ヴュー
よく見ると
天人が舞っています。
『雪山童子』のモチーフだと思います。
―ポニョ的公案の始め
捨て身で
崖から飛び降りたら
天人が救ってくれ
釈迦に生まれ変わる
きっかけになりました。
天はこういう人を救うように
できているのです。
―人間のセルフですが
かぐや姫は
やはり自己実現モデルです。
いのちの記憶のなかに
―集合的無意識
仕組まれた
秘密です。
素直な人にだけ
起こる奇跡です。