前記事の
たち別れ
いなばの山の
峰に生ふる
まつとし聞かば
今帰り来む
ですが
飼っていた猫が
行方不明になった時
おばあさんなどは
この歌を
短冊に書いて
猫の皿を伏せて
その下に置いておくのだそうです。
気になるうたは
―子どもの頃好きだった
物語も
箱庭に置くものも
無意識が
我々が気づくように
置いてくれた
おまじないみたいなものです。
じっくり味わい
意味を考えると
よいと思います。
清めの塩と同じで
科学的じゃないけど
―こころの科学はあるかも
おまじないなしに
PTSDは治りません。
妙に否定すると
薬漬けになります。
「ジブリ『かぐや姫の物語』」カテゴリーアーカイブ
『かぐや姫の物語』PTSD治療は謎解き
♪まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 連れてこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
春 夏 秋 冬 呼んでこい
めぐれ めぐれ めぐれよ 遥かなときよ
めぐって 心を 連れてゆけ
鳥 虫 けもの 草 木 花
人の情けを はぐくみて
まつとしきかば 今かへりこむ
歌が
1つの重要なモチーフになっています。
子どもたちは元気よく
かぐや姫は物憂げに
かぐや姫の記憶の人は
涙を流しながら
歌います。
―こころの琴線に触れるうた
なぜか知っていて
なぜかこころを動かされるのは
象徴
この不思議を解く
ミステリーみたいな
布置がありますが
心理療法でも
『?』という
言葉にならない
感覚をだんだん明らかにしてゆきます。
それが象徴なのでしょう。
最後のフレーズの
「待つとし聞かば」は
「松」にかかりますが
松は太極の象徴です。
― 一太極二陰陽
能舞台の背景にも
心理療法では
「待つ」ことも大事です。
―自力を尽くしたら
他力を待ちます。
「たち別れ
いなばの山の
峰に生ふる
まつとし聞かば
今帰り来む」の一部でもあり
―別れたものがまた出会う
めぐり
陰陽五行説的布置が
このたびも
濃厚です。
因幡と言えば
白兎は
―古事記
神々による人殺し医療と
癒しの治療を受けたのでしたね。
―PTSD治療のことが
書いてある部分
翁と媼も
陰陽的に描かれ
―登場シーンは
まるでイザナギとイザナミ
古事記的
PTSD教育的なスタイルに
仕上がっていますよ。
『かぐや姫の物語』にもPTSD否認♪高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)
『崖の上のポニョ』以来
随所で
現代の専門家風刺が
みられますが
― 逐一書いてきました。
サウンドトラックのなかの
1曲の
タイトル
これも明らかに
そうでしょう。
5人の貴公子たちが
かぐや姫をめぐって
―PTSD理論のバイブル
大騒ぎする様子を
曲にしたものですが
―亡くなってしまう方は気の毒ですが
騙そうとして
恥をかいたりと
なりふり構わず
行動します。
治らない発達障害をめぐっても
―PTSD
有名なセンセイとか
河合隼雄の息子とかが
―ユング派の世界では
御曹司ですね。
なりふり構わず
愚説を振りかざして
大騒ぎしておられます。
修業が足りないから
―昔の治療家のように
心身鍛えないと
かぐや姫に近づくと
―PTSD原理
調子が狂うのでしょう。
しかし
この人たち
これから
どうする気ですかね。
『ミカドの肖像』猪突猛進PTSD解離辞任
見苦しく頑張りましたが
猪瀬知事は辞任の意向を
伝えたそうです。
ネットのなかった時代に
情報収集し
書き上げた
著書は
1987年
大宅壮一ノンフィクション賞を
受賞し
小泉純一郎に寵愛され
知事になりましたが
だんだん歯車が狂い
―芥川龍之介
虚偽報告を重ね
自滅しました。
PTSDは
その人の命綱である
特性をズタズタにします。
オリンピックのプレゼンチームなんかが
狂気の華で
クライマックスだったのでしょうね。
―また日本の評価が落ちますね。
ミカド観も
古くなったのでしょう。
表面的調査は賞味期限がありますが
―DSM的上澄み
古典には普遍性があります。
こういう
何とかの七光りで
存在する
軽すぎる研究も
―学問への冒涜
同じ運命になるでしょう。
河合隼雄も
日本の構造は「中空」と言ってました。
正しいけど
それだけじゃ
「それが何か?」の
時代なんです。
陰陽五行説的に
― 三門は一太極二陰陽
象徴的に
解釈しなきゃね。
かぐや姫はわがまま説の
この人が何を言う?って
感じですね。
羞恥心を解離しているのでしょう。
見苦しく残留してますね。
中国の月面着陸探査機「嫦娥」の陰陽五行(PTSD原理)的意味
嫦娥三号、月着陸に成功
Image credit: 新華社
中国の月探査機「嫦娥三号」が14日、月への着陸に成功した。……….≪続きを読む≫
真実かどうかは
知りませんが
「嫦娥」は
中国の神話からです。
―日本は到着してませんが
周遊する探査機に
「かぐや」とつけました。
名前をみれば
どんな心性の国か
わかります。
夫から
不老不死の薬を盗んで
月に逃げ
罰として
ヒキガエル(蟾蜍)にされた
女性の名ですが
月や月光を意味するように
なりました。
嫦娥と蟾蜍
漢字も大事です。
嫦娥は
なんか
「わたしが!わたしが!」と
しゃしゃり出る
我欲の象徴みたいな
名前です。
ウザいですね。
蟾蜍の方は
詹は
くどいとか多弁のという意味で
余はあまりだから
嫦娥さんの
抜け殻みたいなものですね。
でも
「我こそは」というより
「余は…」という方が
格は上だったりしますし
「蟾宮に登る」は
科挙試験合格の意味です。
―日本なら
原子村で蠢く官僚?
全体的な意味は
同じく月に棲むという
「うさぎ」の説明もあって
壮大なので
またいつか!
サスペンスドラマも「絵の意味」が鍵でPTSDイメージ療法へ
PTSD負の連鎖で「輪」になった2013の漢字
五輪招致で
学芸会的プレゼン
―ウソとデタラメのパッチワークで
意味をなさない
「放射能」「ブロック」
「完全に」
言葉のサラダは
統合失調症用語
罪悪感や羞恥心はKYで
アスペルガー?
ストレスに弱いのは
発達障害だかららしいし…
PTSDの一面の寄せ集めですがね。
おなかが薬で完全コントロールされてるから
―心身症はPTSD
胆力がなく
言霊がぼこぼこ漏れたような声になる。
―前のように
高揚感で元気になりたいのでしょうが
事情が違い
やり方がキケンです。
悪しき連鎖を断った
マンデラ氏の死
―通訳が統合失調症のクスリで
アクチベーションシンドロームの
意味不明誤訳
呉でも
尼崎でも
少年少女たちによる
集団暴行は
悪しき「輪」のなかで
囲い込まれた暴力です。
―タモリの長寿番組も
打ち切り決定
「みんなの輪」でしたね。
無理が通れば道理引っ込む
子どもたちも
この輪の中に
囲い込まれています。
それを許可した
毒親も
捕獲できます。
―子どもを病気にしたてあげさせられたら
(集団リンチの被害者)
PTSDになるでしょ?
退院しても
アウトリーチ体制で
完ぺきです。
完全にブロックされてます。
激しい逃走本能の
イメージを観る
気概がないと
個性化できない
世の中です。
罪と罰は
ロシアのものとは
ちょっと違うんです。
『かぐや姫の物語』阿弥陀如来像がやって来るのだからPTSD自己実現物語
月からお迎えが来たところですが
脚本家による
文庫本では
「阿弥陀来迎図のようだ」と
書かれています。
いろいろな仏画がありますが
たいていは
天門から
―左上
地門に
―右下
やってきます。
―陰陽五行説的
原理があります。
イメージの分析に
欠かせません。
映画では
凄く大人数で
楽しそうに
―沖縄民謡が入っているような
大陸的ですからね。
押しかけてきます。
セルフには
自律性があり
―こちらの事情などお構いなし
圧倒されますが
楽しさや無邪気さで
緩和されている感じが
陰陽的で面白いです。
―発病の時なんかは
恐ろしい存在になります。
人間は
自然治癒力には
逆らうことができないのです。
―如来は
来るが如し
自然治癒力と癒しが
どんなふうにやって来るのか
イメージにしたもの
きちんと向き合えば
―貴公子のようにではなく
自然と戯れ
喜怒哀楽を表現する。
思いを明らかにする作業を
最後まで貫き通す。
嫌でも治ってしまいます。
こんな高尚な物語のヒロインを
わがまま扱いし
―なぜそういう論文が学会奨励賞受賞でき
本の出版になるのか
怒りを感じます。
生きにくくしているのは
発達障害を流行らせた
専門家たちです。
『かぐや姫の物語』を支えるポニョ的女童のPTSD治療的存在意義
朝日新聞朝刊一面に
『宮崎駿
続・風の帰る場所』の広告が出ています。
ポニョや風立ちぬから
引退宣言までの
5年間のことを
扱った本のようです。
―私のジブリ歴はここだけ
「2008
初めて人間に憧れる
主人公を描く」
ポニョのことですが
かぐや姫ともカブリます。
―輪廻転生的表現かも
ブリュンヒルデという
本名を持っていましたが
崖の上のポニョに
変身しました。
考えてみれば
日本人は
人生の節目で
―死と再生
イニシエーション
儀式をして
名前を変えてきました。
―今はそれがないから
発達障害的になる。
ポニョの元型
半神ワルキューレは
神々の長女ですが
かぐや姫も
月の王の娘です。
―人間は2つの世界
2種の親を持ちます。
ポニョの母は
海のような人で
父親は
人工的で胡散臭い
存在ですが
―水の研究は
無意識の研究だから
臨床心理学者の比喩ではないかと
思う。
かぐや姫の物語では
翁はだんだん世俗的になり
かぐや姫を苦しめますが
媼はかぐや姫に寄り添い
保護しようとします。
―母性と父性
ワルキューレは
羽衣を持っていて
それを男性に奪われたり
―羽衣伝説
白鳥に変身したり
―ヤマトタケル?
いろんなバリエーションを持った
象徴的存在ですが
かぐや姫は
羽衣性を
奪われそうになりながら
―集合的無意識の俗っぽさによる
変容妨害
常識を超え
本来あるべき場所に
行きました。
かぐや姫の物語なのに
なぜか童女のグッズだらけなのは
よく見れば
ポニョ的で
大事な存在なのでしょう。
作品中では地味な存在ですが
お地蔵さん的に
かぐや姫に寄り添っています。
世に住む
月の人で
―淡々としてわずらいがなさそう。
陰陽的な存在です。
『かぐや姫の物語』3つ目を通す陰陽五行説的PTSD原理満載
改めて
原作を読むと
やたら「3」が出てきます。
ひとつ・ふたつ・たくさんは
幼い子どもの数字概念ですが
―数人がゲーム持ってたら
「みんな持ってる」と
お母さんにねだります。
2人PTSD否認をみつけたら
「誰もPTSDなんか興味ない」という
大人は発達障害的PTSD
「一太極二陰陽」の
―二元論ではない。
3でしょうね。
泣き虫も
―かぐや姫も泣きますね。
3つ目を通すとパワフルに!
―手塚治虫の
『三つ目がとおる』
実は飛鳥の秘密とか
陰陽五行説めいている。
舞台の
讃岐は
空海も出たりして
畿外にしては文化的な土地と
思われていた場所で
東讃・中讃・西讃の3部構成です。
発見された時
かぐや姫は3寸で
― 一寸法師より大きい
3か月で一人前になり
命名の儀の大宴会は3日
帝が家に来て3年で
月を見て泣くようになります。
帝は御門とも書きますが
三門です。
― 天地人
貴公子の名前も
石造皇子(みこ)
車持皇子(みこ)、
右大臣阿倍御主人(あべのみうし)
大納言大伴御行(おほとものみゆき)
中納言石上麻呂(いそのかみのまろ)
「みこ」とか「みうし」
麻呂はなまったもののような…。
―変体仮名の世界
1つの音にいろいろな漢字を
当て字する。
難問に取り組む態度でも
―PTSD研究も
ろくに研究しないから
海外だのみ(知らないと思って!)
ニセモノ(うつ病・発達障害)
恥かき(象徴が使えてないと愚説)
開き直りと醜態だらけ(アスペルガー消えても知らんぷり)
やり口は普遍
3日坊主とか
―探しに行くふりして
3日で帰宅
3年かけて似たもの探すとか
人に3年以上ニセモノづくりさせるとか
一本の木に
銀の根・金の枝・白い玉も
3色ですね。