イメージ表現の実際」カテゴリーアーカイブ

吸血鬼ドラキュラ誕生とPTSDについての一考察

5月26日は

吸血鬼ドラキュラ』が発刊された日だそうです。

グロテスクなのでイメージ画だけ…

1897年

万人の恐怖心をとらえることに成功し

当時の水準において

あまりにも恐怖を煽りすぎていると

評価され⁈  つつ

― 批判もあり賛否両論 は 大ヒットの証

多くの映画で翻案化

― PTSD事案は連鎖するもの

象徴的存在となりました。

ドラキュラ伯爵は吸血鬼の代名詞的存在

― 他の追随を許さない

神隠し的手法がとられており

複数の語り手による

手紙や日記

新聞記事という形で展開されるスタイル

事実と空想が交錯しているのも

史実と似通った事象もあるが

― インスピレーションを受けただけというのがほとんど

民間伝承や歴史を広く参照した

100ページを超えるメモのなかにその痕跡はなく

「ドラキュラ」という命名すらが

作者の勘違いであったりする。

― 図書館で悪魔👿を意味する言葉を見つけた …と思った。

世界中を旅したが

『吸血鬼ドラキュラ』の舞台となった東欧は訪れていない。

― ジブリの神隠し物語 も『藪の中』的構造

―― 時空を超えて隠されたこころ(神)について討論

怪奇小説です。

最高のサイコホラーは

現実のPTSD事案に限りなく近いものであるハズ

― 事実は小説よりなり

吸血鬼が

ひとりの貴族で

多くの物語の主人公は王さま@王家

学者らのグループが討伐するという構図が興味深いです。

PTSD事案を専門家チームが分析

作者の

ブラム・ストーカー

アイルランドの首都ダブリンの生まれで

家族はアイルランド聖公会の信徒

昔からこういう土地

就学前まで原因不明の病で寝たきりだったのが

「私は生まれつき思慮深く

長い闘病生活で生じた余暇は思考する時間を与えてくれた。

これが後に種類に応じて実りあるものになった」

― ミルトン・エリクソン的

大学時代はスポーツ選手として活躍

アドラーの過補償はトラウマあるある

副業として

大卒後は父と同じくアイルランド行政の公務員になった。

文芸活動をするうちに

ひろく読んでもらいたかっただけで

報酬はあまり受け取っていないらしい。

友人のオスカー・ワイルド

結婚した妻は

美人として有名で

たくさんの求婚者がいて

その一人だったオスカーワイルドは大激怒💢

絶交していた時期もあるが

ワイルドの没落後には

彼と会うためストーカーが大陸に旅行

― 錯綜した関係

同性愛罪で投獄された1ヶ月後に

主人公が閉じ込められているうちに

ドラキュラが暗躍

求婚者にも接近しようとするが…

最後はハッピーエンド💕

この作品を執筆し始め

1912年4月20日

謎の病気で亡くなり

運動失調症

― 梅毒の進行麻痺ならばドラキュラ治療が必要🤔

未発表作が妻により出版されているのは奇遇でしょうか。

タップダンス ~アフリカ系アメリカ人の表現の自由

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「タップの神様」のお誕生日

太鼓🥁など伝統的な楽器による表現を

理不尽な日々の労働後

― 歴史的な虐待環境

せめてドラムを打ち鳴らすことで

感情を表現していた人々

禁じられたことから生まれた表現方法だそうです。

地団駄を踏むところ

即物的即座的

駄々をこねるとも言う。

クイーンのこの曲はタップダンスを連想させる。

― のちに洗練されたドラムバージョン

― 泥臭いオリジナル

― ― 死のトラウマと格闘中の本人による表現なので

軽やかで洗練された表現です。

それを支える

優れた身体能力とリズム感

― アフリカ系アメリカ人(Afro-American)特有のしなやかなエレガンス

日本語では

地蹈韛を踏むともいい

たたら(蹈鞴)は ふいご

― 番子さんたち   ⇒代わりばんこで踏みぬく

― 独りだとこうなるので…(^^♪

鉄をつくります。

さらには刀など武器だけど芸術品に昇華

― ジブリ作品特有の気表現

―― Hと感官(A~H)

このあと生まれた🎶🎺ジャズ🎷🎶も同様ですね。

こころを

リラックスさせ

深く癒す効果があるのも納得

西田幾多郎と南方熊楠PTSD解脱のための現象学

5月19日は

西田幾多郎先生のお誕生日です。

なんと

フィヒテと同じ日💡

― 子フィヒテも哲学者

生まれながらの自殺を決心するほどの貧困に苦しむも

教会でゲルマン神話を聴いたことや

― 読解力が天才的というのが命綱

   無意識の図書館

前記事の熊楠のような記憶力に救われ

― 聴きそびれた人に教えることが仕事になり始める。

著名な哲学者になった人物です。

人がどんな哲学を選ぶかはその人間がどんな人間かによる」という言葉が有名。

― この生涯もPTSD予防からの自己実現の一事例

死別を経験し

誰にも避けられないことながら

肉親(姉・弟・娘2人・長男)の立て続けの死

学校には一貫して不適応

規則ずくめの校風に反抗し退学処分

翌年に東大に入るも選科だったので冷遇

負けずに勉強して教職を得ても

学校内での内紛で失職するなどして

在職校を点々とした。

父の事業失敗による破産等

妻と一度離縁

多くの苦難を味わったあと

そのたびに海にでかけて鎮魂

思索の集大成が

大拙に勧められた座禅を生涯徹底

― 西田の遺骸を前に号泣するほど深い関わりがあった。

『善の研究』として結晶しました。

苦難のことがどこにも書かれていないのが重要

― それが昇華という現象

― 善 とは  自己実現@ユング のこと

旧制高校の生徒らの

とても難解な心理学風の講義ノート

代表的な必読書となり

吉野源三郎らも影響を受けたものと推測されます。

2つの『君たちはどう生きるか』は

― 一太極二陰陽

善の研究から派生したものではないかと

座禅に打ち込み始めた時期に

円相図を好んで描いたり

曼荼羅なので

心理療法としても

哲学以外の物理・生物・文学など幅広い分野で

学問の神髄を掴み取ろうとしていたことは

昨日お誕生日の熊楠とよく似ていますね。

 3歳ちがい 

萃点と純粋経験

表現は違うけれども

2人は同じものをみていたのではないでしょうか。

そして

その見方が重要で

憑かれたように寝食忘れて没頭するくらい

今の心理学のいう

現象学とか

観察などというのは

かなり不徹底なのだと思います。

本当の意味では観察していないから

 「なんだか」「このあたりが」「何らかの」「うずらの卵のような」~「ゴルフボールみたいな」

(観察できないけど)「〇〇にちがいない」

いつまでも妄想世界に住んで

― 解脱 できない

苦しむことになる。

― 解放されない

南方熊楠PTSD治療研究人生の凄み

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本日お誕生日の南方熊楠

1867-1941

植物学者として知られていますが

昭和天皇にご進講

このときだけはかしこまって紳士に見える(^^♪

文字通り博学で

『十二支考』など民俗学まであり

曼荼羅と称される。

ネイチャーなどに論文もあるが

どちらかといえばコレクター&記録魔で

― マッチ箱やキャラメルの箱などに保管

― 現代の研究者からするとモッタイナイ才能

― ありのまま描写して記録するのは心理療法的💡

生き方そのものの表現が曼荼羅

その研究を支えた

たぐいまれな語学力は

驚異的な記憶力と

神童と呼ばれた。

常軌を逸した読書生活ではぐくまれたものでしたが

本は買ってもらえなかったので

蔵書家の家で本を見せてもらい

帰宅後ひたすら記憶から書写

PTSDの自己治療法であったことは

異常なかんしゃくもちで

一度怒り出すと手がつけられないほど凶暴になるなど

奇行が多かった。

― どこをとっても奇人の生活

自他共に認めるところだったようです。

両親など周囲の人々は頭を抱え

本人も自分の気性に自覚があって

生物学などの学問に打ち込んでいると

柳田國男宛の書簡で書いている。

最終的には

柳田國男から

日本人の可能性の極限」と称され

現代では「知の巨人」と評されるまでに昇華した。

― まさに曼荼羅のような人生はお菓子にも👇

お菓子の箱も多かったので

― 漱石とも出会っているらしい

―― 甘いものが好きすぎるのは脳🧠に悪かったかも🤔

心理学モデルがまた秀逸💕

わたしたちの生きるこの世界は

物理学などによって知ることのできる「物不思議」という領域

心理学などによって研究可能な領域である「心不思議

そして両者が交わるところである「事不思議」という領域

更に

推論・予知、いわば第六感で知ることができるような領域である「理不思議」で成り立ってる。

これらは人智を超えて

もはや知ることが不可能な「大日如来の大不思議」によって包まれている。

「大不思議」には内も外もなく区別も対立もない。

それは「完全」であるとともに「無」である。

この図の中心に当たる部分を熊楠は「萃点」と名づけ

「萃点」からものごとを考えることが

問題解決の最も近道であるとした。

― 華厳を読んだ形跡はないが何かと華厳経を熟知したような表現が多い。

松尾芭蕉『おくのほそ道』PTSD予防不易流行の作法

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1689年の5月16日

旧暦3月27日

西行500回忌なのでこの日にした。

松尾芭蕉は

『おくのほそ道』の旅に出たそうです。

伊賀の生まれで

45歳にして

約450里(1768キロメートル)に及ぶ旅程を踏破する健脚

奥さんみち連れ戦術は

忍者説@集合的無意識 から浮かび上がった表現かも🤔

いわゆる八百屋お七の火事で

ここではボヤ(小火)と書いてあるのですが

芭蕉庵を焼失し

再建されたものの

隠棲の儚さを痛感したことも大きな要因でしょうが

このあと

「笠」を題材とする句が目立ち

実際に自ら竹を裂いて笠を自作

「笠作りの翁」と名乗ることもあった。

「笠」を最小の「庵」と考え

風雨から身を守るに侘び住まいの芭蕉庵も

旅の笠も同じという思想を抱き

旅の中に身を置くようになった。

こんな感じの話

応無所住而生其心🙏

それで家出や出家をする。

― おしゃかさんも西行も妻子を捨てた。

崇徳天皇の霊を慕って

菅原道真、平将門と並ぶ日本3大怨霊のうち

― 理不尽な苦労の人生から生まれた物語

最強とされている。

讃岐へ行脚した

表現しながらの鎮魂の旅

― 永遠の心理療法

西行をまねたのも

江戸時代のオカルト本

『雨月物語』には

怨霊となった崇徳院と対話する「白峰」という話がある。

PTSD物語がサイコホラーとしては最強ということ

「不易流行」ですよね。
表向きはそれぞれだが
変わらない部分がある。
易陰陽五行説やPTSD理論も同様

ゴッホと精神科医の相互PTSD絵画療法

1990年の5月15日

ゴッホの描いた

医師ガシェの肖が落札されたそうです。

絵画史上最高の約125億円

この絵画の価値はどこにあるのでしょうか🤔

モデルの医師はゴッホの最期を診た精神科医

⇩この精神科医が描いた『死の床のファン・ゴッホ』⇩

― 死の床とはまさに臨床の語源

死の一か月前に描かれたものですから

これも遺書のようなものです。

デスノートのように語りかける内容がある。

1890年の

3月に

ゴッホはこの精神科医の診察を受け

家族ぐるみで親しくなり

転地療法として田舎に招かれた。

創作意欲がよみがえるなか

村で80点の作品

6月にこの絵を描いて

7月末に大けがをした

自殺未遂なのか否か議論されている。

2日後

37歳で死去しました。

弟も

1か月後にPTSD発作のため入院し

翌年1月に死去

ゴッホは

牧師の子ながら

― ユング同様リスキーな出自

―― 加えて兄死産の一年後に生まれた。

神学校に入れず

芸術家になった。

― 表現するために生まれてきた。

出会った瞬間に危険を感じつつも

同病と見抜き

――― 憂鬱質で絵画愛好家にして自らも絵画を描いていた。

一緒に破滅するのではないかと思った。

――― ピア・カウンセリングや当事者グループの危険性

運命に流されながら

トラウマが錨⚓に⁈

自己像を反転させた絵とともに

この頃

一番描きたかった肖像画は

ドラクロアの描いた

精神病院に幽閉されたトルクァート・タッソのような

肖像画だった。

心中したのでした。

モデルの精神科医は内なる医師ながら

― ヒポクラテスのいう内なる名医は自己治癒力

―― 日本人なら古事記の神々につながれば治癒

現実に存在する精神科医

― 内と外が一致してしまった。

ノリッジのジュリアン(1372)臨床PTSD理論と『君たちはどう生きるか』

5月13日は

ノリッジのジュリアン(30)が

1342‐1416頃

幻視を見た日です。

昔のことで

また女性ということで

その生涯はよくわからないのですが

匿名で書くことを望んだという説もあるが

教会の名前かクリスチャンネームとすれば

それこそが出家の証

― 〇〇山の▽▽和尚 @仏教

30歳で重病になり

死を見越した儀式が始まるや否や

臨床心理学の

臨床は

この死のむこと

視力を失い始め

身体が麻痺し始め

普通はまもなく息をひきとるものですが…

見えない目で☯十字架を見つめていると

架空

描かれたイエスが出血し始めるのが見えたのを発端として

いわゆる幻覚

数時間にわたり

イエスの15のビジョンを

次の夜には16個めのビジョンを見たあと

5月13日に

病気から完全に回復

奇跡

そのことで

涙を流すことを経験したあとに

神の愛の十六の啓示』を執筆したとされています。

女性が英語で書いた最古の著作

この遺作は

時空を超えて

書き手を

重要なキリスト教の神秘主義者として

神学者として復活させた。

混乱の時代に生き

ペストで家族を失ったかもしれないし

― コロナどころじゃない

宗教紛争が酷い時代

― 現在の心理ギョーカイに通じる普遍的問題

シングルマザーであったという説もある。

重病で瀕死の状態だったのですが

瀕死の状態だったからこそではありますが

彼女の獲得した神学には

PTSDが癒えると

― 治癒過程からして奇跡ではなくヒステリーでしょう。

人生観・価値観が変容する。

ネガティブなものはなく

トラウマのドロドロを扱わないと治らないという

誤解は多い。

自然治癒力を信じ

神の愛

その恩寵に感謝するものでした。

苦しみは罰ではなく

自己実現への道であることを

神(セルフ)に近づく道

「神は私たち自身の魂よりも私たちに近い」

神は私たちを完全と見なし

悪と罪がもはや私たちを妨げないように

人間の魂が成熟する日を待っている」

「イエスは…『すべてがうまくいき

すべてがうまくいき

すべてのものがうまくいく』…とても優しく言われました」

イメージとして表現したものでした。

神聖な愛を母性愛と同一視

― 聖書の預言者たちに見られるテーマ

神は私たちの母であり、父でもあるから

― 観音さまも同じ

三位一体なども

堅苦しく文字通り解釈するのではなく

隠喩とみなし

イエスについては母親として

妊娠、出産、離乳、養育についての

自分の考えに関連させて描いている。

イエスの受難が

神隠しの世界の

心霊上の事実

時を超えて彼女を復活させた構図ですが

このモチーフは

象徴として

文学に影響を与え

永遠によい連鎖をし続けています。

例えば

一つの完全に単純な状態

よろずのものやがて全きを得む

よろずのたぐいやがて全きを得む

そのとき炎の舌はことごとく抱き寄せられ

あい結ばれての王冠となり

かくて火とバラは一つになる。

この作品にも影響しているでしょう。

100年前にはこんな女性もいたそうです。

ユング心理学の源流はこのあたりなのでしょう。

西成で児童7人はねたレントゲン技師(28)もトラウマ誇示型PTSD解離復讐犯罪

東大前駅での殺人未遂事件は

わざわざ長野のゴミ屋敷から出向いたものでしたが

山頂(左)のようにハッピーターンならず

― 箱買いするくらい好き?

留置所宿泊中

大阪市西成区で

小学生7人が車にはねられ重軽傷を負った

殺人未遂事件も

東京から大阪へ移動しての犯行でした。

容疑者は東村山市の28歳

いろんな次元でリンクするPTSD解離事件の不思議

動機も苦労からの絶望で一致していますが

「苦労せずに生きている人が嫌だった」

すべてが嫌になったから

人を殺そうとして

乗っていた車で突っ込み

数人の小学校の生徒をひき殺そうとした」

東大前駅事件の容疑者と違って

教育虐待で不登校になり

生きていくうえで苦労したというのは

よくあるケースで理解できる。

大学を卒業後

放射線技師の仕事について自活していたので

うつ病が治ったあとが危険とはよく言われたものですが

不可解なところですが

警察は

ノートや日記を精査中

― 心理分析捜査🤔

この容疑者も

東大前駅事件の容疑者は

親の教育虐待に押しつぶされた恨みが

いかに壮絶なものであるか

世間に誇示したかった。

親子関係がストレスだったようなので

抜き打ちで

― 予告すると不在になるから

東京まで様子見に来られるのを疎ましく思っていた。

― 完全には拒絶できず半分くらいは会っていた。

自分の抱えている問題を

「おととしの大晦日から元日にかけて

自殺未遂をしたことがある」と父親

その後

病院を辞めて

― 両親は知らず

4月に実家に何かをとりに帰った。

明示するために地元に向かったのではないでしょうか。

父親は

自殺未遂したことは知っていたが

病院を辞めたことは知らず

報道で名前を聞いても

無職だったので別人と認識した。

容疑者をとりおさえて

東大前駅事件の容疑者が斬ったのはスクールカウンセリング制度

現在の学校に必要なのはスクールカウンセラーではなく刑事

現行犯逮捕したのが

大阪府警元刑事の学校支援員男性(70)という点にも

布置を感じます。

ある意味万博

東京メトロ東大前駅で斬りつけられたのはスクールカウンセリング制度~「宗教二世」「教育虐待」型PTSDの窮状

切りつけ事件が相次いでいますが

本日は阿倍野区路上で😱

東京メトロ

南北線

東大前駅

(東京都文京区)で

男性客が刃物で襲われた事件で

現行犯逮捕された

犯行後わずか1分というのも理由があった。

容疑者(43)は

殺人未遂と銃刀法違反容疑

中学時代に

「教育熱心な親のせいで不登校になり苦労した」ので

― PTSD発症 ⇒ 発達障害扱い ⇒ 未治療のまま苦しむ

「東大を目指した

教育熱心な世間の親たちに

あまりに度が過ぎると

子供がぐれて

私のように罪を犯すと示したかった」ので

「世間の人たちが教育虐待を連想しやすいと思ったから」

「たまたま近くにいたので狙った。

世間に自分の考えを示すことができれば

相手が死んでも死ななくてもどちらでもよかった」

― 殺人は目的ではなく手段だった。

東大前駅を選んだそうです。

宗教二世問題と同じ

貧困から安倍元首相暗殺

虐待問題ですから

問題の核心は

親ではなく

親も人間

トラウマが未消化で

教育方針がゆがむことはフツーにあることで

学校現場もいつも見ていると☯近すぎて見えないこともあるから

― あの家はああいう家 本校のことなかれ隠ぺい体質は伝統

―――  集合的無意識@家庭・学校篇

―――― もはや宗教のような習慣・慣習・常識  ☯ 外部では非常識

風通しをよくするために外部から専門職が派遣された。

― 国は専門性が高くならないようにだけ配慮した。

――― しぶりにしぶって 得て公🐒心理士を 国家資格にしたのが最近

スクールカウンセリング制度ではないでしょうか。

教科書的なスクールカウンセラーならば

― 得て公🐒も一応習っているハズのいろはのい@基本

学校に行けないという状態に象徴的な意味を感じ

― こどもの問題行動はSOSのサイン

よく事情を聴いて

家族療法的に解決しようとしていたハズ

― もちろん精神科に丸投げしたりはしない。

少なくとも窮状は伝わっているから

― 仮に親がそのままであったとしても荷物が軽くなる。

後に殺人未遂事件を起こすことはない。

ハッピードラッグのイメージかな…(^^♪

ゴミ屋敷の左の山頂にハッピーターン

やっぱり同じ中毒性😱

『金枝篇』のフレイザー忌 ~『崖の上のポニョ』から『君たちはどう生きるか』まで

本日は

金枝篇の著者である

畢生の大作

― 13巻  のちに一冊の簡略本

完成させるために半生を費やした。

― 40年

フレイザーの亡くなった日です。

Sir James George Frazer

1854年1月1日から1941年5月7日

イギリスの社会人理学者・古典学者

原始宗教や儀礼・神話・習慣などの比較研究

集合的無意識についての研究ですから

ユング心理学の全盛期には大変注目されたものです。

『スター・ウォーズ』や『地獄の黙示録』にも影響を与えたものですが

どちらも特殊部隊の戦争ものというのが面白い。

イタリアのある村の

聖なる湖と

― 集合的無意識の水辺

切り立ったの真下に聖なる木立があり

― 如人千尺懸崖上樹

― 登竜門

聖なる樹が生えていた。

その木の枝である金枝のお話

祭司になる条件というのが

タブー中のタブー

ポニョと重なります。

その聖なる金枝を手折るのはタブーだが

例外的に逃亡奴隷だけは折る事が許されていて

― 家出するポニョ

①金枝をもってきて

現在の王を殺害した逃亡奴隷でなければ

― 殺仏殺祖   ~キリスト教にはないでしょう。

祭司になれない。

戦争オタクで知られる

単なる戦闘好きではなく

戦争トラウマの昇華としての哲学

宮崎駿の最期の作品も

そんな神話に関するお話です。

神隠しの世界

― 大叔父の築き上げた世界は主人公に否定され崩壊

― ― 殺仏殺祖