イメージ表現の実際」カテゴリーアーカイブ

空海と『君たちはどう生きるか』大叔父のPTSD解離性遁走

本日は

真言宗では

本当はよくわからない

空海のお誕生日ということになっているそうです。

銅像になる偉人は多けれど

今でも人気で

ミニチュアがあるのが凄いですが

実物よりは小さいですが

箱庭にはちょっと…

売る気がないと評判です。

期間限定とはいえ

空海のバーゲンはちょっと…

なんと

玄奘三蔵の孫弟子らしいですね。

それで

砂漠で見た妄想が『西遊記』

― 砂漠は自分なくしの旅で瞑想の場

―― 昔のお坊さんは心身剛健💪だったのですね。

伝説が多いのかな。

得て公🐒心理師のルーツ(^^♪

『君たちはどう生きるか』の

神隠しの舞台は

大叔父失踪の謎

― 解離性遁走

頭が良すぎて本を読み過ぎて

…何に傷ついた?

ここからの発想だと私は思いました。

アリエッティはこれ

頭がいいことでも有名ですが

20年かかるところを2年で学んだ。

魔法のような直観が働く。

イメージで把握するからじゃないかとも思いました。

よく頭の良い人は字がめちゃくちゃと言われるアレです。

― 文字は論理

法網をくぐるなんて言う言葉は

くぐってはならないけど

論☯理を超える人がいる。

― 有為の奥山けふ超えて… がいろは(基本)とは…

玄奘の密出国

空海の年季約束違反からきているかもしれないですね。

得て公🐒心理師で拍子(^^♪

― 蔵とか徳山仏寺

『借りぐらしのアリエッティ』忘れ物とPTSD

アメブロさんが

最近忘れ物をして困ったものは?とお訊ねです。

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健忘症と言えば

解離性健忘症

認知症の一種ですが

認知のゆがみと言えばPTSD

老人に特有なものというのは

昔の都市伝説でしたね。

『借りぐらしのアリエッティ』でも

わすれものがテーマの1つだったりしました。

わすれものがあると

いろいろ工夫して

(仮じゃなくて)

借りぐらし

― 禅寺のようにめぐりあわせで工夫

豊かに暮らしているのに

ある日突然

怖いお手伝いさんに目をつけられるようなことがあるんですよね。

全部たとえ話です。

建物が

神隠しの舞台となった

集合的無意識

ポニョからの続きのお話でした。

禅の公案

最後まで生き方の心理学でしたね。

 

お江戸の心理学と幽霊(イメージ)と夢記など

我が国にも

江戸時代には

宣教師が教える

英語学校で

― 現在の有名私大

西洋の心理学を学ぶ人も出てくる少し前

心理学のようなものがあったらしく

― 神学@キリスト教 っぽい

手島堵庵という人は

1718‐1786

6月12日生まれだそうです。

石田梅岩を開祖とする

倫理学の一派で

平民のための平易で実践的な道徳

― 宗教・思想を身近な例を使って平易に説いた。

―― 現代でも企業が好む道徳らしい。

人間を真の人間たらしめる性質を

「あるがまま」の姿において把握しようとしたのは

純粋経験の考え方や

明恵のあるべきようわに通じます。

阿留辺畿夜宇

あるべきように(しましょう)ではなく

― ふつうの道徳とか倫理

あるべきようは(どのようですか)?と自分に問い続ける。

 一太極二陰陽 

高僧も哲学者も悩んで大きくなった。

夢分析はユング派の専売特許じゃない💡

円山応挙の産まれた日でもありますね。

1733‐1795

「足のない幽霊」を描き始めた画家という

実際はもっと前からある。

なぜなら

鬼👹同様

陰陽五行説からつくられたイメージだから

伝説があり

伝説になる生きざまが天才の特徴

「応挙の幽霊」は

たくさんのお寺に奉じられ

お寺は

難しいような☯楽しいような

怖いような☯優しいような

不思議な場所

落語にもなるなど

応挙は

左甚五郎のように名人として神格化されていましたが…

― 多分、崇めて考察するのは当時の流行🤔

令和版⁈

― 本質はきちんと伝承されていると思うのデス

象徴性があります。

近過去の発達障害は1984系『動物農場』『約束のネバーランド』

1949年の6月8日に発刊された

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『1984年』

1949年に

結核で苦しんでいて

療養のために中断されたわけで

1944年には構想は固まっていた。

― 戦後の発想ではない

想像された

全体主義国家によって

分割統治された近未来世界の恐怖

ディストピアSF小説で

dystopia

理想郷の反対

暗黒世界💀を描いた作品

欧米での評価が高く

日本では

村上春樹👇ファンがカブレた。

土台にして近過去の小説を書こうとして

― 地下鉄サリン事件の傍聴を続けていた頃

普通の人間が

― 犯罪者人格ではなかった。

運命に翻弄されて

気がつけば

― 月の裏側に🌒一人残されたような存在

いつ殺害されるかわからない

死刑囚となる恐怖について想像

― 恐怖心が作品をつくった。

―― 発症するか☯ヒットするか

思想・文学・音楽など

様々な分野に今なお多大な影響を与え続けていますが

これが洗脳的に働き

― 集合的無意識的に畏れている内容の言語化

ディストピア💀を促進させたかもしれない。

構想は

前作の『動物農場』において

Animal Farm

1945年8月17日刊行

意識されていたようです。

無意識の産物ではない = 三文小説

ある農場の

マナー農場と名づけることで

― 荘園(manor)は資産家の邸宅ではありますが

人間社会の話の比喩であることを明示

家畜たちが

わかりやすい比喩🐄🐷🐴🐓🐶分類

劣悪な農場主を追い出して

アルコール中毒の怠け者

トップが各種依存症など

未治療PTSDという組織は案外あるのですよね。

理想的な共和国を築こうとするも

家畜たちは不満を感じて

― 近未来の人間は大いなるあきらめ&忖度(>_<)

毎日集会を開き

革命を起こし成功したが…

指導者の豚が独裁者に化けてしまい(>_<)

ここからは近未来の人間社会と似ている。

マニフェスト病のインコ(烏合の衆)大王は

― 自己実現しようとする主人公を騙して殺害しようとした

1984の独裁者豚🐷かも

恐怖政治に変貌していく過程は

個性化の過程の真逆

― ユートピアとディストピア

PTSDをとりまく業界の写しでもあるようです。

やっと…

精神科はオカシイとなり

臨床心理学を学ぶ人も増え

誤読だらけながら

基本はほぼ常識化するまでに浸透

― 子どもでも知ってる時代

国家資格もできましたが…

『約束のネバーランド』はこの批判ではないでしょうか。

飼われていた犬たちは

領主が代わると立場を変えるわけですが

― 文字通り〇〇の🐶  犬格はない

早期に母親から離すようになってから

― マターナルデプリベーション ⇒ PTSD犬

コントロールしやすくなったようです。

牧畜みたいな構造は変わりません。

伝教大師忌【山家会】

本日6月4日は

最澄の命日です。

旧暦だから実際は6月26日

伝教大師ですが

高祖智顗(ちぎ)

天台教学を

― 仏教全体の教義体系  @唐

日本に伝え

比叡山を開いて教え弘めた。

― 比叡山を鬼から守るのは陰陽五行説

天台宗では

日本仏教の母山 

⇒ ここから様々な開祖や教えが展開

開祖として

現代に至るまで尊崇される存在です。

2021年の

6月4日には

入寂後1200年の大遠忌法要が執り行われた。

天台宗のイメージは

① 仏教なので

すべての人に

平等に

仏性があるというのが大前提で

虫にもあるとおとぎ話やジブリは見る。

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自己実現のが存在する  = 法 

② そのは日本文化にあるとして

座禅・念仏・護摩供・巡礼・写経だけではなく

― 瞑想の方法いろいろ

茶道、華道から

― 〇〇道

絵画、彫刻などの芸術

日常の生活に至るまで

― 何かと工夫しつくり表現するもの

真実を探し求める心(心)があれば

そのままそれが悟りに至る道であると書いてある。

― もっとも明確なのは法華経とのこと

一隅を照らすのようです。

比叡山延暦寺の不滅の法灯のように

― 1200年以上灯り続けているシンボル(象徴)

置かれた場所で

できることを精一杯やることが

― ありがとう・お疲れさまと声をかける・困っている人にさりげなく手を貸す

やがて周りを明るくし

社会全体を照らす力になるという教え

より善く生きるという哲学ですね。

サイコセラピー型心理療法あるある『こんにゃく問答』

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仏教伝来とともに

朝鮮半島から伝わったというのなら

東南アジアの広い地域で常食されていそうなものですが

普通に煮たり焼いたりしても食べられないものなので

喰えない奴

― 落語の常連

食と人間はつながっているので

何でも食べる中国人が

動物の鳴き声以外

工夫し  @3世紀頃までに

猪も振り向かないゴツゴツした芋を

丁寧に洗って皮を適当に剥き

摺り下ろして鍋に入れ

それではエグくて食べようもないので

灰汁で煮て固めて食べていた。

江戸時代の日本で

茨城県のお百姓さんが

インスタントラーメンの発明者安藤百福さんより凄いかも

― 安くて早くておいしいラーメンなどできるはずがないと考えられていた。

日夜研究に精進

乾燥させて杵でついて粉にする方法を考案

腐りやすくて保存が難しかった。

広く常食されるようになったそうです。

このように手間を惜しまず

結果を期待せずにつくるのが

精進料理というもので

「精進」は

仏教の実践法である六波羅密の一つ

肉食を禁じるというという意味ではなかった。

― 結果的に少なくなるだけで

反対にあるのが

🍟ファストフード🍔です。

簡単に食べられる。

食事は宗教行事なので

ご馳走さまで

― 調達も大変

簡単に食べてはいけない。

落語の『こんにゃく問答』は面白いですね。

心理療法は禅問答のようなもので

言葉だけを聞いていると

世間話をしているうちに治るし

― 間違っても説明したりしない。

そもそも会話がなかったりもする。

それなりに見えることもあるけど

全然違う会話をしていたということ

よくあります。

 

続く

吸血鬼ドラキュラ誕生とPTSDについての一考察

5月26日は

吸血鬼ドラキュラ』が発刊された日だそうです。

グロテスクなのでイメージ画だけ…

1897年

万人の恐怖心をとらえることに成功し

当時の水準において

あまりにも恐怖を煽りすぎていると

評価され⁈  つつ

― 批判もあり賛否両論 は 大ヒットの証

多くの映画で翻案化

― PTSD事案は連鎖するもの

象徴的存在となりました。

ドラキュラ伯爵は吸血鬼の代名詞的存在

― 他の追随を許さない

神隠し的手法がとられており

複数の語り手による

手紙や日記

新聞記事という形で展開されるスタイル

事実と空想が交錯しているのも

史実と似通った事象もあるが

― インスピレーションを受けただけというのがほとんど

民間伝承や歴史を広く参照した

100ページを超えるメモのなかにその痕跡はなく

「ドラキュラ」という命名すらが

作者の勘違いであったりする。

― 図書館で悪魔👿を意味する言葉を見つけた …と思った。

世界中を旅したが

『吸血鬼ドラキュラ』の舞台となった東欧は訪れていない。

― ジブリの神隠し物語 も『藪の中』的構造

―― 時空を超えて隠されたこころ(神)について討論

怪奇小説です。

最高のサイコホラーは

現実のPTSD事案に限りなく近いものであるハズ

― 事実は小説よりなり

吸血鬼が

ひとりの貴族で

多くの物語の主人公は王さま@王家

学者らのグループが討伐するという構図が興味深いです。

PTSD事案を専門家チームが分析

作者の

ブラム・ストーカー

アイルランドの首都ダブリンの生まれで

家族はアイルランド聖公会の信徒

昔からこういう土地

就学前まで原因不明の病で寝たきりだったのが

「私は生まれつき思慮深く

長い闘病生活で生じた余暇は思考する時間を与えてくれた。

これが後に種類に応じて実りあるものになった」

― ミルトン・エリクソン的

大学時代はスポーツ選手として活躍

アドラーの過補償はトラウマあるある

副業として

大卒後は父と同じくアイルランド行政の公務員になった。

文芸活動をするうちに

ひろく読んでもらいたかっただけで

報酬はあまり受け取っていないらしい。

友人のオスカー・ワイルド

結婚した妻は

美人として有名で

たくさんの求婚者がいて

その一人だったオスカーワイルドは大激怒💢

絶交していた時期もあるが

ワイルドの没落後には

彼と会うためストーカーが大陸に旅行

― 錯綜した関係

同性愛罪で投獄された1ヶ月後に

主人公が閉じ込められているうちに

ドラキュラが暗躍

求婚者にも接近しようとするが…

最後はハッピーエンド💕

この作品を執筆し始め

1912年4月20日

謎の病気で亡くなり

運動失調症

― 梅毒の進行麻痺ならばドラキュラ治療が必要🤔

未発表作が妻により出版されているのは奇遇でしょうか。

タップダンス ~アフリカ系アメリカ人の表現の自由

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「タップの神様」のお誕生日

太鼓🥁など伝統的な楽器による表現を

理不尽な日々の労働後

― 歴史的な虐待環境

せめてドラムを打ち鳴らすことで

感情を表現していた人々

禁じられたことから生まれた表現方法だそうです。

地団駄を踏むところ

即物的即座的

駄々をこねるとも言う。

クイーンのこの曲はタップダンスを連想させる。

― のちに洗練されたドラムバージョン

― 泥臭いオリジナル

― ― 死のトラウマと格闘中の本人による表現なので

軽やかで洗練された表現です。

それを支える

優れた身体能力とリズム感

― アフリカ系アメリカ人(Afro-American)特有のしなやかなエレガンス

日本語では

地蹈韛を踏むともいい

たたら(蹈鞴)は ふいご

― 番子さんたち   ⇒代わりばんこで踏みぬく

― 独りだとこうなるので…(^^♪

鉄をつくります。

さらには刀など武器だけど芸術品に昇華

― ジブリ作品特有の気表現

―― Hと感官(A~H)

このあと生まれた🎶🎺ジャズ🎷🎶も同様ですね。

こころを

リラックスさせ

深く癒す効果があるのも納得

西田幾多郎と南方熊楠PTSD解脱のための現象学

5月19日は

西田幾多郎先生のお誕生日です。

なんと

フィヒテと同じ日💡

― 子フィヒテも哲学者

生まれながらの自殺を決心するほどの貧困に苦しむも

教会でゲルマン神話を聴いたことや

― 読解力が天才的というのが命綱

   無意識の図書館

前記事の熊楠のような記憶力に救われ

― 聴きそびれた人に教えることが仕事になり始める。

著名な哲学者になった人物です。

人がどんな哲学を選ぶかはその人間がどんな人間かによる」という言葉が有名。

― この生涯もPTSD予防からの自己実現の一事例

死別を経験し

誰にも避けられないことながら

肉親(姉・弟・娘2人・長男)の立て続けの死

学校には一貫して不適応

規則ずくめの校風に反抗し退学処分

翌年に東大に入るも選科だったので冷遇

負けずに勉強して教職を得ても

学校内での内紛で失職するなどして

在職校を点々とした。

父の事業失敗による破産等

妻と一度離縁

多くの苦難を味わったあと

そのたびに海にでかけて鎮魂

思索の集大成が

大拙に勧められた座禅を生涯徹底

― 西田の遺骸を前に号泣するほど深い関わりがあった。

『善の研究』として結晶しました。

苦難のことがどこにも書かれていないのが重要

― それが昇華という現象

― 善 とは  自己実現@ユング のこと

旧制高校の生徒らの

とても難解な心理学風の講義ノート

代表的な必読書となり

吉野源三郎らも影響を受けたものと推測されます。

2つの『君たちはどう生きるか』は

― 一太極二陰陽

善の研究から派生したものではないかと

座禅に打ち込み始めた時期に

円相図を好んで描いたり

曼荼羅なので

心理療法としても

哲学以外の物理・生物・文学など幅広い分野で

学問の神髄を掴み取ろうとしていたことは

昨日お誕生日の熊楠とよく似ていますね。

 3歳ちがい 

萃点と純粋経験

表現は違うけれども

2人は同じものをみていたのではないでしょうか。

そして

その見方が重要で

憑かれたように寝食忘れて没頭するくらい

今の心理学のいう

現象学とか

観察などというのは

かなり不徹底なのだと思います。

本当の意味では観察していないから

 「なんだか」「このあたりが」「何らかの」「うずらの卵のような」~「ゴルフボールみたいな」

(観察できないけど)「〇〇にちがいない」

いつまでも妄想世界に住んで

― 解脱 できない

苦しむことになる。

― 解放されない

南方熊楠PTSD治療研究人生の凄み

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本日お誕生日の南方熊楠

1867-1941

植物学者として知られていますが

昭和天皇にご進講

このときだけはかしこまって紳士に見える(^^♪

文字通り博学で

『十二支考』など民俗学まであり

曼荼羅と称される。

ネイチャーなどに論文もあるが

どちらかといえばコレクター&記録魔で

― マッチ箱やキャラメルの箱などに保管

― 現代の研究者からするとモッタイナイ才能

― ありのまま描写して記録するのは心理療法的💡

生き方そのものの表現が曼荼羅

その研究を支えた

たぐいまれな語学力は

驚異的な記憶力と

神童と呼ばれた。

常軌を逸した読書生活ではぐくまれたものでしたが

本は買ってもらえなかったので

蔵書家の家で本を見せてもらい

帰宅後ひたすら記憶から書写

PTSDの自己治療法であったことは

異常なかんしゃくもちで

一度怒り出すと手がつけられないほど凶暴になるなど

奇行が多かった。

― どこをとっても奇人の生活

自他共に認めるところだったようです。

両親など周囲の人々は頭を抱え

本人も自分の気性に自覚があって

生物学などの学問に打ち込んでいると

柳田國男宛の書簡で書いている。

最終的には

柳田國男から

日本人の可能性の極限」と称され

現代では「知の巨人」と評されるまでに昇華した。

― まさに曼荼羅のような人生はお菓子にも👇

お菓子の箱も多かったので

― 漱石とも出会っているらしい

―― 甘いものが好きすぎるのは脳🧠に悪かったかも🤔

心理学モデルがまた秀逸💕

わたしたちの生きるこの世界は

物理学などによって知ることのできる「物不思議」という領域

心理学などによって研究可能な領域である「心不思議

そして両者が交わるところである「事不思議」という領域

更に

推論・予知、いわば第六感で知ることができるような領域である「理不思議」で成り立ってる。

これらは人智を超えて

もはや知ることが不可能な「大日如来の大不思議」によって包まれている。

「大不思議」には内も外もなく区別も対立もない。

それは「完全」であるとともに「無」である。

この図の中心に当たる部分を熊楠は「萃点」と名づけ

「萃点」からものごとを考えることが

問題解決の最も近道であるとした。

― 華厳を読んだ形跡はないが何かと華厳経を熟知したような表現が多い。