恐竜(の表象)も凍えながら時代の変化を伝えてます。
本日は起源の日です。
終戦か敗戦か
得て公🐵心理士に任せてよいのか…
言の葉(単語でも喃語でも)に精神が宿ります。
言葉はウソ発見器ですね。
嘘が好きな国民にならないで。
恐竜(の表象)も凍えながら時代の変化を伝えてます。
本日は起源の日です。
終戦か敗戦か
得て公🐵心理士に任せてよいのか…
言の葉(単語でも喃語でも)に精神が宿ります。
言葉はウソ発見器ですね。
嘘が好きな国民にならないで。
美味しいものが増える秋ですね。
楽しむのは人生の醍醐味ですが
エサじゃなくて文化
食べ過ぎとなれば
何事も過ぎれば☯及ばざるがごとし…
では済まない。
摂食障障害@PTSDの依存症 となります。
柿も
昔は身近にある木で
売り物ではなかったような…
食べ過ぎれば
緊急手術…!? 柿胃石症となる可能性があるそうですよ。
断食博士の甲田先生は
干し柿が案外危険⚠だと書かれていたような。
柿と言えば…
柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
作者の正岡子規は
闘病記ののちに
28歳で従軍記者になり
中国で結核をもらい
脊椎カリエスをリュウマチと誤解しながら
腰痛に苦しんだ。
夭逝したわけですが
35歳
大の柿好きで
大和の名産品「御所柿」
最後の旅となるとも知らず
宿で聴いた
東大寺の初夜の鐘(午後八時ころ鳴らす鐘)を
茶店で聴いた法隆寺の鐘に替えたそうです。
当日の雨の仕業かもしれないし
― ちょっと変性意識となり現実離れする。
『病牀六尺』等の
病状から奈良に行ったことすら虚構だった説もある。
最期の詠みは
「柿くふも 今年ばかりと 思ひけり」ですが
9月なので実際は食べられなかったというのも
興味深いお話ですね。
甘いもの依存症で亡くなった
診断名は胃潰瘍
現実的にはDV@PTSD も発症
ロンドン時代は統合失調症を疑われるほど重症
漱石は
同窓生で
漱石の名前はあげたものだそうです。
たくさん名前を持っていた。
名前には呪術的意味がありますよ
洗脳とか負の連鎖とか
名前=☘説とか
侮ることなかれ☆彡
秋篠宮家の長女
眞子さまの結婚が延期され
生涯において品位が保たれるかが問題になっている。
品位が問題になっている裁判官は
LGBTでもOK派
すべて水面下でつながっていたので
水脈議員もスラップ訴訟で東京地裁に呼ばれている。
主張が【あべこべ】でしょう?!
両家は苦悩でPTSD予防中です。
宮家としては会見
国民が納得するかたちに整えるべきとのご意向
平安貴族も
人生における理不尽でどうしようもない悲哀には
男性も
月をみて『哀しい…』等と表現してきた。
小室圭さんは文書を公表
無意識がこういうことを予想して
法律家を目指されていたのかも❣
しかも
アメリカにまで行く必要があった。
雅子さまもアメリカの大使館に
パキシルのことを問い合わせ
バッシングされた。
この国の不思議
最後に
小室圭さんのご母堂が心中を語られたそうです。
本来ならば
こころ静かに行われるはずのこころの作業です。
配偶者との死別や
自死なので突然知らされたと推測される。
婚約破棄されたときのショック
「あまりに突然の事でビックリ」したと回想
金銭問題まで蒸し返され
誠意を尽くして話し合い
終わったと思っていたので「衝撃を受けました」
一連の報道に「いつ死んでもいいと」思うようになり
「いつ死んでもいいと思うこともありました。
明日死のうと。
今だってそう思うことはあります。
本当に心身ともにつらくて…。
誤った話が広まるのは本当に苦しい。
一つ一つ訂正してもキリがないくらい」
それを息子さんが弁明しても
「実際の経緯をある程度明らかにすることで
“金銭トラブル”と言われている事柄に関する
誤った情報をできる範囲で訂正すること」を目的に
28枚に及ぶ文書を公表
火に油を注ぐ始末でした。
SNS法廷
それを集中治療室(ICU)で聞かされたというのは
「麻酔で意識がもうろうとしているときに
病院の人から
『なんか文書が出てすごい騒ぎですよ!』と言われて」驚いた。
最大の驚きです。
どういう結果が正しいのかはわかりませんが
こころのケアの作法としてデタラメでしょう。
とどめに洗脳ですよ。
しかも
麻酔が効いてる【あかんやつ】です。
弾劾裁判官が解離したとき
【洗脳】と言ってしまったのも不思議な偶然の一致
この国には
こころのケアなんかないのです。
二次被害や二次受傷への配慮など
本に書いてあるだけです。
しかし
国民には現状を変えることができます。
本来ならば
2年前にご結婚されていたはずの
両性の合意で可能なはずだが
戸籍もない無私の象徴的存在
ご両親もこのハードルを越えてご成婚
眞子さまですが
宮内庁は今年も延期を発表しました。
袷を着るには暑いと思えば
(着物警察に怒られる話です)
11月の七夕?
眞子さまは
1月に
《望月に月の兎が棲まふかと思ふ心を持ちつぎゆかな》と詠まれ
無意識的表現が先行
今月お気持ちを明らかにされました。
うたに示されたような感性を忘れないようにするという
科学的合理的思考では無理です。
こころのケアの基本に
「月が奇麗ですね」は<I LOVE YOU>という
漱石の意訳があるとの俗説
3年前の婚約内定会見で
小室圭さんは
《ある日、夜空にきれいな月を見つけ
そのとき、思わず宮さまにお電話をいたしました。
その後も、きれいな月を見つけますとうれしくなり
宮さまにお電話をおかけしています。
宮さまは私のことを月のように静かに見守ってくださる存在でございます》
象徴性が込められていて流石ですね。
言葉による精神分析には限界がありますが
こういう深い次元の表現が
和歌の歴史にはあり格別です。
新しき
年の初めの
初春の
今日降る雪の
いや重け吉事
―万葉集のラスト
新年の初春の今日
いま降っている
この雪のように
もっと積もれ
良い事よ
大伴家持は
前年の六月に
因幡の国守として赴任
―左遷
初めて迎えた正月ですが
山陰の冬の空のように
暗いこころで
因幡国の役所で
部下や村々の長を前にして
詠んだ歌だそうで
この後は
歌を忘れたカナリアになったそうです。
正月の大雪は
豊年の瑞兆と考えられていました。
―『冬のソナタ』でも
現実の雪と枯葉を使った
見立ての雪の遊びが
印象的
雪は「昇華」の象徴の1つ
陰陽五行説では
二重を大事にします。
― 一重では机上論
二重で実現
個人の思いは
なかなか時代に反映されなかったり
しますが
万葉集として
日の目をみて
―日本人のこころの歴史
歴史的身体であり(西田哲学)
集合的無意識(ユング)
後に全体像を
示すものになります。
PTSD研究も
そういうことになるでしょう。
後にならないと
観えないこともあります。
因幡と言えば
ジブリも最新作で
「待つとし聞かば
いま帰りこむ」という
うたを中心に
日本最古の物語を
再考しました。
朝日新聞天声人語も
栄枯盛衰の憂き目を感じながら
淡々と何事もないかのように
今まで通りの希望を
書いているのでは
ないかな?