知り合った子たちが
降りようとするのを見て
ジョバンニは寂しくなり
「僕たちと一緒に乗って行こう。
僕たちどこまでだって行ける切符持ってるんだ」
と引き止めます。
しかし女の子は
「だけどあたしたちもうここで
降りなけぁいけないのよ。
ここ天上へ行くとこなんだから」と
云います。
ジョバンニは
「天上なんか行かなくたって
いいじゃないか。
ぼくたちここで
天上よりももっといいとこを ←殺仏殺祖
こさえなけぁいけないって
僕の先生が云ってたよ」
女の子
「だっておっ母さんも行ってらっしゃるし
それに神さまが仰っしゃるんだわ」
ジョバンニ「そんなのうその神さまだい」
子どもたちは
キリスト教的なハッピーエンドを ←適応論
目指しています。
人生の大事なことは
神さまが決めることで ←発達障害あつかいです。
祖先もそうしてきたように自分もするのです。
普遍的無意識の中で
完結した人生です。
家庭問題があり
こころに闇を抱える
ジョバンニは
仏教的なネバーエンディングストーリーを ←自己実現
目指します。
自己実現は個性化の過程とも
言います。
永遠に進化し続けるのです。
PTSD克服は
個性化の過程なのです。
賢治は暗いとただ断罪するような
臨床家はダメですよ! ←殆どですが…
「宮沢賢治」カテゴリーアーカイブ
『雨ニモマケズ』と大円鏡智
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ ←玄米菜食
アラユルコトヲ
ジブンヲカンヂャウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
法華経とキリスト教との
間でゆれた
賢治ですが
これは仏教的です。
自分を計算に入れないで
(いないと考えて)
物事を判断する。
鏡のような
―私は美しく
あの人は映さない
という好き嫌いの感情がない
客観性を身につけられたら
生き易くなるのでしょうね。
楽しい記憶も
辛い記憶も
映画のスクリーンを観るように
想起する練習から
始めたらいいかもしれません。
行動療法の
プログラミングにも
採用すべきところは
あります。
続きを読む
『雨ニモマケズ』と大円鏡智
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ ←玄米菜食
アラユルコトヲ
ジブンヲカンヂャウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
法華経とキリスト教との
間でゆれた
賢治ですが
これは仏教的です。
自分を計算に入れないで
(いないと考えて)
物事を判断する。
鏡のような
―私は美しく
あの人は映さない
という好き嫌いの感情がない
客観性を身につけられたら
生き易くなるのでしょうね。
楽しい記憶も
辛い記憶も
映画のスクリーンを観るように
想起する練習から
始めたらいいかもしれません。
行動療法の
プログラミングにも
採用すべきところは
あります。
銀河鉄道999のメーテルと観音菩薩のイメージ
「夜汽車で
空を見ていると
宇宙を飛んでいる
気分になる。
退屈だけど
気持ちは高ぶって
眠れない。
そこで
空想したんです。
向かいに
絶世の美女が黙って座っている
と」
18歳で上京する
夜汽車のなかで
見た幻影が
長い長い時を経て
形になったのが
メーテルだそうです。
自分探しの
旅という
目に見えない
通過儀礼の
不安や畏れ
を見守るのは
日本では
メーテルのような
イメージ
なんでしょうね。
内なるアニマ
の元型ですが
聖母マリアとは
ちょっと
違い
「落ち着いた大人」
といった感じですが
虚勢を張りながら
真の勇気を持たぬ者
傲慢な者
生命を軽んじる者には
怒りを表し
時には
激情にかられる
描写もあります。
宇宙を1つに
しようとする人なら
みな知っている
有名人だそうで
ならば
それは
観音菩薩の
イメージを
現代風に
アレンジしたものでしょう
と私は
思います。
仏教は
日本人のこころに
まだまだしっかり
根づいていて
大事なときには
無意識にある
イメージが
その人を救ってくれます。
観音さまは
姿を変えるのを
特徴としています。
(お寺の仏像そのまま
出てきたら
怖いですから
その人が好きな
安心できるイメージで
感じられるのです)
PTSDも
メーテルのような
慈悲の
護りのなか
克服されるのでしょう。
ただ優しいだけではなく
ただ美しいだけではなく
強さも必要なんですね。
命を軽んじる
傲慢な誤診や
現状を直視する
勇気を持たない
専門家たちは
そのうち
メーテルに
イヤリングを
投げつけられる
ことでしょう。
続きを読む
銀河鉄道999のメーテルと観音菩薩のイメージ
「夜汽車で
空を見ていると
宇宙を飛んでいる
気分になる。
退屈だけど
気持ちは高ぶって
眠れない。
そこで
空想したんです。
向かいに
絶世の美女が黙って座っている
と」
18歳で上京する
夜汽車のなかで
見た幻影が
長い長い時を経て
形になったのが
メーテルだそうです。
自分探しの
旅という
目に見えない
通過儀礼の
不安や畏れ
を見守るのは
日本では
メーテルのような
イメージ
なんでしょうね。
内なるアニマ
の元型ですが
聖母マリアとは
ちょっと
違い
「落ち着いた大人」
といった感じですが
虚勢を張りながら
真の勇気を持たぬ者
傲慢な者
生命を軽んじる者には
怒りを表し
時には
激情にかられる
描写もあります。
宇宙を1つに
しようとする人なら
みな知っている
有名人だそうで
ならば
それは
観音菩薩の
イメージを
現代風に
アレンジしたものでしょう
と私は
思います。
仏教は
日本人のこころに
まだまだしっかり
根づいていて
大事なときには
無意識にある
イメージが
その人を救ってくれます。
観音さまは
姿を変えるのを
特徴としています。
(お寺の仏像そのまま
出てきたら
怖いですから
その人が好きな
安心できるイメージで
感じられるのです)
PTSDも
メーテルのような
慈悲の
護りのなか
克服されるのでしょう。
ただ優しいだけではなく
ただ美しいだけではなく
強さも必要なんですね。
命を軽んじる
傲慢な誤診や
現状を直視する
勇気を持たない
専門家たちは
そのうち
メーテルに
イヤリングを
投げつけられる
ことでしょう。