正法眼蔵」カテゴリーアーカイブ

ユング心理学からみたこもりの僧が造るお花の【象徴】的意味

もうすぐ
お水取り
 ―東大寺修二会
 これで春が来ます桜
お坊さん達は
もう準備に入っておられます。
 ―こもりの僧ですよ。
 ひきこもりも上手にしたら
 万能なのですよ。
 (森田療法とかは
  ここから生まれたものです)
華厳経のお寺ですから
お花を作ります。
PTSD研究家翠雨の日記
しかめっ面して
坐禅したり
お経を読んでるだけじゃないんですね。
正法眼蔵には
『空華』なんて
ありますが
何も
絵空事のお花では
ありません。
こころのなかの
生きたお花の話です。  ←【変容の象徴】
目には見えないけど
儀式のことや
みんなのことを思いながら
手を動かすことで
心の中に
うまれるものが
確かにあります。
 ―心理療法の原形です。
$PTSD研究家翠雨の日記
向かい合うものの
あいだに
お花があります。
 ―『借りぐらしのアリエッティ』
$PTSD研究家翠雨の日記
 ―【一即多 多即一】は
  華厳経の教えです。
  

『親鸞と道元』PTSD克服における他力と自力

$PTSD研究家翠雨の日記
他力の親鸞
自力の道元

ですね。
道元は
菩提心を
 ―個性化しようとするこころ
 自己実現しようとするこころ
 変わろうとするこころ
起こせ!と言います。
それだけでよいと。
それが自力ですネ。
 ―人に起こしてもらうのでは
 ないのですひらめき電球
親鸞は
善人でも救われるのだから
悪人はもっと救われるはずだと言います。
これは都合よく解釈されると
とんでもないことに
なりますが
 ―実際
 恐ろしく勘違いが多いあせる
そもそも
悪人に見える人は
集合的無意識の
一般にはまだみえない悪習から
抜けようとする
途中段階だったりすることを
言っているのです。
 ―PTSDの人がそうですね。
 無意識のうちに気づかされて
 混乱しているのです。
 善人でもないし
 悪人でもない
 途中の段階です。
 (この中途半端さに
 耐えられないしんどさがあります。
 どっちかにしてくれと暴れます)
 
そして
他力というのは
100%の依存ではなく
100%の自力の果てに
沸いてくるものです。
だから辛くても
前を向いて
考え続けなければならないのです。
要するに
言っていることは
同じです。
身もふたもない話で
すみませんあせる

天神さまの飛梅伝説も道元の『梅華』もPTSD理論の【象徴】

お受験シーズンですね。
「東風吹かば
にほひおこせよ
梅の花
あるじなしとて
春な忘れそ」
菅原道真が
京都から福岡の大宰府に
左遷される前
自邸の梅に
別れを惜しんで詠んだ
うたですね。
不思議なことに
梅が
一夜で大宰府に飛んだとか叫び
  …
これは
凄い悔しくて悲しくて
淋しくて
やりきれない思いの
コンプレックス
しっかり感じ
歌にまで詠んで
こころに刻んだので
 ―芸術的表現は大事ですひらめき電球
梅を見れば
真空パックされた
コンプレックスが
活き活きと
蘇ったということでは
ないかと解釈します。
否応無しに
心が動かされるのが
無意識にある【象徴】です。
そして
少しずつこころを癒す
自己治癒力でもあるのです。
繊細な日本人は
傷つくことが多かったから
トラウマティックでありつつ
神さまにまで昇華した
存在に
1つのモデルとして
親和性を持ったのではないでしょうか?
また
後の時代の禅僧になりますが
道元は
『梅華』
「世間の呪縛から逃れたとか
偉そうなこと言ったって
梅の花が早春に開くということを ←自然の摂理
悟らなければ
ナンセンス!」と言っています。
要するに
華厳経のリセットの法則が
梅にはこめられているのです。
どんな状況にあっても
リセットできるという
自然の法則を
感じる力
ですね。
これは大事だと思いますニコニコ

がん緩和ケアにはモルヒネより坐禅

本日の
朝日新聞は
がんについて
たくさん
取り上げています。
【緩和ケア】は
身体的痛みと
こころの痛みと
霊的な痛みに
必要でしょうひらめき電球
$PTSD研究家翠雨の日記
朝日新聞の考え方は
モルヒネをもっと使え!ですが
本当に
こころのケアが
充分なら
モルヒネの使用量は
減る
んですよ。
 ―身体的痛みと
 精神的痛みが
 ごちゃごちゃになっているところが
 ありますから。
 こころの空白を埋めるのに
 買い物したりするのが
 人間のこころでしょ?
なんと
西洋の教会で
坐禅する人が増えててひらめき電球  
結果が出ています。
リラックスし
自分のこころと向き合うことができたら
絶望や孤独感は消えますから
結果的に
寿命も延びるのです。
 ―むしろこちらが寿命で
  モルヒネは縮める。
 
  朝日新聞は否定してますがね。
精神科の薬と同じでしょ?
★医師の処方なら副作用はない
★苦しみをまず軽減
そう謳ってますが
絶望するばかりでしょ?
そんなに薬売りたいですか?
って話ですニコニコ

光明皇后発願の写経みつかる

東大寺の大仏の
お膝元から
の二剣が発見され

光明皇后が
願掛けのために
持ち出したようだと

10月26日に
伝えられたばかりですが

奈良時代の仏教を研究し
昨年死去した
井上薫名誉教授の遺品から
見つかり
大阪大学に
寄贈されていたものも

PTSD研究家翠雨の日記

光明皇后の発願で始まった
写経の一部と分かりました。

右が経文、左が願文です。

やはり願掛けですね。

貧しい人たちのために
悲田院を作ったり
薬物研究をしたりした

慈悲の方で

唯識の寺にも
関係があったようですが
華厳的なお名前と生き方の方でも
ありますね。

道元の【発菩提心】を
想いました。
続きを読む

光明皇后発願の写経みつかる

東大寺の大仏の
お膝元から
の二剣が発見され
光明皇后が
願掛けのために
持ち出したようだと
10月26日に
伝えられたばかりですが
奈良時代の仏教を研究し
昨年死去した
井上薫名誉教授の遺品から
見つかり
大阪大学に
寄贈されていたものも
PTSD研究家翠雨の日記
光明皇后の発願で始まった
写経の一部と分かりました。
右が経文、左が願文です。
やはり願掛けですね。
貧しい人たちのために
悲田院を作ったり
薬物研究をしたりした
慈悲の方で
唯識の寺にも
関係があったようですが
華厳的なお名前と生き方の方でも
ありますね。
道元の【発菩提心】を
想いました。

絵に描いた一休さん驚く?

京都にある
大徳寺塔頭
   (たっちゅう)
真珠庵の一休さんの肖像画に
穴が開いているのが
見つかりました叫び

侵入したアライグマが
額の上で
柿を食べようとしていたようですが

$PTSD研究家翠雨の日記

和尚さんは
アライグマには罪がないと
おっしゃってます。

一休さんといえば
漫画の頓知が有名ですネ。

屏風からトラを出せという
かのおもしろい話は

【心不可得】という公案を
おもしろおかしくしたものです。

正法眼蔵では『画餅』に
道元の解釈があります。
 ―普通の解釈よりヌケてます!  ←ほめ言葉ですドキドキ

絵に描いた餅は食えぬ?

いえいえ
心理療法では
絵を描くだけで
空虚なこころも豊かになります。

道元も
そこに
父母未生の面目ありと ←無意識のリセットの秘策
言ってます。

$PTSD研究家翠雨の日記

絵に描いた一休さんと
アライグマの会話
充分成り立ちます。

私たちのこころのなかで
ですが。
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絵に描いた一休さん驚く?

京都にある
大徳寺塔頭
   (たっちゅう)
真珠庵の一休さんの肖像画に
穴が開いているのが
見つかりました叫び
侵入したアライグマが
額の上で
柿を食べようとしていたようですが
$PTSD研究家翠雨の日記
和尚さんは
アライグマには罪がないと
おっしゃってます。
一休さんといえば
漫画の頓知が有名ですネ。
屏風からトラを出せという
かのおもしろい話は
【心不可得】という公案を
おもしろおかしくしたものです。
正法眼蔵では『画餅』に
道元の解釈があります。
 ―普通の解釈よりヌケてます!  ←ほめ言葉ですドキドキ
絵に描いた餅は食えぬ?
いえいえ
心理療法では
絵を描くだけで
空虚なこころも豊かになります。
道元も
そこに
父母未生の面目ありと ←無意識のリセットの秘策
言ってます。
$PTSD研究家翠雨の日記
絵に描いた一休さんと
アライグマの会話
充分成り立ちます。
私たちのこころのなかで
ですが。

宮城の行持院眞壁太隆さんのPTSD治療

行く当てのない人を
誰でも受け入れる寺が
あります。

訪れる人に
何も聞きません。

「みんな
赤っ恥をかきながら
ここに来たね。

ふつうに暮らしていたときは
まさかそういう身には
ならないと
思っていたわけです。

その方の胸の中にね
土足で踏み込むようなことはしません」

そして
質問しようとしたら

「おれに難しいこと聞くな。
仏さまに聞け」
 ―曹洞宗らしいです。
  道元も
  坐禅だけしたらよろしいと
  言ってます。

徹底してますね。

これ
私の好きなスタイルです。

場を与えるだけです。
 ―箱庭も分析室もカウチも
  場です。
  そこで無になると
  クライエントさんのセルフが
  出てきます。
  そういう意味で何にもしないのが
  専門家なのです。

答えは
その人のトラウマのなかに
あるわけですよね。

自分が一番近いところにいる。
 ―細かい生育歴や好みなど
  他人にわかるハズがない。
  それをいちいち嘆いていては
  時間のロスです。

そういう当たり前のことを
忘れたらダメです。

「こんな座布団でいいの?」
「治った人いるの?」くらいは
聞いてもいいですよニコニコ
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宮城の行持院眞壁太隆さんのPTSD治療

行く当てのない人を
誰でも受け入れる寺が
あります。
訪れる人に
何も聞きません。
「みんな
赤っ恥をかきながら
ここに来たね。
ふつうに暮らしていたときは
まさかそういう身には
ならないと
思っていたわけです。
その方の胸の中にね
土足で踏み込むようなことはしません」
そして
質問しようとしたら
「おれに難しいこと聞くな。
仏さまに聞け」
 ―曹洞宗らしいです。
  道元も
  坐禅だけしたらよろしいと
  言ってます。
徹底してますね。
これ
私の好きなスタイルです。
場を与えるだけです。
 ―箱庭も分析室もカウチも
  場です。
  そこで無になると
  クライエントさんのセルフが
  出てきます。
  そういう意味で何にもしないのが
  専門家なのです。
答えは
その人のトラウマのなかに
あるわけですよね。
自分が一番近いところにいる。
 ―細かい生育歴や好みなど
  他人にわかるハズがない。
  それをいちいち嘆いていては
  時間のロスです。
そういう当たり前のことを
忘れたらダメです。
「こんな座布団でいいの?」
「治った人いるの?」くらいは
聞いてもいいですよニコニコ