漱石」カテゴリーアーカイブ

夏目漱石もPTSD

夏目漱石は
ロンドン留学して
精神不調を起こしたのでしたね。
 
カルチャーショックです。
 ―背が高くて
  足が長く 
  鼻が高い
  西洋人に
  圧倒されたのでしょうね。
  押しも強いしあせる
『古事記』は
中国の陰陽五行説と出会った
カルチャーショックで
書かれました。
大文豪の小説も
PTSDの治癒の軌跡です。
命がけの
創作は大事ですニコニコ

姜尚中は漱石など読書でのこころのケアを提唱

被災地から遠く離れた
土地に住んでいても
日本人は
多かれ少なかれ
サバイバーズ・ギルトなど
感じています。
無力感や
やり場のない感情は
漱石の
『三四郎』などにあると
おっしゃいます。
読むことも大事だし
感じたことを人と
語り合うことで
こころのケアができます。
★意見が同じなら
共感になりますし
★意見が違えば
自分の発見になりますね。
古典を中心に
 ―そもそも漱石は
 PTSD文学ですからひらめき電球
陰陽的に
思考を深める素材になります。
$PTSD研究家翠雨の日記
温故知新ですね。
ストレスに弱い人は
自分と違うというところに
反応してしまって
 ―解離してしまう。
 (自我が振り切れて)
  
魔境に入りがちなので
配慮が必要ですがね。
読書もこころのケアになると思います。
 ―すぐ答えがでないところが
  よいですね。
  震災前はそういうのは
  軽んじてきましたから
  反省の時期です。
  SSRIは安直の象徴ですね。
  

SMAP稲垣吾郎による『ぼっちゃま』夢十夜

$PTSD研究家翠雨の日記
稲垣吾郎が逮捕されたのは
ショッキングな出来事でしたね。
あれも急性ストレス障害
前後不覚になって
解離していたのでしょう。
スピッツのボーカリストも
罹患し治癒したのですから
 ―犯罪とは無縁に終始してます。
  普通はこちらです。
誰でも
急性ストレス障害を
起こすことがあるのを
この際
しっかり学ばねばなりません。
敗戦後の
旧家の坊ちゃんと
唯一の理解者の「ばあや」と
きたら
『坊ちゃん』平成版
でしょうね。
 ―昭和を見直します。
夢十夜の一話は
死にゆく女性が    ←アニマ
「百年待ってください」と
言います。
百年なんてあっという間に
くるようです。
親譲りの 無鉄砲で
学校の二階から飛び降りて
一週間ほど 腰を 抜 かすような
無闇は
PTSDを病んだ漱石のつかんだ
こころの闇です。
愛らしいですが
大人になるまでに
哲学性を更新させ
貫きゃいいというのは
卒業しないといけないですね。
滑稽さの中にある悲哀は
実は大人向けであるからのように
感じます。
時代は変わり
多くの人が
PTSDに苦しんでいます。

震災ショックで気づいた『吾輩は猫である』はPTSD解離小説である

猫の飼い主は
 ―そもそも
 猫というものは
 人の家に居候しながら
 飼われている意識なんかない
 不思議な存在ですニコニコ
 $PTSD研究家翠雨の日記陰陽超越
苦沙彌(くしゃみ)先生
 ―なんで今まで
 気がつかなかったのだ?
ハックション!って
くしゃみした直後
 ―八苦ションて転換されるから
 面白くて仕方がないけどあせる
 くしゃみしたら
 周囲の人必ず
 笑いますしねニコニコ
 脱線(解離)せずに次行きます!  
算数ができますか?
頭お留守でしょ?
 ―解離の象徴ですね。
  くしゃみしただけで
  病気ではなく健康ですが。
しかも
(漱石もそうですが)
英語の先生
日本人なのに
英語しゃべるのです。
 ―今はたくさんおられますがあせる
猫の目で見ると
 ―人間の常識を離れると
先生(解離)の周囲に集まる人が
 ―エリートだと思いますよ。
 西洋的な意味ではなく
 日本的な意味であせる
おかしく感じられてくるのです。
 ―猫の視線をもつ子は
 (居場所がない子ですね)
 世の中斜めに見ます。
 そして猫じゃないから
 苦しみます。
 
 それがPTSDの素ですひらめき電球
小説らしい筋書きがないと
悪口言われるのも
解離小説だからですねひらめき電球
 ―ユング派はPTSD児の箱庭には
 物語がないから
 発達障害だと言います。
 漱石は発達障害か?
 ならポニョもそうだな?
 かぐや姫は発達障害だと
 既に公言してるか…
 めちゃくちゃだむかっ
日本の落語や歌舞伎など
江戸文化の粋と
西洋文化が
パッチワークのように
詰め込まれた作品でもありますひらめき電球
つめこまれた箱庭は
発達障害の証とかも
言われますが
整合された世界に
PTSD研究家翠雨の日記
(その人のタメを思ってあせる
人工的に詰め込まれることはありますし
虐待児やDV家庭の子の表現に
多い現象です。
PTSD研究家翠雨の日記アリエッティより
怖がらせといて
「あなた怖がりすぎ!」
「安定剤飲んでますか?」
「考えすぎです」
「わがままですね」
日露戦争の非常時に
ロンドン留学で
PTSDに苦しむ漱石が
デビュー作として書いたというのは
興味深いです。
 ―初作には
 その後のすべてを
 俯瞰したものが出るものです。

PTSD克服の普遍的条件としての【気合】

$PTSD研究家翠雨の日記
願望がそのまま
現れた夢でしょうが
こんなわかりやすい夢を
見ることはあんまり
ないですねニコニコ
これは
漱石の時代から
ちっともかわらない
悩ましい問題で
『二百十日』にも
「布団のなかで
世の中の寒さを一二寸の厚さに
遮ぎって……」
海老のように丸くなっている
人がでてきます。
出るのには
合」が必要ですね。
 ―五気の気合です。
 リセットはいつも陰陽五行です。
 DVシェルターの子は
 じゃんけん
 (五気を3つにした遊び)が好きですドキドキ
気合の欠如の背景には
トラウマがあるのでしょう。
カメさんみたいですカメ
カメならいいんですがね。
 ―ゆっくりゆっくり
 コツコツ
 歩み続けていれば問題ないわけで。
それを回避して
いつまでも
観念の世界で遊んでいる人は
おかしいですねニコニコ

『坊ちゃんの時代』はPTSD時代

$PTSD研究家翠雨の日記
難しいこと抜きで
イメージから入るのも
いいです。
 ―言葉より多弁です。
凛冽で近代的な明治人
だそうですよニコニコ
凛としながら
熾烈に

(古臭い=たましいの死ですから)
近代的に
取り組みましょう。
漱石の問題は
PTSD問題そのものです。
ロンドン留学中に
発症しました。
 ―原因となるトラウマは
  日本で創られています。
代表作『門』は
禅的公案的内容です。
かつては
禅僧の専売特許だった
哲学的問題が
漱石の時代には
一般男性の問題になり
今は
子どもも巻き込む問題に
なっています。
『門』で
崖下に住んでいた宗助は
『崖の上のポニョ』では
宗介として
崖の上に住んで
ポニョを待っています。
 ―如人千尺懸崖上樹
$PTSD研究家翠雨の日記
トキ(運命の瞬間)を見定めて
飛ぶような
勇気と審美眼を養うことが
命綱ですひらめき電球

茨城バス襲撃容疑者と漱石

$PTSD研究家翠雨の日記

数年前に
お母さんを亡くしてるんですね。

喪失感が
大きかったのかもしれませんね。

男の子は
いくつになっても
(おじいさんでも)
マザコンです。

みんな知ってるでしょ?
 ―世の奥様方の苦情の
  筆頭ですよひらめき電球

フロイトは
【エディプスコンプレックス】なんて
言いましたが

その錯乱妄想の根本は
母親への
気の遠くなるような想いです。

容疑者の写真を拝見しますと
純粋な
いい表情をしています。

喪失感にやられたのでしょう。

高校の同級生には
夏目漱石を読んでいた印象が
あるとか。

漱石は
PTSDに罹患し
『門』を著し 
 ―崖の上の禅寺に
 向かうところで終わっている。

それは
宮崎駿の『崖の上のポニョ』にまで
引き継がれた
(アリエッティにもあります)
日本人の課題です。

いつか
(母親との死別のようなことがあり)
PTSDに罹患する
予感があったのでしょう。

ならば
どこかで
だれかと
漱石について語ったり
死別の苦しみを共有したりしたら

歯止めになったかもしれません。

今からでも
そういう作業をして
更生してほしいと願っています。
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茨城バス襲撃容疑者と漱石

$PTSD研究家翠雨の日記
数年前に
お母さんを亡くしてるんですね。
喪失感が
大きかったのかもしれませんね。
男の子は
いくつになっても
(おじいさんでも)
マザコンです。
みんな知ってるでしょ?
 ―世の奥様方の苦情の
  筆頭ですよひらめき電球
フロイトは
【エディプスコンプレックス】なんて
言いましたが
その錯乱妄想の根本は
母親への
気の遠くなるような想いです。
容疑者の写真を拝見しますと
純粋な
いい表情をしています。
喪失感にやられたのでしょう。
高校の同級生には
夏目漱石を読んでいた印象が
あるとか。
漱石は
PTSDに罹患し
『門』を著し 
 ―崖の上の禅寺に
 向かうところで終わっている。
それは
宮崎駿の『崖の上のポニョ』にまで
引き継がれた
(アリエッティにもあります)
日本人の課題です。
いつか
(母親との死別のようなことがあり)
PTSDに罹患する
予感があったのでしょう。
ならば
どこかで
だれかと
漱石について語ったり
死別の苦しみを共有したりしたら
歯止めになったかもしれません。
今からでも
そういう作業をして
更生してほしいと願っています。