猫の飼い主は
―そもそも
猫というものは
人の家に居候しながら
飼われている意識なんかない
不思議な存在です
陰陽超越
苦沙彌(くしゃみ)先生
―なんで今まで
気がつかなかったのだ?
ハックション!って
くしゃみした直後
―八苦ションて転換されるから
面白くて仕方がないけど
くしゃみしたら
周囲の人必ず
笑いますしね
脱線(解離)せずに次行きます!
算数ができますか?
頭お留守でしょ?
―解離の象徴ですね。
くしゃみしただけで
病気ではなく健康ですが。
しかも
(漱石もそうですが)
英語の先生
日本人なのに
英語しゃべるのです。
―今はたくさんおられますが
猫の目で見ると
―人間の常識を離れると
先生(解離)の周囲に集まる人が
―エリートだと思いますよ。
西洋的な意味ではなく
日本的な意味で
おかしく感じられてくるのです。
―猫の視線をもつ子は
(居場所がない子ですね)
世の中斜めに見ます。
そして猫じゃないから
苦しみます。
それがPTSDの素です
小説らしい筋書きがないと
悪口言われるのも
解離小説だからですね
―ユング派はPTSD児の箱庭には
物語がないから
発達障害だと言います。
漱石は発達障害か?
ならポニョもそうだな?
かぐや姫は発達障害だと
既に公言してるか…
めちゃくちゃだ
日本の落語や歌舞伎など
江戸文化の粋と
西洋文化が
パッチワークのように
詰め込まれた作品でもあります
つめこまれた箱庭は
発達障害の証とかも
言われますが
整合された世界に
(その人のタメを思って)
人工的に詰め込まれることはありますし
虐待児やDV家庭の子の表現に
多い現象です。
アリエッティより
怖がらせといて
「あなた怖がりすぎ!」
「安定剤飲んでますか?」
「考えすぎです」
「わがままですね」
日露戦争の非常時に
ロンドン留学で
PTSDに苦しむ漱石が
デビュー作として書いたというのは
興味深いです。
―初作には
その後のすべてを
俯瞰したものが出るものです。
「漱石」カテゴリーアーカイブ
PTSD克服の普遍的条件としての【気合】
願望がそのまま
現れた夢でしょうが
こんなわかりやすい夢を
見ることはあんまり
ないですね
これは
漱石の時代から
ちっともかわらない
悩ましい問題で
『二百十日』にも
「布団のなかで
世の中の寒さを一二寸の厚さに
遮ぎって……」
海老のように丸くなっている
人がでてきます。
出るのには
「気合」が必要ですね。
―五気の気合です。
リセットはいつも陰陽五行です。
DVシェルターの子は
じゃんけん
(五気を3つにした遊び)が好きです
気合の欠如の背景には
トラウマがあるのでしょう。
カメさんみたいです
カメならいいんですがね。
―ゆっくりゆっくり
コツコツ
歩み続けていれば問題ないわけで。
それを回避して
いつまでも
観念の世界で遊んでいる人は
おかしいですね
『坊ちゃんの時代』はPTSD時代
難しいこと抜きで
イメージから入るのも
いいです。
―言葉より多弁です。
凛冽で近代的な明治人
だそうですよ
凛としながら
熾烈に
(古臭い=たましいの死ですから)
近代的に
取り組みましょう。
漱石の問題は
PTSD問題そのものです。
ロンドン留学中に
発症しました。
―原因となるトラウマは
日本で創られています。
代表作『門』は
禅的公案的内容です。
かつては
禅僧の専売特許だった
哲学的問題が
漱石の時代には
一般男性の問題になり
今は
子どもも巻き込む問題に
なっています。
『門』で
崖下に住んでいた宗助は
『崖の上のポニョ』では
宗介として
崖の上に住んで
ポニョを待っています。
―如人千尺懸崖上樹
トキ(運命の瞬間)を見定めて
飛ぶような
勇気と審美眼を養うことが
命綱です
茨城バス襲撃容疑者と漱石
数年前に
お母さんを亡くしてるんですね。
喪失感が
大きかったのかもしれませんね。
男の子は
いくつになっても
(おじいさんでも)
マザコンです。
みんな知ってるでしょ?
―世の奥様方の苦情の
筆頭ですよ
フロイトは
【エディプスコンプレックス】なんて
言いましたが
その錯乱妄想の根本は
母親への
気の遠くなるような想いです。
容疑者の写真を拝見しますと
純粋な
いい表情をしています。
喪失感にやられたのでしょう。
高校の同級生には
夏目漱石を読んでいた印象が
あるとか。
漱石は
PTSDに罹患し
『門』を著し
―崖の上の禅寺に
向かうところで終わっている。
それは
宮崎駿の『崖の上のポニョ』にまで
引き継がれた
(アリエッティにもあります)
日本人の課題です。
いつか
(母親との死別のようなことがあり)
PTSDに罹患する
予感があったのでしょう。
ならば
どこかで
だれかと
漱石について語ったり
死別の苦しみを共有したりしたら
歯止めになったかもしれません。
今からでも
そういう作業をして
更生してほしいと願っています。
続きを読む
茨城バス襲撃容疑者と漱石
数年前に
お母さんを亡くしてるんですね。
喪失感が
大きかったのかもしれませんね。
男の子は
いくつになっても
(おじいさんでも)
マザコンです。
みんな知ってるでしょ?
―世の奥様方の苦情の
筆頭ですよ
フロイトは
【エディプスコンプレックス】なんて
言いましたが
その錯乱妄想の根本は
母親への
気の遠くなるような想いです。
容疑者の写真を拝見しますと
純粋な
いい表情をしています。
喪失感にやられたのでしょう。
高校の同級生には
夏目漱石を読んでいた印象が
あるとか。
漱石は
PTSDに罹患し
『門』を著し
―崖の上の禅寺に
向かうところで終わっている。
それは
宮崎駿の『崖の上のポニョ』にまで
引き継がれた
(アリエッティにもあります)
日本人の課題です。
いつか
(母親との死別のようなことがあり)
PTSDに罹患する
予感があったのでしょう。
ならば
どこかで
だれかと
漱石について語ったり
死別の苦しみを共有したりしたら
歯止めになったかもしれません。
今からでも
そういう作業をして
更生してほしいと願っています。
漱石のトラウマの音 ~『我輩は猫である』より
漱石のトラウマの音 ~『我輩は猫である』より
『グーグーだって猫である』とPTSD
あらすじは
愛猫サバを亡くした
女性漫画家の麻子は
悲しみで
漫画を描けなくなってしまう。
―PTSDです!
ナオミらアシスタントも
心配で仕方がない。
―「先生認知症だ」なんて
失礼なこと言う人いません。
そんなある日
麻子は小さな子猫と出会う。
―象徴的な意味で
出会うべき自分でしょう。
外に見つけるのは【共時性】です。
何にも考えず
仲良くしたらいいのですが
悲しきかな一言居士…
グーグーと名付けたその子猫と
暮らしはじめて
麻子の日常は一変
元気な表情が戻ってきた。
暫くして
グーグーの避妊手術のために
動物病院に向かうが
その途中
グーグーが逃げ出してしまう。
―禅では牛が逃げます!
(十牛図)
必死で探す麻子を助けてくれたのは
近所に住む青年・沢村だった。
偶然であった猫と
きちんと対面できたら
助けてくれる人間にも
出会うのでしょうね!
『わらしべ長者』も
ちょっと入ってます。
特別なものでなくても
身近なものを大事に貫き通せば
いいんじゃないかな
続きを読む
『グーグーだって猫である』とPTSD
漫画家・大島弓子の自伝的エッセイ漫画
だそうです。
あらすじは
愛猫サバを亡くした
女性漫画家の麻子は
悲しみで
漫画を描けなくなってしまう。
―PTSDです!
ナオミらアシスタントも
心配で仕方がない。
―「先生認知症だ」なんて
失礼なこと言う人いません。
そんなある日
麻子は小さな子猫と出会う。
―象徴的な意味で
出会うべき自分でしょう。
外に見つけるのは【共時性】です。
何にも考えず
仲良くしたらいいのですが
悲しきかな一言居士…
グーグーと名付けたその子猫と
暮らしはじめて
麻子の日常は一変
元気な表情が戻ってきた。
暫くして
グーグーの避妊手術のために
動物病院に向かうが
その途中
グーグーが逃げ出してしまう。
―禅では牛が逃げます!
(十牛図)
必死で探す麻子を助けてくれたのは
近所に住む青年・沢村だった。
偶然であった猫と
きちんと対面できたら
助けてくれる人間にも
出会うのでしょうね!
『わらしべ長者』も
ちょっと入ってます。
特別なものでなくても
身近なものを大事に貫き通せば
いいんじゃないかな
夢十夜『第二話』PTSD克服の過程
参禅の話。
和尚に
「おまえは武士だろう。
武士なら悟れるはず。
悟れないなら
人間の屑だ」と
けしかけられ
怒り心頭に達しながら
悟ろうとする。
悔しくて
情けなくて
痛くて
切なくて
耐え難くて
それでも
自分の頭を嫌というほど
なぐりながら
我慢して我慢して
じっと坐禅を続ける。
頭が変になって
色即是空 空即是色の
心境に近づいた。
周囲のものがあるような
ないような…
離人的感覚
最後は…
右手を短刀にかけて
どうしたのだろう。
自分を切ろうとしたのか(自傷)
和尚を切ろうとしたのか(他害)
ほこを収めるのが
【武】
【一太極二陰陽】の法則の上での
微妙な表現
漱石のPTSD克服の程度が
漠と示されている。
続きを読む