いまのところ
福島で生活を続けた場合
どれだけ被曝するか
明確な数字はわかっていません。
―名古屋がどうか
大阪がどうかも
わかりません。
日本産科婦人科学会の
アンケート調査によれば
震災後3か月間で
福島県内の出産件数は
前年比マイナス25%
約1000件減少
―妊婦のうち4人に1人が
県外での出産を選択
4人に3人は福島にとどまっていますが
決して
放射能汚染を
楽観視しているわけではありません。
「私も夫も地元育ち。
県外に頼れる親戚はいません。
避難所でのつらい経験もあったので
できる限り放射能を避けて
福島で産むしかないのかと…」
―試行錯誤の後の
実感から
選択されたわけです。
そこまでの事情があるわけですが
「福島にいるだけで
悪いことをしてるのかなって思えてしまう」
―これは【二次被害】ですね。
二次被害に疲弊しかかっているのです。
頼みは
ママ友情報
―狭いアパートに
家干しの洗濯物
換気扇なしで
ミネラル水でお料理
お散歩には
極力出ない。
それでも
「赤ちゃんに
影響が出ないでしょうか」という
悩み相談が
産科医に殺到し
産科医は
その気持ちを
受け止めています。
PTSD予防
(こころのケア)には
安全圏に避難するのが
大事ですが
その場所というのが
具体的な場所ではなく
心理的な場所であることを
―PTSDになって
治療に行く場所が
ほとんどないのは
ご存知ですよね。
フクシマのお母さんから
学びました。
「西田哲学」カテゴリーアーカイブ
PTSD予防学習にも陰陽五行説的仏教の『歎異抄』が好まれている
この本は
細部にこだわる人には
酷評されてますから
例によって
買わなくていいですが
『歎異抄』の意味が
すっきりします。
―『歎異抄』自体は
「一切の書物を焼失しても
『歎異抄』が残れば我慢できる」と
西田幾多郎に
言わせた名著です。
親鸞の生きた時代も
天災や戦乱・大火に見舞われたので
ヒトビトの不安救済のために
説かれたようです。
―PTSD予防
多くの人の
腑に落ちるのは
そこに
陰陽五行的仏教的な
基本があるからだと思います。
―ジブリもはずせない基本
★人類はみな兄弟
上下などまったくない
―特殊な人の修行法なら
要らないですね。
ポニョにでも
できるくらいじゃないと!
★善人でさえ往生できるのだから
悪人はなおさらだ。
―悪の中に善があり
善の中に悪があるからでしょうね。
PTSDの不適応の中には
よりよい理想へと
変化しようとする善があります。
★念仏さえ称えていたら
助かるというのが
間違いだというのは
トラウマ日記を書いてるだけでは
自家中毒を起して
悪化するのと似てますね。
歎異抄は
違いを嘆くという意味ですが
違いを嘆いてばかりで
「おおっ!天才親鸞と自分は
一緒だ!」という解釈をしてたら
救われないですね。
★この世のことすべては
そらごとであり
たわごとであり
まことは一つもない
― 架空の定義は
一太極二陰陽
『源氏物語』に書かれているように
現実と非現実に架かる場所
― 空=太極
ユング派が永遠にわからない場所
絶対否定即肯定の
西田哲学が好みそうな
思想です。
『歎異抄を読む』ではなく
『歎異抄をひらく』としたのは
華厳的です。
♪ひとつむすぶ
ひとつひらく
恋という名前の夏の花
でしたっけ?
横須賀PTSDのこの人も
歌ってました。
華開世界起の開演
―トラウマの再演と逆の
昇華を意味する
道元のマンダラ的言葉を思います。
わが国には
一貫した
PTSD理論が貫通してると思いますよ。
―はよ論文書け!
ビッグダディ&ビッグマミーのPTSD解離性機能不全家族増加中
詳細は
すでに書きましたが
奄美のビッグダディと
堀ちえみが
集合的無意識の中では
同類項だと
認定されました
ビッグダディ&ビッグマミー
ビッグダディは
美談から転落してます。
―ただのPTSD解離性
場当たり男は無責任
堀ちえみも
転落させようとする意図は
少し醜いですね。
―本人は子どもは産まないと
言ってるのに…
「8人目の夢」が
誰の願望なのかは
書いてないのがミソですね。
『借りぐらしのアリエッティ』
両親の離婚だけで
死にそうな心境を
こころに抱えた子どもは
たくさんいるんですよ。
―大人だから言わない。
大人の方が子どもです。
「私は私でいいでしょ」
勉強ができなかったり
お友達と仲良くできなかったり
身体のあちこちが
お年寄りみたいに不調だったり…
死にたくなったり…
立ち止まるときに
来ています。
振り子のように
よい&悪いを
繰り返し考えながら
歴史は考えるようです。
―西田幾多郎は
【歴史的身体】と言いました。
大局から
全身全霊で考える視座が
存在します
『自己を生きる力 読書と哲学』とPTSDの孤独
PTSD克服には
自己実現
(個性化の過程)とか
言いますが
―ポニョみたいに貫くんでしたね。
「自己」を生きるには
「自己」を知る必要がありますね。
―自我のことを自己と
勘違いして
暴走する
未治療PTSDは多いですよ。
いわゆる「自己チュー」ですね。 ←自分中心
「自己」を問うことは
「孤独」を問うことだそうです。
―そう言ってもらえば
勘違いが防止できますね。
こんな風な
輝かしい
完成を見たければ
まずは
孤独からです。
―PTSD発症のときは
孤独なものです。
傾聴があると
孤独に耐えられます。
ユングは哲学的忍耐力が
必要と言いました。
これはダンテ『神曲』からですが
―『借りぐらしのアリエッティ』の
翔君の愛読書
『十牛図』も一緒ですね。
PTSDから見た西田幾多郎とユングの寿命
★西田幾多郎
(1870-1945)
命日6月7日
★C.G.ユング
(1875-1961)
命日6月6日
同じ時代に生きたようですが
―ユングは第一次世界大戦直前
ヨーロッパが
血の海になるイメージを見て
精神的危機に陥った。
他にもPTSDエピソードは
多彩ですがね。
「人生は悲哀だ」の西田は
― 子どもの頃の姉の死
長男の死、娘たちの病気、妻の死や
病苦
坐禅の効果か
混乱はしてないけど
長生きできなかった。
重なると
辛いものがありますね。
でも
思想は西田の方が
長生きすると思います。
少なくとも
私のこころのなかではそうです
西田哲学の【善】はユング心理学の【自己実現】
PTSD解離の時代に『善の研究』出版百周年の現代的意義
本日は寸心忌 ~PTSD予防と悲哀の西田哲学
西田 幾多郎の命日です。
1945年
(昭和20年)の今日亡くなりました。
若い時は、肉親の死
学歴での差別
妻との一度の離縁
多くの苦難を味わい、
大学を出た後は
故郷に戻って中学の教師となり
思索に耽るようになりました。
その頃の思索が結晶となって
著名な『善の研究』となり
旧制高等学校の生徒にとっての
必読書となり
日本を代表する哲学者になりました。
なぜ、惹かれるのか
なかなかわかりませんでしたが
最近
古事記のスサノヲと同じ
日本を底流する
PTSDの大きな源流の1つだと
気づきました
絶対矛盾的自己同一
一太極ニ陰陽と同じだと
思います。
― 二元論でないから
西洋人には斬新で
エスニックなのです。
どん底の苦しみ、悲しみの中から
どう再生するのか
―苦しみを消すとか
感じないようにするのではなくて
我慢するのでもなくて。
一生懸命
哲学したことが
―敗戦は知らないんです。
激しい爆撃のさなか
子どもに次々先立たれた晩年の
病床でも
凄い思索が生まれています。
普遍とつながり
世界に抜け出したのだと思います。
一生懸命PTSD克服しようと
努力されている方々の
ブログにも同じものを感じます。
震災ショックで『西田幾多郎の憂鬱』さえ心のケア本に浮かび上がる
さっきの記事の
新聞広告の裏は ←陰陽みないとね
岩波書店の広告
いくら何でも
新型うつ病の本は
無理ですが
認知症本と
脳科学本が
メインの一部に出てます。
左端には
『西田幾多郎の憂鬱』
―次々と襲いかかる
苦難と格闘しつづけた人生が
サブタイトル
V・E・フランクルより
凄い哲学者です。
それをあえてここに置くのは
陰陽でしょうね。
―私はこの憂鬱に共感します
2つ右隣には
海老蔵本
―10人の襲名海老蔵について
見直せば
PTSDが見えてくるのでしたね
リオンに瀕死の重傷を負わされた
海老蔵だけを見ていたら
わからない
―自分もPTSDの癖に批判する人が
あふれましたね。
経験したからといって
わからないことの方が
多いのです。
PTSDの深淵が見えてくるのですが
それは
誰が書く?
いつ広告になる?
出版業界の難しさです。
―敗戦間際に死亡した
西田幾多郎が
やっと浮上するくらいですから!
事実は
コツコツとまじめに
PTSD克服中のヒトビトの心の中に
あります。
あきらめないで
一緒にがんばりましょうね