DVシェルターの常識は
加害者に会わないこと。
つまり離婚すること。
しかし
相当多くの女性が
この常識に反感を
持っている。
―そういうことは
自分で決めたい。
福祉は権利だから
気にすることはないのだが
安全な場所と
温かい食事や布団を
提供されると
反論しにくくなる
どころか
そんな風に感じる自分に
罪悪感をもつらしい。
DV家庭で
長年にわたって
無意識に
強く刷り込まれた
根拠のない
間違った常識は
保護されたくらいでは
消えない。
そのトラウマは
静電気のように
専門家による二次被害という
ゴミを吸い取り
複雑化するから
多くの被害者は
ここでマイってしまい
あまり考えないようにして
みなと同じように
流されようとする。
しかし
何割かは
スタッフとぶつかり
私に窮状を訴える。
そして
加害者に会い
相手に対する見方を
しっかり変えることに
成功する。
すると
「関係修復したい」と
涙を流していた人も
急に
離婚の意思を固め
エネルギッシュに
変わってゆく。
―女性は決断したら
早い!
加害者の方が
これにはショックを受け
【解離】を起こす。
被害者が
「~だったでしょう」と言うも
全く記憶にない
知らないと言う。
「でも~で
これが~なら
やっぱり~だったってことでしょう」
相当詰め寄っていく。
最後は小さな声で
「ごめんなさい」と言うそうだ。
【解離】が解けてのことなのか
どうかは不明だが
関係性の大逆転は確かに
起こっている。
DV家庭に育ちながら
DV被害者になった人や
小さいときから
親との関係がよくなくて
身体化
(PTSD)した人は
気づきが起こると
逆に案外強いところがある。
日本人のこころは
二元論では
できてないですからね。
「DV・ストーカー」カテゴリーアーカイブ
広島市民病院救急外来副部長現行犯逮捕とPTSD
昨日
40歳の
広島市民病院救急診療部副部長が
逮捕されました。
市内の駐車場で
自動精算機で支払いをしていた
女性(19)のスカート内を
デジタルカメラで撮影したとして
広島県迷惑防止条例
(卑わいな行為の禁止)違反の疑いでの
現行犯逮捕です。
カメラは
レンズの穴を開けた
ビニール袋で覆っていたようですが
近くにいた女性の知人男性が
背後から撮影したことに気づき
取り押さえたそうです。
稚拙な科学者ですね。
救急外来といえば
PTSDになりそうな重傷者も
すでにPTSDに罹患した人の
苦し紛れの結果にも
対応しなければならない
ハードな場所です。
ショックから
PTSDによる解離を
起こしても不思議はない
職場ですし
もともと
PTSDに罹患しており
無意識の志向性が
一瞬の判断で眼の前にある危機に始末を
つけ続けるこの作業により
自身のトラウマ回避を
させようとして
この職を選ばせたのかも
しれません。
DVシェルターでは
救急外来の医者によるDVに
苦しむ女性もいました。
続きを読む
広島市民病院救急外来副部長現行犯逮捕とPTSD
昨日
40歳の
広島市民病院救急診療部副部長が
逮捕されました。
市内の駐車場で
自動精算機で支払いをしていた
女性(19)のスカート内を
デジタルカメラで撮影したとして
広島県迷惑防止条例
(卑わいな行為の禁止)違反の疑いでの
現行犯逮捕です。
カメラは
レンズの穴を開けた
ビニール袋で覆っていたようですが
近くにいた女性の知人男性が
背後から撮影したことに気づき
取り押さえたそうです。
稚拙な科学者ですね。
救急外来といえば
PTSDになりそうな重傷者も
すでにPTSDに罹患した人の
苦し紛れの結果にも
対応しなければならない
ハードな場所です。
ショックから
PTSDによる解離を
起こしても不思議はない
職場ですし
もともと
PTSDに罹患しており
無意識の志向性が
一瞬の判断で眼の前にある危機に始末を
つけ続けるこの作業により
自身のトラウマ回避を
させようとして
この職を選ばせたのかも
しれません。
DVシェルターでは
救急外来の医者によるDVに
苦しむ女性もいました。
田中洌 さんのブログすごいなぁ
DVシェルターなんてもの
ありますが
だんだん敬遠されて
キテマス。
実態が明らかになって
きたからです。
DVシェルターも所詮
箱物だったのです。
バラバラ殺人の香織被告からして
すでにかぎつけてました。
『これは私の行くべき場所じゃない』
って。
開設当時から
職員を悩ましてたのは
せっかくシェルターで保護したのに
適応できず
路上生活を選ぶ女性の存在でした。
このブログと出会い
ちょっと認識が深まりかけてます。
チェーホフまで引用されて
凄い哲学性を感じます。
勝手に紹介して
ごめんなさい!
でも
これ
禅の流儀なんですよ
(言い訳)
続きを読む
田中洌 さんのブログすごいなぁ
DVシェルターなんてもの
ありますが
だんだん敬遠されて
キテマス。
実態が明らかになって
きたからです。
DVシェルターも所詮
箱物だったのです。
バラバラ殺人の香織被告からして
すでにかぎつけてました。
『これは私の行くべき場所じゃない』
って。
開設当時から
職員を悩ましてたのは
せっかくシェルターで保護したのに
適応できず
路上生活を選ぶ女性の存在でした。
このブログと出会い
ちょっと認識が深まりかけてます。
チェーホフまで引用されて
凄い哲学性を感じます。
勝手に紹介して
ごめんなさい!
でも
これ
禅の流儀なんですよ
(言い訳)
DVにおける二次被害の現状 ~被害者はC.G,ユングになる
クラフト=エビングが
「精神疾患は
人格の病なのだから
全人格をもって立ち向かう」
と書いているのを
見つけ
内科の先生に話したユングは
相手が失望しているのをみて
アウトサイダーである孤独と不安を
かみしめました。
子ども時代の【古傷】がうずきます。
DV被害のトラウマは
外からは見えません。
しかし避難し、安全な場所にいても
ごく普通の会話から
古傷がうずくということが
起こりがちなので
DVシェルターでは
なるべくこちらからは質問したり
意見を言ったりせず
傾聴することが基本になっています。
まあ、殆ど守られてない基本ですがね。
だって
「離婚しなさい」
「この母子寮にあさって行きなさい」
…って世界ですから。
『言うとおりにしてたらいいんだ』
『やれと言ったらやれ!』
自動翻訳機の音声が心に響き、
そこはたちまち逃げてきた家に変貌します。
『誰のおかげでメシ食ってられるんだ』
とさえ聞こえてきます。
自信がなくなり
不安に襲われます。
しかし
支援の現状がそうであるなら
ユングのように
古傷(トラウマ)を抱えながら
負けずに進むしかないでしょう。
続きを読む
旧知の哲人梅原猛にも見えない井上ひさしのDV
昨日夕刊の
井上ひさしさんの訃報記事の
末尾にある
梅原猛さんのお悔やみ
「弱者へのいたわりの心が
自分より強かった」と
書いている
奥さんなぐりながら
なにが
弱者へのいたわりか
「自分より」と書いたところが
妙に
ひっかかる
…
河合隼雄の心理学に
影響を与えた
源の哲学だから
まあこのくらいのものか
…
と思うことにした
続きを読む
旧知の哲人梅原猛にも見えない井上ひさしのDV
昨日夕刊の
井上ひさしさんの訃報記事の
末尾にある
梅原猛さんのお悔やみ
「弱者へのいたわりの心が
自分より強かった」と
書いている
奥さんなぐりながら
なにが
弱者へのいたわりか
「自分より」と書いたところが
妙に
ひっかかる
…
河合隼雄の心理学に
影響を与えた
源の哲学だから
まあこのくらいのものか
…
と思うことにした
PTSDにおける表現の大切さを教えてくれたDV被害児たちと理解が遅い専門家
DVシェルターで
子どもたちに
箱庭をしていて
いつも思うのは
表現することで
人間は
活き活きとする
ということです。
「作ったろうか?」
って笑いながら入室する
やんちゃ坊主もいます。
あえて言葉にしなくても
その秘策を共有した
喜びを
子どもなりに表現しているのです。
ラポールって言います。
心理療法の基本です。
子どもはどんどん
表現したい。
乾いたのどが
水を必要とするように
箱庭表現を
必要としています。
私には
箱庭のほかに
書類を書いたり
会議に出たりする仕事があり
思う存分
箱庭をする時間をとれないのですが
それを理解するのは
子どもには
まだ難しいです。
「お仕事あるからね。
ごめんね」
と言うと、
「学生さんやろ?」
こんな年取った学生さんがあるか!
と思いつつ
「お仕事で、来てるよ」
「違うわ。学生さんや!」
他の職員とこんなに
違う態度は
学生さんということに
しなければ
理解不能なのでしょう。
同じ理解不能でも
こういうのは
ほほえましいものです。
こんな感じで
やってるのに
「偉そうに
何か教えてる」
という疑惑をもつ人も
専門家の中には
いました。
【投影】っていうんですけどね。
自分の中にある
認めがたいものを
私に映し出す無意識の
防衛機制です。
いろいろあって
学会で
表現の重要性を信じてもらうのに
5年くらいは
かかりました。
多くを語らなくても
察してくれる
数人の方々は
ありましたが
大半は
「無理にさせている」
「危険だ」
勉強しなおしてくるように
という人さえ
いました。
子どもたちは
みな表現の大切さを
身をもって知っていて
学会にくるような
専門家は
耳学問を
あてはめて
理解しようとしない。
しかし
これは5年前のこと
今は
そんなこと言う人
いません。
懐かしいです。
仏教との関係も
「お前に何がわかる!」
とは言われなくなりましたし、
陰陽五行も
ちょっと茶化して
関係を
修復しようとする人が
現れる段階まで
きました。
ありがたいです。
一番厄介なのは
逃げ回る人たちですね。
自分の過去の失敗
(知らずに
公の場で醜態をさらした
ショック)からの
回避・否認でしょう
昨年は
私の学会発表で
指定討論者が
なかなか決まらず
たらいまわしになり
抄録集の印刷などが
遅れました
無事に発表でき
7年間学会で感じた
哀しみは理解して
もらえましたけどね。
継続は力なり
と信じます。
(信じていますとは
なかなか言えないですよ。
私も人の子ですから
…
みんな同じです。
迷いながら
時に絶望しながら
がんばりましょうね)
続きを読む
PTSDにおける表現の大切さを教えてくれたDV被害児たちと理解が遅い専門家
DVシェルターで
子どもたちに
箱庭をしていて
いつも思うのは
表現することで
人間は
活き活きとする
ということです。
「作ったろうか?」
って笑いながら入室する
やんちゃ坊主もいます。
あえて言葉にしなくても
その秘策を共有した
喜びを
子どもなりに表現しているのです。
ラポールって言います。
心理療法の基本です。
子どもはどんどん
表現したい。
乾いたのどが
水を必要とするように
箱庭表現を
必要としています。
私には
箱庭のほかに
書類を書いたり
会議に出たりする仕事があり
思う存分
箱庭をする時間をとれないのですが
それを理解するのは
子どもには
まだ難しいです。
「お仕事あるからね。
ごめんね」
と言うと、
「学生さんやろ?」
こんな年取った学生さんがあるか!
と思いつつ
「お仕事で、来てるよ」
「違うわ。学生さんや!」
他の職員とこんなに
違う態度は
学生さんということに
しなければ
理解不能なのでしょう。
同じ理解不能でも
こういうのは
ほほえましいものです。
こんな感じで
やってるのに
「偉そうに
何か教えてる」
という疑惑をもつ人も
専門家の中には
いました。
【投影】っていうんですけどね。
自分の中にある
認めがたいものを
私に映し出す無意識の
防衛機制です。
いろいろあって
学会で
表現の重要性を信じてもらうのに
5年くらいは
かかりました。
多くを語らなくても
察してくれる
数人の方々は
ありましたが
大半は
「無理にさせている」
「危険だ」
勉強しなおしてくるように
という人さえ
いました。
子どもたちは
みな表現の大切さを
身をもって知っていて
学会にくるような
専門家は
耳学問を
あてはめて
理解しようとしない。
しかし
これは5年前のこと
今は
そんなこと言う人
いません。
懐かしいです。
仏教との関係も
「お前に何がわかる!」
とは言われなくなりましたし、
陰陽五行も
ちょっと茶化して
関係を
修復しようとする人が
現れる段階まで
きました。
ありがたいです。
一番厄介なのは
逃げ回る人たちですね。
自分の過去の失敗
(知らずに
公の場で醜態をさらした
ショック)からの
回避・否認でしょう
昨年は
私の学会発表で
指定討論者が
なかなか決まらず
たらいまわしになり
抄録集の印刷などが
遅れました
無事に発表でき
7年間学会で感じた
哀しみは理解して
もらえましたけどね。
継続は力なり
と信じます。
(信じていますとは
なかなか言えないですよ。
私も人の子ですから
…
みんな同じです。
迷いながら
時に絶望しながら
がんばりましょうね)