PTSDの予期不安

$PTSD研究家翠雨の日記
相手が自分の方を向いていても
「いつか向かなくなるんじゃないか」
お金があっても
「いつかなくなるんじゃないか」
痩せているのは(とりあえず)知っていても
「そのうち太りだすかもしれない」
不安を安心に変えるために
未来の分まで
取り返そうと(?!時空の混乱)すると
行動はどうしても
過剰になるし
理解されにくいでしょうし
 ―外を変えるのではなくて
 内にある不安に
 向き合うべきでしょうね。
現実も楽しくなくなりますね。
(現実が未来を創りますしね)

PTSDの予期不安」への9件のフィードバック

  1. franoma=あ*

    予期不安ということで、こちらに書きます。

    『めげるな! 普通の先生たち!!』
    http://ameblo.jp/oginaoki/entry-12279411719.html
    に、以下のコメントを投稿したら蒸発しました。

    PTSD予防を進めましょう。
    すなわち、
    (1)あのようなエロ男性教員がいる、キレちゃって女児を殺害する保護者会長がいる、いじめ自殺を否認する教育委員会がある…という現実から目をそらさず、皆で、ひどいねえ、怖いねえと話し合う。
    (2)さような異常言動を取る人物や組織に対して
    正常な警戒心を持つことは健康なことであり、「恐怖症ではない」ということを社会で広く共有しましょう。そして、
    (3)不運にも、そういう人物と遭遇してしまった場合、どうやって身を守ることができるかを具体的に話し合い、現場ごとに実際的な「安全確保」を進めましょう。

    「予期不安」を育ててしまうとダメですから。
    ===コメントおわり===

    返信
    1. wpmaster

      ヒドイ事件があったのですね。

      尾木ママも、善悪の白黒二元論思考で思考ストップしているようでは困ります。
      本当に子どもたちのことを思い、大人の一人としてすまなく思うなら、まずは、蒸発したコメントの内容について啓蒙できる立場なのに残念です。

      返信
      1. あ*=franoma

        医学書院から出ている『そのまま使える病院英語表現5000』第2版(2013年)に目を通しての感想です。

        p. 311 のコラムに「英国の医師であり文人としても名高い」Sir Thomas Browne(1605-1682年)の著書 “Religio Medici” から引用した一文の英訳 “Charity begins at home” が提示されています。その解説には問題を感じます。なせならば、原著ラテン語では(英語の “charity” はラテン語の “cāritās” ゆえ)現代的な表現では “the principle of charity” に該当するものと考えられるからです。

        ここを外しているので、著者たちは哲学がダメな人たちだと断言できます。

        さらに、この本の “top author” は悪名高き(筑波大学医学部)出身です。筑波大学は、翠雨先生のブログ記事のどこかにコメントしたように、統合失調症になりやすい不思議な大学なので、行かないほうがいい大学です。千葉大学系も、健康な人がスポーツ医学で楽しく暮らす分には結構なのですが、躁的否認に陥ると目も当てられませんね。その具体例が寺内樺風さんでしたか。

        その “the principle of charity” が、くだんの映画監督さんにも、くだんの西洋白人女性心理職ご夫妻(=倒壊大学人ご夫妻)にも欠落しています。

        内田春菊さんの『解決はしません』
        https://duckduckgo.com/?q=%E5%86%85%E7%94%B0%E6%98%A5%E8%8F%8A%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%80%8E%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E3%81%AF%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%80%8F&atb=v60-5__&ia=web
        シテいるときは大丈夫…というのは、単なる「セックス依存症」状態にある未治療PTSDであり、 “amor” はあるかも知れませんが、 “caritas” は、ありません。
        http://bit.ly/tokubetsu4en
        の広告塔ブロガー女史も “caritas” は、ありませんね。 “caritas” がないことでは、兄の前妻も同じでした。 “caritas” がないからこそ、他者の人格無視ができるので自明です。すると、「人間関係の摩擦のあるなか、すり合わせを進めていって正常な人間関係を構築する」プロセスをたどることができないわけです。合掌。

        まあ、摂食障害がある心理職なんかに何か期待するほうが初めから間違いだったと言えましょう。

        返信
        1. wpmaster

          摂食障害のまま心理職なんてありえない話ですが、今はなんでもアリで困ります。
          食べるという基本的なことがダメなうちは、対人関係も当然デタラメで、“caritasなんて到底無理ですね。
          これもやはり、例の「そういう人を見たら逃げましょう」ということですかね(^.^)/~~~

          返信
          1. あ*=franoma

            尾木ママ先生のブログ記事を私が開くと、
            イーライ・リリーの「ADHD」広告が出ますね。
            「いつもいつもうまくいかない。
             大人になっても怒られてばかり。
             もしかしたら理由があるかも?」
            だそうです。うまく行かない理由は
            http://bit.ly/fuanADHD
            これですね。解離性不注意があるからです。

            「ADHD」キャンペーンの波に乗せられて踊った
            きょうクリいんちょう先生は、知性の足りないスポ根タイプです。
            長沼バカボン先生は、知性はあるようですが、反省するより商売を進めるタイプの御仁のようです。HSGとか言って済ませると、PTSD現象を鎮静化に向かうようにすることはできませんね。

          2. wpmaster

            薬屋チームの人たちの勢いは衰えないですね。
            S先生が揶揄しておられるように、「PTSD現象鎮静化が無理なら向精神薬があるじゃない」という話でしょうか。
            パンが食べられない人にケーキを食べさせるために、システムを変えたのですね。

  2. あ*=franoma

    「パンが食べられない人にケーキを食べされるために、システムを変えた」という表現で思い出した気の毒な日本人がいました。クニオさんです。お金が乏しいので、当時、ミュンヘンで手に入ったマルチビタミンを多用しているうちに、ぶくぶく太って、言動もおかしくなってしまいました。うろ覚えですけど、早稲田大学のご出身ではなかったかなあと。普通に食事ができれば。

    返信
  3. あ*=franoma

    「食べされる」ではなく、「食べさせる」でした。
    謹んで訂正します。

    「試される」というのは大変なことでして、当人の先祖代々のトラウマに依存して、当人に
    「試させる」=トライ&エラーができるようにすれば、いいと思いますね。

    返信

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