寺内樺風と精神科はよいがTVタックルはNGのPTSD否認拉致監禁問題

「大人のひきこもり」を特集した

「ビートたけしのTVタックル」は

支援という名の暴力だと

精神科医の斎藤環さんや

ひきこもり経験者らが

東京都内で会見を開き

異議を唱えました。

 

 

 

あすママ事件の時と同じで

(ポストちゃんを見て

辛い記憶を思い出して

リスカしたとか)

当事者が傷ついているとも

主張されていますが

 

精神科のやりかたよりは

かなり優しかったように思いますよ。

 

多少の父性は必要でしょうし

親御さんの人権はないのでしょうか。

 

 

 

「精神科拉致監禁」の画像検索結果

 

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中島さんでも

(周りからやいやい言われて入院)

拘束されて

立てないほど薬を盛られたので

早く退院するために

抵抗するのをやめたそうです。

保護された朝霞の中学生は

なぜ逃げなかったのか

相思相愛だったのだろうと

悪口を言われているそうですね。

 

日本は

犯罪者と精神科に優しい国です。

 

 

寺内樺風と精神科はよいがTVタックルはNGのPTSD否認拉致監禁問題」への8件のフィードバック

  1. franoma

    「親御さんの人権はないのでしょうか」…もちろん、ありますね。

    すなわち、親御さんが親子共倒れという最悪の結末を避けるために「父性による切り離し」を選択することは、親御さんの人権擁護のため、親御さんに許される自由でしょう。

    お子さまがトラウマ返しをしてきたら、親は受け止めるしかなく、なかったことにせず、悲しみとともにトラウマ強化受容( http://bit.ly/trauma-juyou )を進めるしかないだけです。

    親がトラウマ返しを受け止めることができるように支援することは、心理支援になります。したがって、親子で箱庭療法を受けて、心象風景を共有することは有効です。

    トラウマ返しを絶対に受け止めない親、トラウマに絶対に向き合わない親を持つケースでは、「親が自分を殺害しようとした」という「中核トラウマ」の傾聴によって治癒( http://bit.ly/mumAbused-PTSD )して絶縁するアプローチを選択する自由は、子が自分の人権を守るために許されます。しかし、親がトラウマ返し受け止めないからと言って、親を殺害すれば単なる殺人罪、家庭内暴力をやれば単なる傷害罪ですね。さような犯罪行為を選択する権利(=特権)は誰にもありません。

    ところが、ネットストーカー行為という犯罪行為を選択する特権が自分にはあるという態度を取り続けていらしたのが、idthatid さまです。おそらく、
    社会システムにおいて公務を伴う地位を、
    被差別者を定めて棄民する特権を有する身分にすり替えようとしているアベ&仲間たちの庇護が受けられる人脈をお持ちなのでしょう。ハコモノ( http://bit.ly/hakomono )コネクションもアベ&仲間たちの庇護が受けられる人脈の一例でしょう。ちなみに、「ハコモノ・コネクション」は、私が二十歳のときに一学年上の物理学仲間と文芸座地下に350円で入り、映画『フレンチ・コネクション』を観て、日本で観察される「人脈」社会現象の例として、そういうのがあるなあと思っただけですので出典は、ありません。いずれもヤクザな話ですね。そして、ヤクザな人脈に庇護されて犯罪行為をなかったことにしようとする人はゴロツキです。ゴロツキは、お辞めになって真人間になるには、更生の道(コメント http://bit.ly/226dTtNhttp://bit.ly/1MO6yxl 参照)を歩む必要があります。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      向き合うことを避けている人たちのコンプレックスを刺激したのかもしれませんね。

      『フレンチコネクション』もわかりやすいたとえですね。

      ゴロツキコメントのはにわは、この頃から「傾聴」の意味を間違ったままです。
      これを諭すどころか煽ったidthatidは最低のスクールカウンセラーですが、こうしてみると両者の文面はよく似ています。
      気が合ったのでしょう。

      返信
  2. franoma

    連投、失礼します。
    付け足しです。斉藤環氏と池上正樹氏で
    検索しました。
    http://bit.ly/1qq8thA

    「支援そのものに潜む暴力性」などというと、問題のすり替えになりますね。
    「支援」になっていないから誰かの人権蹂躙につながる「暴力」になるという点を、きちっと哲学しないと、この人たちの勘違いは永遠に続くでしょう。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      ありがとうございます。
      この人達も尾木ママらのように「すり替え」が巧みですね。
      やはり哲学が大事です。

      返信
  3. franoma

    再度、連投、失礼します。「問題のすり替え」に陥らないように、国連の人権委員会による査察をしていただいたら良いかも知れません。

    MTVでトム・ヨークが言っていた “logical emotions” が欠けている( http://bit.ly/1RzmyDz )精神科医の代表格が http://ameblo.jp/kyupin/ 先生です。被害をなかったことにする神田橋條治( http://bit.ly/1Ycop1v )医師ご発明の「記憶のリセット」を行ない、結果として加害者支援を行なう(権力者におもねることを第一にして「人類の福祉」には頓着しない)「治療ストーリー」です。「治療ストーリー」は唯一無二ではないという意味で恣意性がありますが、治療される本人の文化的な基層を蹂躙する「治療ストーリー」を「専門家」と称する人が勝手に選んで、保護者を丸め込んで家族全員を「洗脳」したらダメでしょう。国連の人権委員会による査察をお願いしたいところです。拙ブログにも
    『行政法をデタラメにして行政権の主体たる国家がやりたい放題…リヴァイアサンとして市民を食い殺す』
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12146157940.html
    に書いたような状況が着々と実現されているのが現代日本です。

    保護者にあるのは、教育の「自由」と、教育を受けさせる「義務」、
    保護されている子にあるのは、自己教育の「自由」と、教育を受ける「権利」、
    保護者とは、子の人権を守るように、親権と監護権を行使し得る人物ですね。
    したがって、自分が摂食障害やリスカ、アグレッサー( http://bit.ly/1hz1Jsv )、「眠れる森の美女」気取りで、子の人権を守るように親権と監護権を行使し得る状況にないならば、そのことを自覚し、育児支援を受けることによって、
    お子さまにPTSD負の連鎖が及ばないようにすると良いでしょう。姪の実母は、自分が摂食障害で、姪の人権を守るように自分が母親として対処することができなかったため、私が仕事を減らして、姪を学童保育での「いじめ」から保護することになりました。その件は、他所さまのブログ記事にもコメントしました(No.23)。
    http://ameblo.jp/minshushugi/entry-12140563296.html#c12833156884
    23. Re:自己犠牲をそれと捉えない考え方もあります。
    >ひなたさん

    傍から失礼します。

    論理のすり替えに使われそうである点、私も危惧を感じます。

    例をあげますと、私も姪が学童保育で「いじめ」を受けた際に、姪の希望に沿って学童保育をやめられるように私のところで預かりました。自分の子でもないのに仕事を減らした「自己犠牲」ですね。実母は何をしているのかと言う人もいましたが、そのように責めても意味のないことです。しかし、そうして割を食った経緯を、私は自己犠牲とは捉えていません。とはいえ、そのことは、姪に対する「いじめ」という集団的な犯罪行為を止める術がなくて生じた「被害」であって、「美化」すべきことでもないし、ましてや「兄が家長で私はその下にいる身分だから当然、引き受ける」旧民法の身分制でもありません。

    姪に対する「いじめ」という集団的な犯罪行為を止める術がなくて生じた「被害」をきっちり認識して、PTSD予防が必要なのです。そして、「加害」行為を一生、恨んでやるということではなく、そういうことがあったことを忘れずに人生経験として記憶して、そのあとの人生を組み立てる中で活かしていくことが大事ではないかと思います。
    あ* 2016-03-20 03:16:24
    ===コメント内容おわり===

    『行政法をデタラメにして行政権の主体たる国家がやりたい放題…リヴァイアサンとして市民を食い殺す』
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12146157940.html
    に書いたような状況が着々と実現されているので、
    国連の人権委員会による査察が是非、必要ではないでしょうか。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      私もそう思います。
      日本の常識=世界の非常識です。

      この問題は、日本独特の変な「甘え」をこじらせた問題だと思います。
      日本文化は好きですし、土居健郎の「甘え」理論は大事ですが、「はにわ」のようにそれを恣意的に捻じ曲げるとおかしくなるわけです。

      20年ほど前には、家庭内暴力の流行(耐え忍ぶ母親たちが支える)は、西洋から見ればエキセントリックで理解しがたいと言われましたが
      さらに進化してこのような論争になりました。

      返信
      1. franoma

        仰るとおりです。「家庭内暴力の流行」も含め、あらゆる流行は、未治療PTSDによる社会現象ですし、
        それを「耐え忍ぶ母親たちが支える」のは(人類レベルで見て)異常事態=エキセントリックでした。戦争法を無視した市街地の絨毯爆撃=大空襲ならにびヒロシマ&ナガサキへの二発の原爆投下によるPTSD蔓延が敗戦後の日本にPTSD現象の嵐を吹かせたでしょう。
         しかし、何があっても家族を支えるしかない母親の社会的役割を放棄せず、PTSD現象の嵐を耐え抜いた行為をバカにするのは間違っています。それでは単なる加害者支援=日本人オーバーキル( http://u0u1.net/ARKM )路線への迎合に過ぎません。そういうわけで離婚すれば良かったのかというと、そういう問題ではありませんね。離婚してはいけないという問題でもありません。

        誰も人道上の罪に陥らない唯一の解は、その場を共有する当事者たちが、PTSD現象を認識し、各人がPTSD現象の嵐のなかで一人一人、翻弄されないように、自分の人生を組み立てよう=歴史的身体を大事にしつつ、サバイバーになろうとすることです。

        あの仙台エリート研修医のように、解離性健忘に逃げ込んでしまうと、それは社会的な自殺行為であり、社会復帰は不可能になります。私の元配偶者も残念ながら、そういう道を選んでしまいました。しかし、まだ殺人予告と殺害未遂しかしていませんので、保護人格が耐え抜くことができれば、自力の果てに他力が働き、(私どもとの縁は切れても)当人なりの人生が開けるでしょう。それゆえ、あの人たちがもう日本人一族と一切、関わらないでくださるならば、息子とともに私も「彼ら」に幸多かれと祈る次第です。完全犯罪だからといって、やっていいことは、ありませんよ。> 西洋白人女性心理職さま。

        結局は、PTSD現象学を進め、並行して個別科学としての失敗学を進めるしか「人間として生きる」=ヒューマニズムを捨てない道はないのです。おそらく、村上靖彦先生は、このことを理解なさるでしょう。氏のご多幸をお祈りする次第です。

        返信
        1. wpmaster 投稿作成者

          DSM的な視座では、こういう大きな流れが見えてきませんね。
          結局のところ、何もわかっていないわけですから、正しい判断もできるはずがありません。
          実際に会って話すと、理解を示さない人はいないのですが、ネット上は変な人が多いみたいですね。

          返信

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