「非連続の連続」
昨日の自分と今日の自分は違うが
自分としては
連続している。
多重人格は
「非連続の連続」の非連続?
「通態度化(trajection)」
同時に主張すれば矛盾をきたす
2つのものの間を
時間差をつけて行き来することで
矛盾律の適用をかわす
巧妙なやりかた
多重人格は
これを実験して
破綻している?
一日中よく喋った
「非連続の連続」
昨日の自分と今日の自分は違うが
自分としては
連続している。
多重人格は
「非連続の連続」の非連続?
「通態度化(trajection)」
同時に主張すれば矛盾をきたす
2つのものの間を
時間差をつけて行き来することで
矛盾律の適用をかわす
巧妙なやりかた
多重人格は
これを実験して
破綻している?
一日中よく喋った
竹林にはかぐや姫がいらっしゃるのかしら?
関西のかぐや姫は関西弁なのかしら?
私もかぐや姫を想いました。
両親ではなく祖父母に育てられると、コテコテ(意味わかりますか?)かもしれませんね?
船場言葉や京都弁ならちょっと趣がありますが
コテコテ= quite heavy
漫才やってるかぐや姫を想像してしまいます
かぐや姫の声優さんが「んなわけあるかい!」とコテコテ関西弁\(◎o◎)/!
かなぴー…..
日本国外では観れなーい!
妄想しておきまーす
おまけ!
見えますか?
動画はみれないです….
残念?
記事本文
https://bit.ly/2uVJLcT
「昨日の自分と今日の自分は違う」
≒「昨日の自分は(今日の自分にとっては)他人」(©︎ 鶴剛)
鶴剛 site:.kunota506.com
– Google 検索
https://bit.ly/2Lcj3rk
「いたる所が連続していながら、微分可能な点が一つも存在しない曲線」というのが数学的には考えられます(=想像できる=「創造」可能=“create”できる)。普通に四年制大学の理学部を卒業した理系人は誰でも知っています。
「いたる所が連続していながら、微分可能な点が一つも存在しない曲線」は途切れておらず、その曲線(二次元空間)上に存在するヒトは、微分可能な点が一つもないことを知らないし、自分のいる宇宙空間とは、こういうものだなぁと観察して生きているだけで、微分可能な点が一つもないことは何ら苦痛にも障害にもならないでしょう。微分可能な点が一つも存在しないと、次は一体どうなるのか?…さっぱり予想がつかないため、
「昨日の自分は(今日の自分にとっては)他人」
≒「昨日の自分と今日の自分は違う」
常に発想は自由であり、
Die Gedanken sind frei – Kinderlieder zum Mitsingen | Sing Kinderlieder
https://youtu.be/MKSJ56odw5E
一体、次の瞬間に何を思いつくか?…当人も誰も知らないことです。同じことをやっても、昨日は「これをやっても意味ないかも…」とネガティブな思いが湧いたりして、やる気が出なかったのに、今日は「新しい朝が来た 希望の朝だ…」(←ラジオ体操の歌)と別人のように意欲満々だったりするのですよね。
これは「多重人格」状態とは、何の関係もありません。
理系人が皆、セレンディピティを拾って生きるとともに、失敗学をも進めるのは、成功/失敗の評価や解釈をする以前に、観察主体を手放さず、常に “descriptive science” を実践しているからでしょう。茂木健一郎と斎藤環の書簡やり取りで、セレンディピティの話を出したのは茂木健一郎です。斎藤環は、現象学ができない人物ゆえ、完全に終わっていました。
ところで、人生を破綻させるような解離言動を “acting out” するのは、
⒈ 麻原彰晃さん(←kyupin医師も同タイプ)のような妄想性障害者に巻き込まれて自我肥大を起こし、地下鉄でサリンを撒いてしまった…多重人格性がない豊田亨さんのようなケース
⒉ idthatidさまや「多重人格としての摂食障害」、私の元配偶者のように多重人格性があるケース
2つに分けることができます。
多重人格性がある所為で、私が人生で遭遇したなかで最も精神機能の障害が大きかった人が実は兄の前妻です。離婚後、オーストラリア白人男性??に引っかかって暴言が凄かったそうで、私に丸投げしました( https://bit.ly/2KuhyU9 )。
…と様々な現象について観察主体を手放さず、常に “descriptive science” を実践して言えることは、
「なかったことにせず」
傾聴によってPTSD予防&克服を進める以外に、荒れたPTSD現象を収拾する方法はない…ということです。
したがって「なかったことにする」ことがPTSD否認=社会病理のなかで起こし得る最大級の「人道上の罪」であることは自明です。この辺を理解なさったのか否かは不明ですが、香山リカ立教大学教授がついに私をツイッター上でブロックなさいました。
https://bit.ly/petitKairi
「なかったことにする」 site:.ptsd.red – Google 検索
https://bit.ly/2uHt8lH
「なかったことにする」ことがPTSD否認=社会病理のなかで起こし得る最大級の「人道上の罪」であるのに、それをやらかしてきたのは、idthatidさまや私の元配偶者、仙台エリート研修医( https://bit.ly/SendaiEliteIntern )などです。多重人格性ゆえに反省することが出来ず、更正( https://bit.ly/rehabilitare )できないタイプです。「優しく接すれば大丈夫」(©︎ 岡野憲一郎)というのも「居場所があれば治る」( https://bit.ly/2mB0Dla )というのも勘違いですから困ります。
まとめますと、
?
化した実例がヒラリー・ゾンビ( https://bit.ly/2moZxJu )さん。
⒈ 多重人格性があると精神機能には障害する。
⒉ 精神機能に障害がある人は、兄の前妻のように悪気はなくても「人類の迷惑」であり、大学人として処遇すると「社会の害悪」になる。
⒊ 精神機能に障害がある人は、人道上の罪ばかりか、あらゆる犯罪=解離犯罪をやらかす “perpetrator” =加害者型PTSDゆえ、鑑別診断が必要。
⒋ 鑑別診断を逃れて?
⒌ 公認心理師法システムを構築構築&運用する側に集結する人=思想弾圧を進める(=世界人権宣言の精神に反する)行為を「良かれ」と思って実践する精神障害者。
…と言えます。
なかいきあか ちゃんのカウンセラーは serendipity という言葉さえご存知ないのかもしれませんね
ほんのちょっとした事の重要性を経験した事のない教科書フォロワーには理解出来ないのかもしれない
もしも、そのカウンセラーが今の日本のカウンセラーのスタンダードだとしたら鳥肌立つくらい怖いですー人の悩みを聞くフリして来談者を自動的に自殺に追いやるカウンセリングをしている事になるーどして 、誰も何も言わないの?
問題視する人が少ないのは、ヘンですよね。
悟った人、心理療法で個性化した人は、現在の心境について二重の意識をもちます。
ものすごく変わったけど、全然変わってないという感覚です。
我と汝と言うのは、そこに親しみがあるからで、「他人」と微妙に違う表現した時点で全く違う意味になります。
また、新しくなればいいと言うものではなく、例えば「過去を忘れて前向きに」みたいな弊害と繋がるんですよね。
悟っていない10代の子供にはそれが弊害がどうかはわからないわけだから、カウンセラーは何を言葉にして来談者に伝えるかを考えるべきですーカウンセラーのブラックボックスから出て来た言葉のプロセスを10代の子供が理解できるわけがない
十代の子どもでも科学リテラシーがあれば、騙されません。
「観察 の領域において、偶然 は 構え のある心にしか恵まれない」
(Dans les champs de l’observation le hasard ne favorise que les esprits préparés.)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3#%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%A3
ということで…
⒈ バカにも種類があり、理系バカは、観察主体を手放さない人だけがなれるバカです。
https://ameblo.jp/aya-quae/image-12391827991-14231773257.html
⒉ 観察主体を手放させようとする心理職や精神科医は「なんちゃってラポール」しかないのに “I am with you” と言って来談者制圧を目論みます。
⒊ 「なんちゃってラポール」でしかないのに自覚できないため、『倫理学という構え』ができません。
倫理学という構え
– Google 検索
https://bit.ly/2MDpeRr
関連記事:
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12390457715.html
騙されない子どもを社会的に抹殺しようと躍起になった西洋白人&腰巾着たちが人道上の罪を犯してきたのは明白ですよね。
たとえ、見抜く力(観察力)があっても周囲の圧力で見抜いた事柄を否定される事が多いのが現状です
だからカウンセラーに行くのが10代の子供の行動なのだと….
でも、現場はそのカウンセラーに否定されてるのですよね
3人は、10代の子どもにこんな言葉を吐いたのですね。
発達障害の流行に便乗しながら、発達心理学は勉強不足みたいです?
そもそもまともに学んでたら、発達途上の子どもにコンサータなんてありえないことですが…。
常識で考えても(ドラゴンの常識は多分非常識なのだと思いますけど)、発達の著しい子供の神経作用を麻痺させる様な薬を投与する事は 子供を生きたまま殺す事と同じだと思うのですーどして ママたちは子供に薬を強要する事が出来るのでしょう?薬で自分の感情が麻痺した経験があるドラゴンだから言える事なのかな?
この3人の問題は、知識以前に、なかいきあかちゃんに対する愛がないことでしょう。
ただうるさがっているだけで、ママの言葉が圧巻です。
問題です
次のうち、どのママが「一番良いママ」でしょう?
1)「根性の問題」と言ったドラゴンママ
2)「早く死んで」と言ったきあかちゃんママ
3) 発達障害誤診に従って子供にコンサータを強要するママ
解無し
公認心理師ママグループなら3番かもしれないけど…?
https://ameblo.jp/nyannko136/entry-12392627872.html
このブログでも母親の立場や彼女の母親としての心内を考えさせられるドラゴンです
ドラゴンは2人のボーイズの母親であるけど、未だに子供の立場としてママのあり方を責める気持ちがまだあります(「根性の問題」と言われた事でその後30年間はcompletely detached feeling を強要されてたと思ってます)
子供の立場としてにゃんこさんのブログを読むべきなのか、それとも、母親の立場として読むべきなのかわからないのです
ママも過去の記憶は消せないから悩んでる部分があるというのは理解出来るけど….
傍から失礼して…
「子供の立場としてにゃんこさんのブログを読むべきなのか、それとも、母親の立場として読むべきなのか」
…という点について、コメントします。
「〇〇の立場として読む『べき』」という発想をお辞めになっては如何でしょうか? …と言われて「《言うは易し》だけど、実際にはやめられない」と感じるようなら、
翠雨先生のところで親子揃って箱庭を置くことが覿面の効果を持つハズです。
⒈「親の立場」に適応する
⒉「子の立場」に適応する
…という2つの「適応論」に堕する「陰陽混乱」状態から親子揃って解放されるでしょうから。
おはようございます
Objective viewingをしなさいと仰るのですね
“Stop it ” therapy を100年やってもきっと治らないのでは?と思う反面、14歳の時の問題がヒステリーであるという事がわかったら少しだけobjective viewing が出来てるのかもしれないと感じる日常ですー駄菓子菓子ードラゴンママに「根性の問題」と言われてドラゴンは頑張る事を強要されてemotional abandonment されたドラゴンは まだサバイバルモードの中にいるのだと思います=CPTSDが治っていない
だからなのか、ドラゴンの中の2人のボーイズのママモードと14歳で発症した後の2年間の行き場のない子供モードが出たり引っ込んだり…..にゃんこさんのブログを読んでるとにゃんこさんの息子さんを亡くした悲痛な母親の気持ちに共感してしまうー一方で、ストーカーが誹謗中傷してる中にドラゴンがドラゴンママに抱いた「自分はAbandonされてる」という要素があって、亡くなった息子さんももしかしたらドラゴンの様に「ママに助けてもらえなかった」という思いがあったのかもしれない….って妄想してしまうのですー自殺者の本心は誰にもわかりませんー遺書を書いても日記に思いを綴っていても果たしてその書かれた言葉が本人の真の想いなのかは誰にもわからないですから….
Franomaさんがおっしゃる様に立場を捨てて客観視すればどれだけ生きやすくなるか…はっきり言って、ドラゴンにとって、それは憧れです
説明が悪かったようで、どうも、すみません。
「立場を捨てて客観視」するのではありません。
https://ameblo.jp/aya-quae/image-12391827991-14231773257.html
⒈ 「観察主体を手放さない」こと、そして…
⒉ PTSD現象の嵐のなかで、翻弄される「客体」に成り下がらないことによって、
⒊ 患者として「治る」選択をする責任を果たす( https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12029607948.html )。
…という「PTSD克服への道から逸脱しないようにしましょう」と提案しております。
観察主体を手放さないのであれば、PTSD現象を観察して、その悲惨さに自分の主体も揺さぶられる=心乱されることは人間として当然のことでしょう。その際に、惻隠の情で(無我の境地にて)介入することはあり得ますよね。そのように動くこと自体は健康なことです。しかし、惻隠の情で自分のその時の歴史的身体が咄嗟に動かなかった場合、そのまま傍観者に成り下がってサバイバーズギルトを負う事態を避けること(=PTSD予防)は大事です。そのためには、同時代人として一緒に「何とかならないものか?」と考えて、まだ起きていない不幸を防ぐこと(=PTSD負の連鎖をさせないこと)です。その際には、「〇〇の立場として読む『べき』」という発想をやめることがキモです。何故ならば、「《べし》は《できる》を含意する」ので、「PTSD現象の嵐のなかで、翻弄される《客体》に成り下がらないで踏み止まる」ことが出来なければ、上述の⒉を実行できず、患者として治る選択をする責任が果たせなくなってしまうからです。翻弄される客体に成り下がりそうなら、ドラゴン?さんは、親子関係の問題があると考えられるわけですから、親子揃って翠雨先生の箱庭療法を受ける=患者として治る選択をする責任を果たすと良いでしょう…という提案になるのです。
「にゃんこさんの息子さんを亡くした悲痛な母親の気持ちに共感」するのは当然のことです。息子さんは、自分で精神科に行って何とかするから大丈夫だよ」と行ったところ、精神科医が妄想性障害者だったので「自分は発達障害だ」と信じさせられて、56錠/日という処方をやられ、自らの観察主体を失ってしまいました。「アスペ」ラベリングも含めて発達障害論では、患者に観察主体を手放させることが前提ですから「そんな多剤大量服薬をしたら危険だよ」と助言するのは処方者の責任&医療従事者としての職業倫理上の義務なのです。この認識を、にゃんこさんだけではなく世界中の人々と共有しましょう。本当は、患者当人に観察主体を手放させようとする治療者は、「なんちゃってラポール」しか形成できませんから「ラポールではなく、フォース」で来談者を制圧して悶着=PTSD現象の強制終了を実行しようとするわけですね。強制終了が思うように行かないと「これでもか!これでもか!」と大量処方に拍車がかかるわけです。…という状況になっているとは、にゃんこさん母子は気づきませんでしたが、気づかないのが悪かったとは言えませんね。にゃんこさんのご子息を「発達障害」妄想に巻き込んでしまった妄想性障害者=精神科医こそがkyupin医師や麻原彰晃さんタイプの加害者型PTSDだったわけです。この認識を広く共有して、PTSD否認を続ける専門家たちに抵抗して行きましょう。冒頭に戻って…
⒈ 「観察主体を手放さない」こと、そして…
⒉ PTSD現象の嵐のなかで、翻弄される「客体」に成り下がらないことによって、
⒊ 患者として「治る」選択をする責任を果たす( https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12029607948.html )。
…という「PTSD克服への道」から逸脱しないようにしましょう。
Franomaさん
ども
「翻弄される客体に成り下がりそうなら、ドラゴン?さんは、親子関係の問題があると考えられるわけですから、親子揃って翠雨先生の箱庭療法を受ける=患者として治る選択をする責任を果たすと良いでしょう…という提案になるのです。」
ドラゴンママにはPTSDは一生理解出来ない事の様ですー理解する気すらないのですー私が話しをしようとすると忙しいからとか、今はちょっと都合が悪いと言ってドラゴンと対話をする気は無いようですードラゴンママは制圧的なカウンセラーと同じなのですークライアントの個性を全く無視して一方的に押し付けるのですーそんな人がどうやってドラゴンと共に翠雨先生の箱庭の前に座る事が出来ると思われますか?ドラゴンママはTMP(Typical Must Person)ですーピアノ演奏のダイナミックスでさえ生徒に強要しちゃうし、ドラゴンの感情でさえもコントロールしようとした人ですーそんな人がどうやってSelf awareness する事が出来るでしょう?
お返事
https://bit.ly/2JTCNe0
ありがとうございます。
また誤解があったようで…説明が悪くて申し訳ないことです。
「親子で箱庭療法」は如何ですかという提案は、
「ドラゴン?さんとご子息で」という意味です。ご子息への負の連鎖が生じないように出来れば良いからです。
私どもの課題は、まだ起きていない不幸を防ぐことですよね。
すいません
バカなのでキチンと理解出来ないみたいで……
ボーイズ&ドラゴンで箱庭ですか….
ドラゴンとボーイズに問題があるのでしょうか?ー ドラゴンはドラゴンママを反面教師としてボーイズを養育して来ましたーなるべくドラゴンママの影響がボーイズに及ばない様に….土曜日の音楽学校も拒否して地元のフットボールクラブに所属させてドラゴンママの意向とは全くの別方向の選択をして来ましたードラゴンとボーイズは仲良しだと思うのですけど…
いえいえ、私の言葉足らずです。
翠雨先生のブログ記事
https://bit.ly/2LK7TX1
コメント欄のやり取りを思い出して、
ドラゴン?さんが頑張ってトラウマに向き合いつつ+主たるトラウマ源たるドラゴン?ママさまを反面教師にしてご子息と接する…という複雑にならざるを得ない状況なら、
親子揃って箱庭をなさったら…と思ったのです。
ボーイズとは仲良しなドラゴンですー長男のガールフレンドは長男とドラゴンが仲良しなので 最初ドラゴンが怖かったみたいですwー
でも、箱庭はやってみたい♡
日本語のネットサイトで箱庭療法を検索してみました
https://hakoniwasalon.com/2017/04/06/about_hakoniwa/
既に発達障害のスクリプトがインストールされてる箱庭みたいですね
「アスペ」ラベリングを受容=セルフネグレクト強要を受容する状態を前提とした箱庭療法とか…ありましたよ…
唖然としてノーコメントでスルーしました。
そんな人たちが多数派ですから生前の父も私も箱庭療法家を訪ねようと思ったことはありませんでした。
箱庭療法を受ける人の観察主体を無視しないと「発達障害論」が展開できないことは自明なので、療法家として必要な最低限のロジックが欠落していますよね。