予告してました。
お約束ですので
今日は『アサッテの人』について書きます♪
第137回芥川賞
第50回群像新人文学賞 W受賞!
主人公の叔父は
吃音による疎外感がトラウマとのことだが
― 吃音と昇華の有名人
この段階では既にPTSDの負の連鎖
箱庭療法が得意な世界
凡庸な言葉への嫌悪をつのらせ
トラウマ由来での不適応
孤独な風狂の末に行方をくらまし
解離性遁走
「家出」「蒸発」「解離性遁走」「記憶喪失」の実際
魂の目的はリセット
真に生きる≠「アサッテ」を生きることという
世の通念から身をかわし続け
「哲学的奇行」の謎を解き明かすため
小説家を目指す……。
哲学を得たそうです。
こういう錯誤行為はよくあるような。
«「アサッテ」を生きる» ことは、
当人の魂に根ざす[要求]と適合しない[行動]を取る
“ちぐはぐ” であり、
“真に生きる” ことが出来ないことですね。
言語的なアプローチで[二重自己]状態から脱するように診察を行なうS先生の場合、当人が「意味のある言葉を発する」時のみ良く聴きます。
«いずれにしても、パ-キンソン病に限らず、病気という類いは、要求と行動のずれです。»
https://ameblo.jp/youhakudes/entry-11983854199.html
[修験道]者は、《守備本能》と《観察主体》を磨き抜いた人々だったということですね。
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12724094427.html
やたらと[胃ろう]をして[誤嚥性肺炎]のリスクを低減したところで、当人の魂に根ざす[要求]と適合しない[行動]を取らせる[虐待環境]にしかなりません。
[胃ろう]設置と抜去は、
[拒食]状態を脱するように
当人が介護者の負担にならないくらい自ら(よく噛んで)美味しく食べる=生きる喜びを回復できるか否かに依存して成否が決まる措置です。
初め主治医は[内科医]かと早とちりしていましたが、[精神科医]なのでした。
安倍晋三&河井克行[原子力マフィア]コンビが徹底して[弾圧]してきた末田耕一医師の患者さんには、胃瘻を設置して体力をつけつつ、精神科医として面接もして、[拒食]状態を脱し、胃瘻を抜去して身体医には自分で歩いて通院できるようになったケースがあります。
[精神科医]スーパーマンではありませんが、[PTSD否認]をやめれば[拒食]状態を脱することで単なる延命措置ではない一時的な胃ろう活用も[あり]だと言えます。
ポイントは、介護者と当人と精神科医が良く話し合い、誤嚥性肺炎を起こすリスクを下げるだけのために、[胃瘻]を設置することは、如何なる意味があるのか?[納得診療]が出来ていれば、[逆恨み]みたいな事件は予防できる…ということかと思います。
福島原発事故のあと確実に平均余命は短くなっているので[躁的否認]により不自然な「人生100歳まで生きよう」キャンペーンをやって(現実離れした)煽り&何でも自己責任の鬼畜(=PTSD否認)安倍自公維で荒れた《世相》で起きた惨事だと言えます。
本当に困りますね。
“鬼畜はPTSD否認”
と言いましょう。
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12723867638.html
と書きました。
iPhoneから送信
公認心理師の99.9%はこの問題に該当するでしょう(笑)
ユング等の古典的な例外(悉く心理学>精神医学)はありますが、我々は現代の精神科医にプレッシャーをかけすぎたのかもしれないですね。
お邪魔します。
精神科医と患者の話し合いという部分ですが、これはかなり難しい部分だと想像します。
これまで患者として回復を目指し、あらゆるセラピーに取り組んで己れというものを考えて来ましたが、精神科医の学びのスタイルが患者のそれとマッチしないと話し合いにはならないと想像します。
無意識の交信をするにはどんな学び方をこれまでにして来たかがポイントではないかと…..
オンラインでラポール形成出来たと信じても、患者の真の内的世界までは観察することは難しいのではないでしょうか?
古くて☯新しい普遍的問題ですね。
要するにここが肝@キモなのでしょう。
一個人と一個人の対話ですが、双方の背景が壮大で(◎_◎;)
理解しつくすことは人知を超え不可能ですが、それを充分知ったうえで向き合うなら、話は違うでしょう。
それができるかどうかということにすべてはかかっています。
「焼香に来てください」と呼び出される前日に母親の死亡を確認したのは、何故か[精神科医]でした。その時に[死亡届]と通夜&埋葬までの段取りを介護者である息子さん一人で出来ると判断したのでしょうか。下手すると後からでも[変死]扱いされるリスクはある訳で、よく判らない[精神科医]の行動です。
“頭お留守” 状態とは如何なるものなのか?
よく話し合うことから始めないと、
何故、私が死んだら息子には翠雨先生かお弟子さんに箱庭療法を受けるように進めるのか?誰にも理解できないでしょうね。以下のような “同居孤独死” にはならないと予想していますが、野良患者さんが身内にいますから、もし私が死んだら益々の攻撃をやるでしょう。[死人に口なし]ですからね。
“同居孤独死” をさせてしまった息子さんは、まさに
“頭お留守” 状態に一時的に陥っただけの[普通の人]のようです。
“同居孤独死” 父親の遺体を放置 息子の告白
|NHK事件記者取材note
«東海地方のアパートの1室で、70代の男性が遺体で見つかった。
和室の布団の上で死後半年が経っていた。一見「孤独死」と思える状況。
しかし、和室から扉を隔ててわずか数メートルの部屋には息子が暮らしていたのだった。
親が亡くなっていることに、同居する子どもが気づかない。
“同居孤独死”とも言える信じられないことが起きていた。
親子に何があったのか。私たちは取材を始めた。
(名古屋放送局記者 大石真由)
「同居する親の遺体を放置」が相次ぐ
東海地方では去年の夏、親の遺体を放置したとして、同居する息子や娘が逮捕されたケースがわずか1週間の間で立て続けに3件も起きた。»
https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote24/
2020年の夏ですね。
iPhoneから送信
わっ!!!面談の強要💦
この精神科医は正業を完全に放棄してますね。
昔の教科書では【アパシー】の定義に当てはまります。
スチューデント・アパシーが流行したときの概念です。
アルバイトやサークル活動は熱心だけど、学業は一切やらないという行動特性ですね。
ご公務はできないけどレストランには行ける雅子さまがバッシングされた時は、新型うつ病と呼ぶのがジョーシキで、それはオカシイという私たちがスラップ訴訟のターゲットになって(全く気づいておらず…(;^_^A)現在に至ります。
話は元に戻って、この精神科医と違い私には危機意識があり、要求には応じませんでした。
スラップ訴訟されますが、いのちはピンピン🐡🐠🐟してます。
これは大きな違いなので、PTSD理論は重要だと証明することに成功しました♪ ←今、気づいた💡
私は長命だと思います(根拠は死んでも書かない💦)が、念のために、足を貸してくれる人募集ですね♪
翠雨ちゃんと遊んじゃいけません(遊ぶのが仕事なのに…)って専門家がいますから。
流行のPTSDには気づかないけど、行動は真似るんですからね。
その実態にも驚かされますが、嗅覚も解離しちゃうPTSDって凄くないですか?
そういえば、スラップ訴訟のBB裁判でも、嗅覚が優れた山口さんが、それを解離したかのような親切心をみせて(とてもよい人)、逆手に取られて苦戦してます。
傍から失礼します。
https://franoma.info/自己防衛と自我防衛は違うよ大塚さん
https://franoma.info/ウクライナの作為体験サセラレ
https://franoma.info/誰のためにもならない翠雨先生つぶし
ありがとうごさいます_(_^_)_
おはようございます♪
人の学び方モデルの課題に取り組む2月です。
内面的成長発達に必要なことは実際に経験する事以外に学ぶ術はないというビオンのお話し。コレ、分析系の皆さまのemotional coreみたいです。
翠雨先生は遊びから学びをゲットしようとされているのがよくわかります。
2次元だけの様な表面的な性格を作り上げる原因に何も実際に経験する事なく、本やテレビドラマ、身近な人の模倣ばかりをしている人々が陥りやすいみたい。
これからの先生の作品を楽しみにしています♪
ありがとうございます_(_^_)_
頑張って遊ぼう(*^^)v
あっ あともう一個だけ翠雨先生に言いたかった事が….
スピリチュアルビューティーは強い!という事❤️
では、プレゼン行ってきまぁーす
それも忘れないようにします。
行って(言って?)らっしゃ~い♪
傍から失礼します。
clinician に “clinical detachment” を外させようと頑張る人物は “spiritual dirty” です。S先生の診察を受ければ、[二重自己]状態が直ぐに露呈するので、PTSD治癒への道に踏み出すことができるでしょう。しかも現在の[保険診療]内ですし、服薬が嫌な人には処方しません。
服薬が嫌な人には処方しない…というだけなら kyupin医師も同じなんですけどね…orz。
最後にちょっと使うんでしたね。
そこまで行く覚悟もなく、(言わないだけで実は)クスリも欲しい人が押しかけてご迷惑をおかけしているような気がします。