おはようございます🍁
お誕生日の方おめでとう御座います㊗️「狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狹く、その路は細く…」
今日は『狭き門』などで知られるノーベル賞作家🇫🇷アンドレ・ジッドさんのお誕生日🎂誕生花「アングレカム」「祈り」 pic.twitter.com/9QDG4wItJI
— みやのすみれ (@sumiremiya) November 21, 2025
11月22日は、小説家アンドレ・ジッドの誕生日。
「周囲の者の、「あいつに何ができるものか」と繰り返す声が耳にはいるばかりに、私たちは、したいと思うあれやこれやのことを、子供のころからどれだけ手をつけずにすごしてきたことだろう。……」(神西清訳『田園交響楽』新潮社、P11) pic.twitter.com/hZXX132cCT— 本ノ猪 (@honnoinosisi555) November 22, 2025
厳しすぎるしつけのせいで
厳格なプロテスタンティズムによる過剰な克己主義
自伝的な『一粒の麦もし死なずば』のように
病的な臆病者で
成績不良のみならず
学校では問題児
11歳の時
パリ大学法学部教授だった父親を亡くしてからも
母親のかつての家庭教師が同居して苦しめられたことは
— しかもそのトラウマを不問に
『狭き門』にそっくり移行されています。
父親のしつけが嫌で
家出する問題児ポニョのような子は
西洋にもいましたね。
罪とは魂を曇らせる全てのものをいう という名言も
道徳的なことではなく宗教上のお話

西田幾多郎「善の研究」(岩波文庫)
— Nick (@puyomonchi) November 22, 2025

自傷行為を悪意のしるしという眞人は神経症
— 発達障害流行時代の臨床心理学における常識と全く違う
『君たちはどう生きるか』の真人に通じながら
自分の眼で見ることの大切さを教えてくれています。




広き道は地獄の一丁目




自分の中のどこかでずっと感じていた事ですが、「厳しさ」と「臆病さ」って、連動していると…..
厳しい環境で培われた理性を親元から離れた時にどう活用するか…..自ら、その環境で思考活動をする時、その理性を如何に自律して活用する事が出来るのか……
“「啓蒙」の定義は、自己の理性を独立して用いる能力の獲得に他ならない。” って、言うカントの概念に通じていますね。
あらら….カントの概念について書かれてる本をamebloブログに掲載したら,サイトに相応しくない内容としてバンされてるw…..
まあいいや。何を言いたかったかと言うと、今色々宿題しながら考えている事は、トラウマ病からの回復には、当人が考える力が勿論必須なのですが、その際に己の理性をどの様に活用する事が出来るかで次のステップにシフト出来るかいなかが決まるのかもしれないと….
あまりにも強過ぎる理性だと、リハビリになるはずの情動経験をしている事すら受け入れられないドラゴン🐲ママみたいになってボケたフリして一生を終えようとするケースもあるという事….
何書いているのかわからなくなっちゃった….
ジッドもポニョも、その親は教育熱心で一般的にはよいおうちの子どもでした。
ジブリは、いわゆるよい子はこころを病みやすいということを問題にしてきたわけですが、それはよいおうちに原因があるとして、ポニョに家出させました(そりゃ家出もするよ byジブリ)。
厳しくされてトラウマ症状が確認されたということは、条件づけが起きていたということですよね。
実験鼠の場合、臆病は典型的な症状の1つとして図示されます。
そんな状態(暗い場所)から解放される(明るい場所へ)とよいのですが、それには気づき(啓蒙される)が必要だということでしょう。
しなやかな理性が要求されますね。
トラウマ記憶に苛まれて、理性の外にある答えに啓かれていない状態も、蒙(暗闇)に固執し跳ね飛ばす状態も、脆弱性としての回避反応であり、むしろ無我のザブン教が最強ということではないでしょうか。その無我は何も考えていないのではなく正しく判断しているのです。
仏教なら二河の譬えの方に突き進んでいるイメージです。
ブログは私も拝見できませんでした。
リンクが張ってあるだけなのに、跳べないと思えば、私のホームページのフォローフィードからアカウントそのものが消えてしまっていて驚きました(>_<) AIは一体どのような判断をしたのでしょう。 私が想像していた以上に優秀だと感心し始めたばかりなので、興味津々…どうしても知りたいところです。