子どもの発達について
ピアジェの前操作期:2~7歳ころ
自分の視点や感情を中心に考え
— 他者の反応に無頓着
モノの量や数は見かけの変化に関わらず
一定であるという概念を理解できていない状態
例に挙げられる歌ですが
たとえ話であると考えると
ユング的に意味を探ると
深い哲学があるようにも聴こえます。
ビスケットが
2度焼く
— 陰陽・火気
たべもの
— 取り入れるもの
あるとても大切なおおきなものの象徴と考えると
こころです。
歴史的世界は
『古事記』の神代
1つのものから
破壊と再生を繰り返します。
一柱の神が亡くなると
神々がわらわらと増えてきた
そんな不思議なポケット♪はあるのです。
思議を超えた大事な世界に
スタップ細胞もこんな感じのモノ
不思議なことに
双子のぎんさん
ぎんさんですね☘️ https://t.co/cM8RqJ092V
— よしこ (@Bkbc7lqDujc5A7F) February 28, 2026
蟹江ぎんさん。
かわいいおばあちゃんでしたよね😊— ひろたん👓 (@kayo_kenjiro_11) February 28, 2026
そして
哲学とその現象学が呼応
♪デカンショデカンショで半年暮らす
— さてちゃんとみそちゃんのチ〇チ〇マ〇ン猛レース(日常垢) (@satekora) February 27, 2026
昔の大学生(インテリ)は哲学にかぶれ、哲学といえばドイツ哲学(カント、ヘーゲル、ニーチェ等)だった。
さらに昔は医者のカルテはドイツ語書き、精密機械(カメラ)といえばライカ、法学もドイツ、クラシック音楽もドイツと、頭良い人はドイツに憧れる要素があって、今も引き継がれてるかも。— 人生方向音痴 (@jinse_hokoonchi) February 28, 2026
カントが亡くなった日です。
デカンショ節 新しい歌詞考えて 入賞者に丹波焼の皿贈呈 振興会、5月29日締め切りhttps://t.co/NeJjxZenAD
丹波篠山市や市商工会などでつくる「デカンショ祭振興会」(会長・酒井隆明市長)は、郷土で200年以上歌い継がれてきた民謡「デカンショ節」の新しい歌詞を公募している。— 神戸新聞 (@kobeshinbun) February 23, 2026
詩も書き換えられようとしているとは奇遇👀
日本人は
カント風じゃなくて
考えることで人間や社会は変容・発展
西田哲学風にとらえるのです。
日本版ユング心理学
考えることでは解決できない
矛盾を抱えた人間というものが
歴史を通じて問いとして顕になってくる。
— 矛盾を解決しようと考えるのではない。
カントが説明する
精神分析のようなこころのモデル =形而上学
——— 一般論ではないのは承知の上で敢て!
意識野に
意識一般 (誰でもない自己)が見ている。
見ているものもいつかどこかで見たその類のモノ(記憶)
その人自身がいて
真の自己、映す自己
記憶(昨日の自分と今日の自分)なども眺めていて
矛盾を解決する継起として
行為的直観などの働く
絶対矛盾的自己同一の場所があるということが
理論のはじまりなのです。
カント風のものの考え方こそ
ピアジェの前操作期:2~7歳ころ
発達障害的なのかもしれないですね(^_-)-☆
次の
具体的操作期になって初めて
具体的な事物や状況に基づいて
論理的に考えたり解決策を見つけたりしようとするようになる。
ビスケットは1つということを疑い出す頃に
ドゥルーズの『カントの批判哲学』をフランス語で読む。カントの3批判書のエッセンスを簡潔にまとめていくドゥルーズの手つきに乗せられてすいすい読んだ。カントの批判者でもあったヘーゲルのさらなる批判者であったのがドゥルーズ。ヘーゲルとドゥルーズのカント論を比べてもみたい。 pic.twitter.com/9y3dRL8X5D
— 上田雅子 (@technology760iu) February 27, 2026
こんな歌詞が浮かぶのやも🤔
— 作詞家は映す自己・真の自己




西田先生のご著書を色々紹介頂いて日本に行った際に仕入れてこようとリストを作ってる現状です。
ですので、まだ西田先生の思考装置を全く存じ上げないのですが、昨年、基本的なカントに浸ってみて、ドイツ的主張の強さがカント哲学に由来してるのかも…って感じてました。インターナライズしたモノを独自に応用して主張しながら、余計なモノは常に削ぎ落とす的思考過程は、きっと発達障害に繋がると思います。同感👍です。早く西田先生の本読みたい。ワクワク☺️
AIと付き合っていて改めて感じたのですが、言葉だけを繋げる事を訓練することに集中しても、ひたすら善悪の統計に従ってコード修正したところで、こころが伴わなければ真っ当なバランスキープをすることが出来ないのだと…..日本の心理学者に、ロジカルイモーションが無いと言われた自分を思い出したかも….
これから泳ぎに行って来ます♪
今朝のコーヒー☕︎マンダリン。
そういえば…
私の記憶が確かならば…@古畑任三郎🤔
AI西田幾多郎以上に何でも読めるものは読んだうえで、カント批判をした哲学すら哲学になっていないと批判し、それらとも異質の独自の哲学をつくったようなのです。
ユングや西田幾多郎と違う意味でパンクな面白い人物ではあったみたいですけどね(^^♪
絶対矛盾的自己同一 に散歩した部分はカント哲学に含まれていないって解釈でいいですか?
— AIどのに質問しているかたちになっている🤔
それです。言葉でお勉強したら、お外で遊びましょう!みたいな感覚。
常にディープラーニングを強いられる「自律したAI」(あり得ないけど)みたいです。
学びをエンボディメントする過程には情緒を育む事も含まれてるハズです。(検証されていないけど、実体験からの意見です。)
何だか、どんどん変な人になって行くドラゴンかも….
そうです。
デカンショは上半期でよいのです。
AI事変に遊ぶ妙(たえなる)なドラゴン🐲さまの個性化の過程(^_-)-☆