franoma 2016年5月16日 15:31 倫理を守るには、 「薬には注意」 と呼びかける必要がある点に同感です。 私事で恐縮ですが、四半世紀以上前に 柳瀬睦男の著書を読みつつ、カントは偉い…という話をしたら、 自称「唯物論者」曰く「お前さ〜脳ミソに継ぎ目があるんじゃないのか?」 単なる物理学科生=私「えっ???」 ということがありました。私があれこれ折衷しているのに気にしないのは「脳ミソに継ぎ目があるからではないか」「すぐ話を計量空間に持っていくのは脳ミソに目盛りが付いているからではないか」。ついでに、武谷三男から 「あんた、カトリックなんだってね。カトリックは便利でいいよねえ。何でもやりたいことをやっちゃってから『ごめんなさい』って謝っちゃえば全部ちゃらなんだから」と言われました( http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12085077710.html )。 主観的に「誇り高い」( http://bit.ly/1Ous2jr )だけで、 とんでもないことをしてしまう場合は、 「単に独善的な考えから 違法性を意識しなかったに過ぎない」 と司法で指摘していただくしか 更生の道( http://bit.ly/22PmjGm )は開けませんね。 翠雨先生のブログ記事に、以前、コメント http://bit.ly/24HOYjc しました。 事実を隠蔽し、 被害者を差別し、 被差別者の棄民をするかぎり PTSD問題が人類レベルで蔓延し続けます。 「核の平和利用」という「知の欺瞞」を人類が続けるかぎり 放射能PTSD(=radiation PTSDであって、radiation phobiaではない)が蔓延し、 PTSDに対処できないため倫理は守れません。 今や、日本中で放射能恐怖トラウマが個人のトラウマ複合体に付加されて、 記事にお書きのような解離自殺が起きやすくなっていると思われます。 翠雨先生には、釈迦に説法ですが、 PTSDに対処するには、不安(つまり何たらphobia状態)という表面的な観察で終わりにせず、 http://bit.ly/fuanDisorder トラウマを抱える歴史的心身と 現実(=景 ←「心身景一如」©kmomoji1010 の景)を直視し、 逃げるか、闘うか、自分で判断することによって パニック状態に陥らないことが不可欠な生きる姿勢です。 集団ヒステリーは、いわゆる「集団パニック」状態ですね。 隠蔽、差別、棄民を続けるかぎり、 個人の解離言動も、集団的な解離言動も、 いずれも止められません。 多勢に無勢で意気消沈、怒りを抑圧して無気力…といった状態に陥って「うつ病」のように見えても「認知症」と誤診される状態になってもPTSDなので http://bit.ly/PTSDinLaterLife 翠雨先生が日頃から仰るように、 記念日反応に注意して、トラウマを受容することです。 翠雨先生のブログ記事に以前、コメント http://bit.ly/1TemPZT しました。 先ほど、kmomoji1010先生のブログにもコメント http://bit.ly/1ZVwZTg 2つできました。 「PTSDに対処しないかぎり倫理は守れない」件に関しては、以前 翠雨先生のアメブロ記事にもコメント http://amba.to/1bCvuBQ しましたね。 ところで、 kmomoji1010先生のブログ記事を拝読して、気づいたのですが、 「エピクロス派の立場においては、唯一の真の関係は、他なるもの・外なるものからまったく切り離された人間の自己自身に対する関係だけ」→ physician 「ストア派の立場においては、人間と宇宙との関係だけ」→ physicist 私の原家族では、兄が “physician” 、私が “physicist” になる進路を選び、私が成人したときに父が「しまった!何だか二人合わせて一人前みたいな変な育ちかたをした…」と言ったでしょう。要するに、子育てには失敗がつきものであり、気づいたときには「手遅れ」。したがって、お子さまが「え?失敗?どうすればいいの?」と訊いたら、親は「悪いけど、どうにもしてあげられない。各人、自分の現状をよく観察し、自分で何とか生き延びてくれ」と謝るしかないようです。私の父も、そうしました。 実際、父曰く「世界の博士で一番バカなのが医学博士、二番目にバカなのが理学博士」と言っていたのに、兄妹とも大学は出て、兄が “physician” 、私が “physicist” になり、「もの」を観察して現象学を進める点は共通です。 ただし、兄の場合は、患者さん個人が天寿を全うできるように支援するのが仕事です。他者の歴史的心身に、当人の合意を得て、投薬したりメスを入れたりなど侵襲性の高い介入を提案し、それを他の医療機関と連携して実施する点で責任重大ゆえに医師国家試験にて篩にかけられ、「誰がやってもいい」ことにはなっていません。医師が「ヒポクラテスの誓い」に反しないためには、提案する各種検査も、星占いより当てにならない内容であってはなりません( http://franoma.blog.fc2.com/blog-entry-64.html )。 「自然学」=« La physique est-elle intéressante ? » ( http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/f3dd06c7e4695a0ca46ab735dacadc23 )の対象たるヒトの歴史的心身は、健康診断も “physical checkup” 、それを実施するのが “physician” とコ・メディカル(和製英語: co-medical、英: paramedic http://bit.ly/1qlkaFH )。 一方、「自然学」=« La physique est-elle intéressante ? » ( http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/f3dd06c7e4695a0ca46ab735dacadc23 )の対象たる宇宙の現象学は、 “physicist” がやるでしょう。宇宙の現象学は「開発」のためにやるわけではありません( http://bit.ly/21JPDyT )。火星に解離性遁走( http://bit.ly/1TetJ1j )をしても無意味ですから。 現象学を進めて、 「天寿を全うできるようにする」 =「平穏死できるようにする」 石飛幸三『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』 (講談社 http://amzn.to/1TfMrpf ) という本があります。 (1)拒食症状態を呈するPTSDがある可能性を考慮して、 他者が我意を通して、とある患者さんの「胃瘻を外す」のではなく、 患者さん当人が「胃ろうを外しても大丈夫」であるような心身状態に持っていけるようにPTSDを治せる心理職や精神科医が必要です。 (2)断食(=禊=purification)の効果( http://bit.ly/1PMO4LE )について研究を進め、 「認知症」状態の人も、断食( http://bit.ly/1PMO4LE )で回復し得ることに留意して、 「わけもわからず安楽死」とか 「家族が死なないでと泣いてもネグレクトして ハイデッガー風に尊厳死」とかいうのは、 PTSD否認による迷走なので、やめたほうが良いと思います。 …という趣旨で、ブログ http://blog.goo.ne.jp/franoma を開設しました。 すでに西洋「先進国」は、安楽死と尊厳死に踏み切っているので、 「日本人なら平穏死」と書きました。しかし、 本当は、全人類の誰しもが平穏死を迎えられるように支援するのが 当人の人格権と生存権を踏みにじらない唯一の道です。 今は、安楽死やハイデガー風の尊厳死がお好みの西洋白人の皆さまも、 平穏死を迎えられる時代が来ると良いと思っています。 返信 ↓
wpmaster 投稿作成者2016年5月16日 18:40 まずはコメントご成功おめでとうございます。 人が天寿を全うできるように、「平穏死」できるように支える医療であってほしいですね。 今は多くの関係者が全く逆方向を向いてますから。 返信 ↓
倫理を守るには、
「薬には注意」
と呼びかける必要がある点に同感です。
私事で恐縮ですが、四半世紀以上前に
柳瀬睦男の著書を読みつつ、カントは偉い…という話をしたら、
自称「唯物論者」曰く「お前さ〜脳ミソに継ぎ目があるんじゃないのか?」
単なる物理学科生=私「えっ???」
ということがありました。私があれこれ折衷しているのに気にしないのは「脳ミソに継ぎ目があるからではないか」「すぐ話を計量空間に持っていくのは脳ミソに目盛りが付いているからではないか」。ついでに、武谷三男から
「あんた、カトリックなんだってね。カトリックは便利でいいよねえ。何でもやりたいことをやっちゃってから『ごめんなさい』って謝っちゃえば全部ちゃらなんだから」と言われました( http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12085077710.html )。
主観的に「誇り高い」( http://bit.ly/1Ous2jr )だけで、
とんでもないことをしてしまう場合は、
「単に独善的な考えから
違法性を意識しなかったに過ぎない」
と司法で指摘していただくしか
更生の道( http://bit.ly/22PmjGm )は開けませんね。
翠雨先生のブログ記事に、以前、コメント
http://bit.ly/24HOYjc
しました。
事実を隠蔽し、
被害者を差別し、
被差別者の棄民をするかぎり
PTSD問題が人類レベルで蔓延し続けます。
「核の平和利用」という「知の欺瞞」を人類が続けるかぎり
放射能PTSD(=radiation PTSDであって、radiation phobiaではない)が蔓延し、
PTSDに対処できないため倫理は守れません。
今や、日本中で放射能恐怖トラウマが個人のトラウマ複合体に付加されて、
記事にお書きのような解離自殺が起きやすくなっていると思われます。
翠雨先生には、釈迦に説法ですが、
PTSDに対処するには、不安(つまり何たらphobia状態)という表面的な観察で終わりにせず、
http://bit.ly/fuanDisorder
トラウマを抱える歴史的心身と
現実(=景 ←「心身景一如」©kmomoji1010 の景)を直視し、
逃げるか、闘うか、自分で判断することによって
パニック状態に陥らないことが不可欠な生きる姿勢です。
集団ヒステリーは、いわゆる「集団パニック」状態ですね。
隠蔽、差別、棄民を続けるかぎり、
個人の解離言動も、集団的な解離言動も、
いずれも止められません。
多勢に無勢で意気消沈、怒りを抑圧して無気力…といった状態に陥って「うつ病」のように見えても「認知症」と誤診される状態になってもPTSDなので
http://bit.ly/PTSDinLaterLife
翠雨先生が日頃から仰るように、
記念日反応に注意して、トラウマを受容することです。
翠雨先生のブログ記事に以前、コメント
http://bit.ly/1TemPZT
しました。
先ほど、kmomoji1010先生のブログにもコメント
http://bit.ly/1ZVwZTg
2つできました。
「PTSDに対処しないかぎり倫理は守れない」件に関しては、以前
翠雨先生のアメブロ記事にもコメント
http://amba.to/1bCvuBQ
しましたね。
ところで、
kmomoji1010先生のブログ記事を拝読して、気づいたのですが、
「エピクロス派の立場においては、唯一の真の関係は、他なるもの・外なるものからまったく切り離された人間の自己自身に対する関係だけ」→ physician
「ストア派の立場においては、人間と宇宙との関係だけ」→ physicist
私の原家族では、兄が “physician” 、私が “physicist” になる進路を選び、私が成人したときに父が「しまった!何だか二人合わせて一人前みたいな変な育ちかたをした…」と言ったでしょう。要するに、子育てには失敗がつきものであり、気づいたときには「手遅れ」。したがって、お子さまが「え?失敗?どうすればいいの?」と訊いたら、親は「悪いけど、どうにもしてあげられない。各人、自分の現状をよく観察し、自分で何とか生き延びてくれ」と謝るしかないようです。私の父も、そうしました。
実際、父曰く「世界の博士で一番バカなのが医学博士、二番目にバカなのが理学博士」と言っていたのに、兄妹とも大学は出て、兄が “physician” 、私が “physicist” になり、「もの」を観察して現象学を進める点は共通です。
ただし、兄の場合は、患者さん個人が天寿を全うできるように支援するのが仕事です。他者の歴史的心身に、当人の合意を得て、投薬したりメスを入れたりなど侵襲性の高い介入を提案し、それを他の医療機関と連携して実施する点で責任重大ゆえに医師国家試験にて篩にかけられ、「誰がやってもいい」ことにはなっていません。医師が「ヒポクラテスの誓い」に反しないためには、提案する各種検査も、星占いより当てにならない内容であってはなりません( http://franoma.blog.fc2.com/blog-entry-64.html )。
「自然学」=« La physique est-elle intéressante ? » ( http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/f3dd06c7e4695a0ca46ab735dacadc23 )の対象たるヒトの歴史的心身は、健康診断も “physical checkup” 、それを実施するのが “physician” とコ・メディカル(和製英語: co-medical、英: paramedic http://bit.ly/1qlkaFH )。
一方、「自然学」=« La physique est-elle intéressante ? » ( http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/f3dd06c7e4695a0ca46ab735dacadc23 )の対象たる宇宙の現象学は、 “physicist” がやるでしょう。宇宙の現象学は「開発」のためにやるわけではありません( http://bit.ly/21JPDyT )。火星に解離性遁走( http://bit.ly/1TetJ1j )をしても無意味ですから。
現象学を進めて、
「天寿を全うできるようにする」
=「平穏死できるようにする」
石飛幸三『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』
(講談社 http://amzn.to/1TfMrpf )
という本があります。
(1)拒食症状態を呈するPTSDがある可能性を考慮して、
他者が我意を通して、とある患者さんの「胃瘻を外す」のではなく、
患者さん当人が「胃ろうを外しても大丈夫」であるような心身状態に持っていけるようにPTSDを治せる心理職や精神科医が必要です。
(2)断食(=禊=purification)の効果( http://bit.ly/1PMO4LE )について研究を進め、
「認知症」状態の人も、断食( http://bit.ly/1PMO4LE )で回復し得ることに留意して、
「わけもわからず安楽死」とか
「家族が死なないでと泣いてもネグレクトして
ハイデッガー風に尊厳死」とかいうのは、
PTSD否認による迷走なので、やめたほうが良いと思います。
…という趣旨で、ブログ
http://blog.goo.ne.jp/franoma
を開設しました。
すでに西洋「先進国」は、安楽死と尊厳死に踏み切っているので、
「日本人なら平穏死」と書きました。しかし、
本当は、全人類の誰しもが平穏死を迎えられるように支援するのが
当人の人格権と生存権を踏みにじらない唯一の道です。
今は、安楽死やハイデガー風の尊厳死がお好みの西洋白人の皆さまも、
平穏死を迎えられる時代が来ると良いと思っています。
まずはコメントご成功おめでとうございます。
人が天寿を全うできるように、「平穏死」できるように支える医療であってほしいですね。
今は多くの関係者が全く逆方向を向いてますから。