このセンセイみたいに
私が優しければ@タラレバ(;^_^A何でもありの架空
無問題の話です💦
いろんな芸術療法がありますが
言葉では限界があるけど
絵でも書でも音楽でも表現できる。
こんな風に表現するとよいでしょう。
クライエント側の義務
多少はセラピストがクライエントあるあるとして
(転移とか)
配慮するべきというのが心理学セオリー
絵画や箱庭では
この部分をスルーできるので
恐ろしく直面させられる💦
合理的なのです。
やさしくはない方法ということですね。
このセンセイみたいに
私が優しければ@タラレバ(;^_^A何でもありの架空
無問題の話です💦
いろんな芸術療法がありますが
言葉では限界があるけど
絵でも書でも音楽でも表現できる。
こんな風に表現するとよいでしょう。
クライエント側の義務
多少はセラピストがクライエントあるあるとして
(転移とか)
配慮するべきというのが心理学セオリー
絵画や箱庭では
この部分をスルーできるので
恐ろしく直面させられる💦
合理的なのです。
やさしくはない方法ということですね。
芸術療法を否定する気も無く、自分自身がアーティーな人間だからこそ(自分で言うのも変ですね)感じる疑問なのですが、芸術療法や箱庭療法というのは患者さんに思考活動をさせないのでしょうか?
思考の次元が違うのです。
活動としては、言語でのやりとり以上に活発ですよ。
促さなくても自然と促進され、その人が考えていなかった場所に連れてゆかれます。
確かに分析や力動で治そうとすると治療者も患者も物凄く考えなきゃいけないですよね。そしてその答えを出す事で心的構造が変える事を期待してる。
芸術療法や箱庭療法は答えを出す事無く自我強化ができるという事なのでしょうか?
そういうことになりますね。
最終的に出た答えが、最初の主訴についてではないということが大半ですが、その方が満足感が大です。
自我強化も生まれ変わった(即身成仏・かぐや姫)感じのしあがりになります。
ありがとうございます😊
宿題の大きなヒントになります。
セラピーの満足感は「主訴≠答え」とは比例していないという事ですね。
(*^^)v