ジブリ『かぐや姫の物語』」カテゴリーアーカイブ

『かぐや姫の物語』月見と花見のPTSD予防原理


月見のほかに

ジブリが花見を強調したのは
陰陽五行説と仏教の習合に
象徴原理があるのを
知っているからです。
春秋で
 ―春の行事と秋の行事
宇宙全体を示します。
東西が中国語で物の意味であり
全体を表すのと同じです。

 ―大相撲の土俵の
 屋根に掛かるたれ房は
 方向と色が決まっていて
 (土俵は土気)
 宇宙を示していますし
 お寺にも似たようなものがありますね。

天地(あめつち)なんてのもあって
陰陽五行の哲学の上に
スケッチした自然を載せて
展開させているのがよくわかります。

ジブリの拡充法によるPTSDと個性化の『かぐや姫の物語』


昨日下巻が手に入りました。

メインのシーンは

十牛図の第7図だと
気付いたら
 ―崖の上でもあるから
 ポニョのあの公案です。
ユング派が言うような
わがまま論とか
 ―ドタバタ求婚者から見た場合で
  月の世界から見たらまた別
永遠の少女じゃなくて
 ―永遠の少年はピーターパン
個性化の過程
(自己実現)モデルだと
 ―宗教なら悟り
わかりました。
ユング派が
表面的にしかとらえないから
ジブリがしびれをきらして
拡充法を取り入れたのだと思います。
 ―宗教や哲学で深い意味を探る
  ユング派的方法
ジブリは
現代は不安と神経症の時代ととらえて
 
 ―PTSD
子どもたちにエールを送っていますが
 ―ポニョのパンフレットに書いてある。
ユング派は

象徴がつかえてない
発達障害が増えていると言います。
根本的に
象徴論が間違ってるのが
バレちゃいましたね。
そう言えば
「発達障害の「主体性の欠如」についても
ラカン派からみたら
おかしいと指摘が出ています。
昨年一緒にシンポジウムに出た
若い研究者がそう発表してました。
本邦ユング派は
もうボロボロですよ。

『明日ママ』パチも『かぐや姫の物語』でPTSD予防中

明日の第六話の関心ごとは
1つは
ロッカーが暴れることで
 ―アイスドールに振り回されてじゃないかな。
 キスしたり
 一緒に温泉に浸かったりして
 期待させ
 ケーキを贈らせながら
 婚約者を紹介
 現実には
 もっとひどくて
 職員が性的虐待することがある。
もう1つは
パチがいないのではないかということです。
 ―ネット上でも
 パチファンが多い。
パチは
里親が決まる直前
うつ気味で
当日は
ポストと
抱き合って泣いてましたね。

まるでかぐや姫ですが

現実だと
小児うつ病扱いされたり
発達障害扱いされたりするんですよね。

学内で准教授(39)を襲撃したPTSD解離大学生(21)殺人未遂で逮捕

大阪産業大
デザイン工学部
准教授(39)が
15日に
学内で
刃物で襲われて
けがをした事件で
同大3年男子学生が
逮捕されました。
准教授のゼミの受講生で
「講義中の准教授の態度に
圧力を感じ
逃れたい一心だった」と
言っています。

逃れたい一心で
後先考えず
行動するのは
PTSDの解離行動です。

かぐや姫のように
イメージのなかで
考えたら成長できたのですが
現実で行ってしまえば
犯罪者になります。

『かぐや姫の物語』Wikipediaでも「3」の強調と「ダジャレ」の翠雨風PTSD原理

ウィキペディアでも
竹取物語には
 ―かぐや姫のこころの成長を描いているのだから
 自己実現の物語
やたらと「3」という数字が出て来ることや
「ダジャレのオンパレード」であることが
明記されています。
西洋の物語じゃないから
【一太極二陰陽】の「3」が
突破口なのです。
 ― 二元論では堂々巡り

『三つ目がとおる』
特に
5人の貴公子の
ハチャメチャは
パロディであり
 ―鳥獣戯画のような
 (このブログの壁紙)
 華厳風の風刺

現代でも
エリートのやることは


どこかおかしいのです。
愚説がバレても
 ―アスペルガーも
 ADHDも架空の病の代表だった。
大人の発達障害にまで
押し通そうとするとは
「恥を捨てる」気かな。
 ―石作皇子は
 ニセモノの鉢を持ってきたという
 嘘がばれたが
 
 その鉢を捨てて
 また言い寄ったことから
 面目ないことを
 「はぢを捨てる」
(恥を捨てる)と言うようになった。

『日本でPTSD解離暴行とは怖い』と山路徹氏(52)の驚愕

対向車の
ワンボックスカーから
4~5人の男が
「おまえら
誰の許可をもらって
ここを走ってんだ。
殺すぞ」
「ぶっ殺してやる」などと
降りてきたので
山路さんは
すぐに車のカギをロックし
無事でしたが
 ―車はボコボコ
山路さんを助けようとした
同行者が
犯人グループに暴行を受けました。
海外での戦場取材などの
経験も豊富な
山路さんも
「今回は日本で
こういうことになって…」と
驚き
「理由がないのが怖い」と
話しています。
昔は
戦争に行ったわけでもないのに
PTSDなんて
大げさなとか言われてましたが
PTSDというのが
思いのほか
多発していることが
理解できるのではないでしょうか。
 ―山路さんは大丈夫かも
死ぬかと思うような体験や
サバイバーズギルトは
何処の国で経験しても
PTSDの素なのです。

かぐや姫も
サバイバーズギルトに
苦悩しました。

『かぐや姫の物語』PTSDは記憶障害

「禁を破って
帰還女性の記憶を呼び覚ましたことが
発覚し
姫は
地上の思い出によって
女を苦しめた罪を問われる」
高畑監督の
企画書に書かれています。
PTSDの女性にとっては
トラウマチックエピソードは
思い出すと苦しいもので
自我から
地球と月くらい離しておかないと
危険なものです。
 ―すべてはたとえ話
 
 仏教説話ですから。
だから
心療内科では
「過去を忘れて前向きに」とか
言うわけですが
それでは
女性は
「なんでだろ…。
落ち込むのに
この歌を
歌わされてしまう…」という
苦しみから
いつまでも逃れられないのです。
「どうしたのかな」と
寄り添うやさしさは
本当はタブーではなく
必要なことです。
集合的無意識にある
常識にある間違いを見破り
越えてゆくことが
PTSD克服と個性化に
不可欠です。

『かぐや姫の物語』「今は昔」PTSD物語『明日ママ』の普遍性

現実とお話を
混同する人が増えているから
「このドラマは
フィクションであり
登場人物は
架空のものです」なんて
わざわざ書くのですが
 ―駅のホームで
 「危ないから
 お下がり下さい」とアナウンスする国

「今は昔」で
架空を物語ってますね。
 ―現実と非現実に架かるのが
 「架空」であり
 「空」
こういう設定が
一番リアルなんですよね。
魂に響く普遍性だから。

PTSDを見続けてると
リアリティがわかります。

『かぐや姫の物語』PTSD克服法『正法眼蔵』「坐禅箴」より



月に還るときに
地球を振り向きますが
正法眼蔵の
「坐禅箴」を意識してますね。
「回頭換面」という言葉が出てきます。
 ―悟るとはどういうことかという
 説明にある。

サバイバーズギルトに悩んだりしますが
「殺人・未殺人をも参学すべし」に
あたると思います。
 ―仏教の「殺」は超えるという意味ですが。
父母に遭う前の世界があるのは
「父母未生前の節目なり」ですね。
 ―竹の節だし。
「尽界山河を拈来し
尽力して知するなり。
山河の親切にわが知なくば
一知半解あるべからず」
ムツカシイ表現のようですが

これ見れば
分かる様な気がしませんか?
仏性は自然のなかに宿っているから
そのなかで
力を尽くして
悟るのです。
 ―『風立ちぬ』にも
  あったような。

十牛図でも
7図が最後の関門で
8・9・10図が同時に
展開しますが
8図は月のような真ん丸
9図は自然
10図が新しい人間関係で
ぴったり当てはまります。
やはり
仏性について
表現しているようです。
心理療法では
自己実現とか
個性化になります。