漱石」カテゴリーアーカイブ

『こころ』PTSD解離自殺の負の連鎖

朝日新聞の連載も
「先生の遺書」の内容に
進行しています。
先生が自殺したから
遺書があるのですが
自殺の原因には
Kの自殺がありました。
友人が自殺しただけでも
PTSD予防が必要ですが
(こころのケア)
自殺の原因が
自分にあるのが明らかなわけですから
 ―友人が好意を寄せる女性と
  先生は婚約した。
簡単に
負の連鎖が起きてしまいました。
遺体を見ても
泣く気は起らず
ただただ恐ろしかったそうです。
何が恐ろしかったかというと
遺体によって暗示された
自分の運命です。
結婚しても
奥さんの顔を見るたび
フクザツな気持ちになります。

葛藤を抱えた毎日は
地獄ですね。

夏目漱石『こころ』自殺した先生はPTSD

朝日新聞で連載中なので
識者がいろいろ評論していますが
最後を飾るのは
筑波大学教授の
精神科医
高橋正雄さん
「親友Kの自殺から
何年もたって
先生が自殺するのは
不自然だと言われます。
これを
先生が
PTSD
(心的外傷後ストレス障害)だと考えると
理解しやすい。
自分が裏切った親友の自殺を
目撃したことが
心的外傷になり
その後の人格が変化して
孤立し
自殺するのは
予後の悪いPTSDだと
説明できます。
先生の性格変化の多くは
PTSDの診断基準に合致します」
自殺だけではなく
 ―攻撃性が自分に向かう。
犯罪者の場合も
 ―攻撃性が他者に投影される。
幸せな子ども時代を送った人は
いないと法相が証言してましたね。
天災(トラウマ)が
忘れたころにやってくるというのは
精神分析の常識です。
誰でもPTSDを発症する可能性があるから
 ―うつ病やアスペルガーのように見える。
こころのケア
(PTSD予防)が大事なのです。

夏目漱石は甘党PTSDで胃腸病

甘いものが大好き
特に
汁粉が大好物で
10代の時から
毎晩欠かさず食べたそうです。
 ―下宿に汁粉屋が来たのが
 悪いと言わんばかりの書き方
朝食の
パンと紅茶は
英国風でよいとして
パンには砂糖をつけたそうで
ジャムやアイスクリームにも
目がなかったそうです。
胃腸が悪いので
鏡子夫人がお菓子を隠すのですが
こっそり教えてくれた四女に
にやにやしながら
「いい子だいい子だ。
お前はなかなか孝行ものだ」と言って
お菓子をほおばったそうです。
甘いものに
 ―親の愛
飢えていたのでしょうね。
大文豪なんですがね。

准看護師遺棄のPTSD解離女(29)はおとなしく面倒見のいい子だった。

大阪西成の
准看護師の遺体を
東京にある
トランクルームに遺棄し
 ―人形だと言って宅配業者に運ばせた。
本人になりすまし
パスポートを取得
上海に逃亡した
日系ブラジル人(29)は
 ―不法滞在
小学生の頃は
家族を思う素直なやさしい気持ちを綴り
 ―家族に障碍者がいると書いていて
 実際に車椅子を押したりする姿を
 近所の人はよく見かけていた。
養護学校の先生になりたいと
作文に書くような子で
おとなしかったそうです。
准看護師とは
幼馴染で
2月には居酒屋で会ったわけですが
 ―そこで加害者が何か
 とてつもなく失礼なことをしたらしい。
そのあたりから
豹変したのでしょうね。

漱石の
『こころ』の先生も
絵に描いたような悪人はおらず
急に解離するから
厄介なのだと
言っています。
トラウマをこじらせているから
ですけどね。

夏目漱石『こころ』にもPTSD解離性豹変

朝日新聞が
100年ぶりに連載中ですが
今日の分に
「平生は
みんな善人なんです。
それが
いざという間際に
急に悪人に変わるんだから
恐ろしいのです。
だから油断できないんです」と
書かれています。
こころのなかにある
解離のメカニズムです。
トラウマをこじらせ
放置したら
そういう危険性があるんですよね。

博士号拒否した漱石とPTSD解離性STAP騒動

漱石はまた
入院中に
 ―持病の胃腸病をこじらせて。
 『こころ』で書いた
  前記事内容は
  経験からなのでしょう。
文部省から
「博士号を授与するから
出頭せよ」と言われ
受けるかどうかは
自分が決めることだから
まずは受ける意思があるかどうか
聞いてくるのが
筋だと怒り
 ―国が学問を序列化する
 制度が気に入らなかったらしい。
断りの手紙を書きますが
「発令したものは
辞退できない」と
送り付けてきたものを
強く拒否し
押し問答に終わったそうです。

世間の評価も
「痛快だ」「大人げない」と
二分され
一太極二陰陽的な
話ですね。
最後の作品は
未完の『明暗』でしたしね。

生きてたら
ネイチャーとか
博士論文のコピペ問題とか
製薬会社やJ-ADNIの
不正治験問題に
「変わらんね」と
言ったでしょうか。

夏目漱石『こころ』PTSD解離性心身症と自殺

朝日新聞で
100年ぶりに
連載されていますが
大正3年5月13日分には
「自分で病気に罹っていながら
気がつかないで
平気でいるのが
あの病の特色です」
 ―心身症
 何らかの修業をして
 身体に聴くようになった人は
 病院に行かずとも
 早期発見早期治癒するから
 拗れて死ぬようなことはない。
「何だかそれは
私にもわからないが
自殺する人はみんな
不自然な暴力を使うのでしょう」
 ―PTSDは理不尽な暴力が原因
「すると
殺されるのも
やはり不自然な暴力の
御蔭ですね」と
 ―この御蔭は
 陰陽の
 【陰】くらいの意味
 漱石の文章には
 独特の造語や言い回しが多い。
精神分析の
ESみたいなもので
 ―それ(it)としか呼びようがない
  無意識の圧力
心身症や
自殺がおこるけれど
それには無頓着な
 ―【否認】
 「先生」の話したこういう話に
 驚き、不安になりつつも
 
 「私」は
 「その場限りの
  浅い印象を与えただけで
 後は何のこだわりを
 私の頭にのこさなかった」
人間の姿を表現しています。
そう言えば
ES・自我・超自我のかかる場所は
教科書では
「私」と表記されていたりします。
圧力のバランスで
性格や行動が決まるわけですが
【解離】とは
そのバランスが悪く
ESが暴走するタイプでしたね。
精神分析を
かなり意識されていたのかな。
宮崎駿が真似たのは
『門』の主人公
崖の下の宗助とか
三部作で
 ―『崖の上のポニョ』
  『借りぐらしのアリエッティ』
  『コクリコ坂から』
こころの真実を表現するスタイルだけでは
 ―『三四郎』『それから』『門』
なかったようです。

朝日新聞で『こころ』復刻版スタート ~罪悪感PTSD自殺の物語

言わずと知れた
夏目漱石の
代表作ですが
誕生100年を記念して
4月20日から
朝日新聞に
当時の体裁で
連載されるそうです。
文体は大事で
このブログも
「言わずと知れた夏目漱石の代表作ですが、誕生100年を記念して、4月20日から朝日新聞に当時の体裁で連載されるそうです」とやると
読まれ方が変わるわけです。
 ―仏教書を読むときは
 なるべくそうしている。

宮崎駿は
夏目漱石の
3部作を真似て
 ―『三四郎』『それから』『門』
『崖の上のポニョ』
『借りぐらしのアリエッティ』
『コクリコ坂から』を
描きました。
『夢十夜』にも
「百年待ってください」って
出てきますよね。
明治の知識層が抱える
我執と


平成の知識層の抱える
我執には
表面的な違いはあっても
罪悪感PTSDでおかしくなるのは
同じことです。


こんなことばっかりしてたら
身を滅ぼすことになると
思います。

青空文庫アクセスランキング第一位は『こころ』のPTSD時代

ネット上の無料図書館です。
著作権の切れた作品ばかりなので
古典になりますが
一位が
『こころ』だというのは
興味深いです。
人々の興味関心は
こころであり
それは
漱石の時代となんら変わらないのです。
PTSD研究家翠雨の日記
PTSDを発症し
昇華した
漱石にならい
ジブリも
『崖の上のポニョ』
『借りぐらしのアリエッティ』
PTSD研究家翠雨の日記
そして
『コクリコ坂から』と
3部作で
PTSDを取り扱っています。

西洋文明の究極の象徴『モナリザ』は縁起が悪かった

ケネディ大統領は
西洋文明の究極の象徴であるから
この創作の理念を
継承してゆかねばならないと
言ったわけですが
$PTSD研究家翠雨の日記
漱石が
『モナリサ』という
小品のなかで
登場人物に
語らせている
印象
あまりよくないものです。
主人公は
古道具屋で
モナリザに出会い
「色具合が
現代を超越して
上昔(そのかみ)の空気の中に
黒く埋っている」のが気に入り
 ―近代を超えようとして
 PTSDになった人ですからね。
 温故知新の
 退行イメージをつかんだのでしょう。
ちょっと値切って
家に持って帰ります。
奥さんは
遠慮がちに
「気味の悪い顔です事ねえ」
「この女は何をするか分らない人相だ。  ←【解離】顔?
見ていると変な心持になるから     
掛けるのは廃(よ)すが好い」と
言います。
「御前の神経だ」と云って
聞かなかった主人公ですが
偶然落ちて
ガラスが割れたりしたこともあって
最後は
「この縁喜(えんぎ)の悪い画を
五銭で屑屋(くずや)に売り払った」
 ― 80銭で買いました。
役所で聞いても
ダビンチなんか誰も知らないし
開いた口をわざと
閉じたようにも取れる
口元が気になったようです。
 ―抑圧を感じたのでしょうか?
 この時代に生きた奥さんも
 【抑圧】を刺激されて
 何かしでかしそうな自分が
 怖かったのでしょう。 
PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記
西洋の
魂の【死と再生】の秘密に関する
象徴は
近代PTSDを乗り越えようとする
東洋人のこころには
響かないようです。