相鉄線かしわ台駅では
先月
副駅長が酒に酔って
無断で線路内に立ち入り
記憶にないほど泥酔し
運転手に保護される。
もう一人の副駅長が
電車の遅延は
「一般の駅利用客が原因」と虚偽報告
2人とも停職の懲戒処分
会社はこれを公表しませんでした。
前記事同様
その立場で一番してはいけないことをする
PTSD事案は不思議です。
コロナ騒動は
武漢発信の
よくわからない恐怖イメージとして現れ
すでに収束
横文字をつかって状況説明されてきましたが
未曾有の不安で飛び出した?
思わず発せられた
「密です」は好評で
イラストやゲームまで登場しています。
イメージとして集団心理療法
商業言語学の専門家は
「『密』は『親密』や『連絡を密にする』というように
良い意味で使われてきたが
それと真逆のメッセージが短く伝えられ
面白い、びっくりしたという反応が
ネットに表れたのではないか」
陰陽☯のツボにはまっていた。
「わかりやすくつたわり」
「密は
今年を象徴する一文字」と分析しています。
物事を解決するための象徴形成
ちなみに
「象徴がつかえない発達障害」と
PTSDを不治の病認定した虐待が
一連のこの騒動
ヘンな常識発信した学会も学校もリセット中
「3密」というのも偶然ですが
「3」ですね。
大事なことは無意識で起こる。
古事記の時代から変わらない
PTSD予防哲学があります。
「吸血鬼にかまれると同性愛者に」なるという設定の
映画が
インターネット上で
「同性愛者に対する差別だ」などと批判され
製作委員会は
公式ホームページ上で
伝えたかったのは
こういうことで
「同性愛を差別する作品ではない」などとする
釈明文を掲載しましたが
ネット民のみなさんは
これで納得されたでしょうか?
疑問です。
ドラキュラ伝説は
これまで書いてきた通り
PTSDの発症と
PTSD発症前の衝撃は
ドラキュラに遭遇するようなものです。
あまりに恐ろしいので
怖ろしい思いをしたことは忘却のかなたに🌊
負の連鎖の様子
最初は被害者ですが
気づけば加害者に…ということは
珍しくない。
Fawn反応と呼ばれるそうです。
どのように断ち切ればよいのかを
静かに語った
たとえ話です。
ドラキュラにかまれて
発症するのはPTSDですから
その症状の1つでしかない同性愛を
安直にパターン化し
笑いにしてしまうのは
躁的防衛に走ると
問題にしっかり向き合えない。
2重に間違っています。
ドラキュラは
PTSDを考えるうえで
神妙に扱われるべき象徴なのです。
粗末に扱うことは許されません。
お正月飾りにもみられる
紙垂(しで)は
古事記の天岩戸伝承のなかに出てきます。
アマテラスのひきこもり問題で
ショックを受けて
PTSD予防中でした。
最高の神々が集結して
クスリを処方せずにいると
自然治癒力が働きます。
知恵を出しあい
治癒のための装置をつくりましたが
そのなかにあった
日枝のアレの部分です。
稗田阿礼という人物名ではなく
ここが肝要
このころは布でしたが
今は紙を垂らします。
落雷があると稲が良く育ち豊作となるとかで
稲光や稲妻のイメージである「Z」に見えるようにとか
旧字「絲」の象形に見えるように
「いと、いと、いと」と発声しながら折るとか
どこまでも非科学的で
芸術療法的です。
詳細はこれまでに書いてきました。
古典的なPTSD予防と治療の極意です。
12日
八戸で女児の首を切り逮捕された少年(14)も
「誰でもよかった」
「人を殺すことに興味があった」という趣旨の
供述をしているそうです。
教育委員会によれば
トラブルもなく
「部活動にも
積極的に取り組んでいる生徒だと聞いている」そうですから
無期懲役が確定した元名古屋大生らと同じタイプの
PTSD解離性二重人格でしょう。
優秀な頭脳を持っていても
流行にかぶれやすい別人格が
安易に暴走してしまうので
悲劇が起こります。
教育長によれば
「命の教育、心の教育に
教職員一丸となってがんばってきたつもりですが
このような重大事案が発生したことを
非常に重く受け止めている」とのことですが
その教育方法が間違っていたのでしょう。
オーソドックスな哲学に裏打ちされた
PTSD予防教育を行い
専門家による不正を撲滅しなければ
どんな教育も空しいものです。
重大事件の多発により
学校現場の在り方が問われています。
こころのケア(PTSD予防)の場であるはずの
一時保護所の問題ですが
20年近く前から
入所者は
退所のことを
「出所」と呼んでましたし
職員が恐れる子どもたちのジョーカー化なんてことは
子どもたちに把握されていました。
専門家たちは
ユングの本の
帯に書いてある
「心理療法の最高の目的は…」の続きを
地道に実践する素直さがなく
やることがいちいち遅すぎるんですよね。
愛知県
豊明市の
とある道路では
ふらりと現れた男性(28)が
いきなり
女性が運転する車のフロントガラスを
逮捕されました。
煽り運転事件と構図が似ています。
被害女性も
この事件の記憶があったので
外に出ないようにしたのですが
加害者は石でガラスをたたき続けますから
入ってくる恐れがあり
まさに崖の上のポニョ状態でした。
(ここに説明しました)
解離人格の表現は
この加害者も
体調不良だったそうなので
心療内科等で飲んだ薬に煽られて
解離してしまったのでしょう。
時代のカナリア・ピエロにならないように
考えましょう。
集合的無意識的に学習して進化しますから
普通の知識では歯が立たないのです。
台風情報でも問題になりましたね。
気象庁の言った自己責任とはそういうことです。
また
新車であったこと
まるでこういう行為が社会認知されているかのような
傍若無人な攻撃性は
東須磨小学校事件を連想させます。
要するに
前代未聞事件を寄せ集めたような犯行なのです。
煽り運転や小学校の事件で注目されたのは
加害者の撮影したものでしたが
今回は
被害者のドライブレコーダーの映像です。
これを見ると
人身事故という名のPTSD解離自殺も
こんな風に
ふらっと線路に近づき
スイッチが入ったように飛び込むのでは
ないかと想像できます。
自傷と加害はコインの裏表に過ぎませんからね。
そして
普通に生活していても
こういう事件に巻き込まれる確率が
日々高まっているわけです。
ロッテの
2年目左腕
永野将司投手(25)が
不安障害のひとつである広場恐怖のため
公表しました。
こういうのは
閉所恐怖症だと思いますよ。
本人が広く感じるのかもしれませんが
それはどちらでもよくて
拒食も過食も
治療法は同じ💡
根本は
PTSDと相場が決まっています。
となりのトトロとは
「所沢にいるとなりのおばけ」という意味だそうですが
映画『となりのトトロ』の舞台となった
農村のモデルとされている
埼玉県所沢市について
奥さまが
繊細で美しいスケッチと日記を通じて紹介
宮崎駿監督が
生まれも育ちも東京
結婚して移住した所沢で
カミに出会った。
所沢への今の想いを語った本だそうです。
50年経ってわかることもある。
宮崎駿がトトロを観た場所について書いている
鈴木敏夫の言葉が
哲学的だと感じました。
「みどりの美しさに現実感を喪失する」
離人感は
宗教哲学や心理療法の入り口だということ
木の根っこからゲシュタルトの崩壊
吐き気がするか幻覚が見えるか
反応は人により百花繚乱
「神さまのいる場所」
哲学で問題になる
「場所」「アニミズム」
外界でカミと出会うこともありますが
夢や
夢分析
表現として
投影としての箱庭等
お出ましになった場合も
カミさまだと思って
神は特定の宗教の神
カミは八百万の神々に近い個人的な神さま
丁重にお迎えすることは大事なことです。
こんな風な
PTSDのメカニズムで
ご理解いただき
まことにありがたいことですが
トラウマって何❓と訊かれるようになりました。
いやいや「こころの傷」でしょと
正しくは「こころの傷」のようなもの
たとえ話であって
具体的に見えたら重度かも?
ジブリやユング参照
反射的に答えましたが
このこころの傷という比喩が
クセモノなのだと
やっと理解できました。
たとえ話だらけの
宗教や心理学の問題なのですが
たとえも言葉を使って行いますから
はじめに言葉ありき
適切な言葉を使わねばなりません。
精神分析で広まったわけですが
もともとはトラウマ=外傷
いつの話❓
当時はそれでよくても
賞味期限が過ぎて
腹痛を起こす人が続出…
トラウマでいいかどうかという
大前提に立ち返らねばなりません。
そもそも
仏教では
「無我」でした(;_;)/~~~
無我は仏教の根本原理
イロハのイ?
我はないのですから
こころはない
本来は
ここがミソです?
傷つきようがありません。
一休さんもそう言ってますし
般若心経にも
「五蘊皆空」と書いてありますから
傷じゃ納得できないという場合もあるのでしょう。
直観タイプには無問題
思考タイプには大問題
河合隼雄は
ユング心理学を日本流に翻訳する必要があると言ったけど
私くらいしか取り組んでない?
フロイトまで遡る必要があるかもしれませんね。
傷ではない言葉がみつかれば
治療論もわかりやすくなるし
PTSDへの無理解も
減るかなぁと思うようになりました。