18 thoughts on “「令和」の意味やはり…

  1. あ*=franoma

    アメブロさんのほうで、リブログ記事を書きました。
    ”「令和」の意味やはり…”
    https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12456316753.html

    5月1日を「令和の日」として「上書き保存」(←神田橋條治の発想)をすれば、「血のメーデー」を《なかったことにする》ストラテジーで新自由主義者がやりたい放題にやれる…という底意がありそうです。

    『数学リテラシーは文化依存性がない』
    https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12456250231.html
    に新自由主義者のやりたい放題に関連して、以下のように加筆しました。
    核問題PTSD否認=環境レイシズム
    ということです。人類の歴史には数々のPTSD現象が観察されます。いずれの事象も
    PTSD否認=racism
    です。そういうわけで、PTSD否認を推進する《ADHD》ラベリング詐欺を続けるラスボス岩波明を擁する昭和大学は、悲惨なPTSD解離犯罪の温床になりつつあります。
    Отправлено с iPhone

    Q:何故、ラスボス岩波明医師のようなインテリを持ち上げてしまう「文系のヤツら」が大量に大学人として跋扈しているのでしょうか?
    A:《主体性のある学び》を可能にする《観察主体》は、
    ①主観:「私は見た」subjective view
    ②主体:ātman animated by soul
    ③客観:objective view
    の3要素から成るのに、当人の歴史的身体と不可分の②を無視しているからです。
    《観察主体》は、“non-objective experience” を “empirical” に積み上げて当人なりに発達&人間的に成長するために手放してはならないものです。然るに、「文系のヤツら」が愚息に15年間ほどやったことは、
    《客体》扱い(←「我とそれ」の「それ」)=“object” 扱いでした。そういう鬼畜な扱いの出所は、複合汚染の時代に環境アセスメントを等閑にする新自由主義の問題です。アーサー王協会の先生も新自由主義に批判的ではない三田会なので仕方ない…
     結局は庶民の「命と暮らし」を守らない鬼畜な2大カルト組織をバックにしているからこそ可能なアベ自公政権なのです。

    “第一次安倍自公政権”
    – Поиск в Google
    https://bit.ly/2UutOFi

    お子さまに対する「こころのケア」をガン無視して《アスペ》ラベリング攻撃を行い、佐世保事件( https://bit.ly/SaseboJiken )を起こすような「文系のヤツら」と “鳩ぽっぽ「T4」” を展開するIT関連&アングロサクソン諸国における人脈には要注意です。

    関連記事:
    ””根本にある問題”” | あ~どうしたものか
    https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12453044368.html

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      リブログありがとうございます✨

      改めて見ると、令の字と和の字が、狭い場所にいびつに押し込められています。
      どこかからの号令で、迷える羊さんたちを得て公(公認心理師)が、餌(薬とデイケアは現代型パンとサーカス)で誘導するのでしょうか。

      令和の日にしてしまえば、ますますPTSD予防教育とならず、完璧ですねヽ(`Д´)ノプンプン

      返信
      1. あ*=franoma

        《再認》に関連するので、こちらに書きます。

        『娘ダイアリー:No.7』
        | Ninaオフィシャルブログ「”FIKA?”」Powered by Ameba
        https://ameblo.jp/ninaofficial/entry-12452926400.html
        という記事が出ました。

        ディスレクシア(読字障害)現象を観察したら「自閉症スペクトラム」という思い込みをやめた方がいいPTSDの世紀になっています。

        ①そもそも、リンゴの実物を見て触って舐めて食べて、リンゴの出てくる歌を歌って聞かせて…美味しいねえ…という記憶を形成する日々の生活体験を経て、言葉の届かない時代からリンゴの実物と「リンゴ」という母語の表現に繋がりが形成されていたのか?…
        ← ペスタロッチ風の実物教育

        ②初めから英語で育てていて、リンゴの実物を見て触って舐めて食べて、“Apple” の出てくる英語の歌を歌って聞かせて…美味しいねえ…という記憶を形成する日々の生活体験を経て、言葉の届かない時代からリンゴの実物と “Apple” という第2言語の表現に繋がりが形成されていたのか?
        ← ペスタロッチ風の実物教育

        このあたりが気になりました。

        我が家は元々、母語が日本語、父親の母語はハンガリー語(←第2言語)でも、家族で大事な話はドイツ語(←第3言語)で、親子以外の人が入ると必要に応じて英語を使うという日常生活があって…多言語環境でした。

        Ninaさまは、「北欧に行った時限定で」と書かれているので、普段は日本なのですね。

        最悪だと思った一言は、
        「自閉症の人たちは他の人たちとは違って世界を見て、聞いて、感じます」
        https://ameblo.jp/ninaofficial/entry-12442757754.html

        普通の人たちも「世界を見て、聞いて、感じます」よ…
        Ninaさま御本人は書道家なのに
        「世界を見て、聞いて、感じ」ないのでしょうか?

        その続き…

        「自閉症スペクトラムですが、社交的。

        正確に言うと
        社交的に見えるだけキョロキョロ」

        とされています。おや…これだと、
        ドラゴンさまのように「外的適応」だけバッチリで苦しい目に遭わされてしまいそうで、気になりますね。

        そもそも、
        「『エー・ピー・ピー・エル・イー!お願い』
        アルファベットを
        ただ繰り返し読んでいました」
        そうで、アルファベットの形状と昔風の読み方が結びつけられる「教育」が何処かでやられ、それが記憶に残って再生しているわけです。フラッシュカード育児をやられた後遺症が疑われる事態です。
        Aを「エー」と記憶させられて
        Aを「エー」と再認し続けて
        Aを「エー」と再生しているわけで、やられたことに対する「正常な」反応であり、当然の成り行きでしょう。

        アルファベットの形状と今風の読み方では、初めから
        A p p le
        ア …プ ル
        であり、
        エー・ピー・ピー・エル・イー
        は教えません。当人が「ア …プ ル」と発語した後に、
        “A p p le”
        という綴りを提示しても良いとは思いますけど、逆はダメです。

        息子も乳児期にタイプライターに興味を持ったので、本人が「マンマ」と発語した後に “mamma” とタイプして見せたら、 mamma mamma mamma mamma …と延々とタイプして遊んでいました。その遊びで
        mamma ←①タイピングした手の動きと②印字されたアルファベットと
        マmマ ←③発語
        3者の対応が成立したのがゼロ歳。
        夫が「パパというのも教えろ!」と言ったのですが、“パパ” は発音が難しいようで、真似しなかったので、papa の発語は、ずっと後だったし、夫のような西洋白人男性を全員「パパ」と呼ぶようになってしまいました。そこで、「お父ちゃん」“apuka”(←apa 父、 anya 母)にスイッチしたら、幼稚園の面接でコケたのでした。
        先生:「パパのお名前は?」
        息子:「パパなんていう人はいません」
        先生:「そう。おうちに帰ったら訊いてみてね」
        息子:「はい」
        「お父さん」の名前を答える練習をして「これでバッチリだ!」とか言って臨んだ幼稚園の面接でした。後で息子から「(私の)指導が悪い」と苦情を言われたので謝っておきました。でも幼稚園には入れていただけたのでラッキーでした。

        第4言語としての英語は、生協のカタログにあった Richard Scurry のビデオを買って…と息子から言われた3歳になってからで、それを見て “レター エー” と覚えたのです。

        以上のような言語獲得の経緯を当人なりの《観察主体》を無視して順番をグチョグチョにすると、『娘ダイアリー』ブログさんで紹介されたような「ディスレクシア(読字障害)」現象が発生するのではないか?…という仮説も立てられますね。

        多和田葉子(著)
        『エクソフォニー
        ——母語の外へ出る旅』(2012年、岩波書店)
        という本がありますが、生育環境によっては初めから「母語の中」と「母語の外」は区別がありません。
        「初めにロゴスあり」でもないので、欧米後追いの日本人専門家が母子合同箱庭療法の効果を理解することは極めて困難だと思います。

        https://www.google.co.jp/search?q=“初めにロゴスあり”+site:.ptsd.red
        の短縮形:
        https://bit.ly/2ZmCscu

        ドラゴンさまの感想を伺いたいところです。

        Отправлено с iPhone

        返信
        1. ドラゴン🐲

          おはようございます😃

          ふらのおまさん

          これからBig meeting があるのでイギリス時間の午後にお返事させてください

          ドラゴン🐲

          返信
        2. 翠雨 投稿作成者

          「世界を見て、聞いて、感じ」る普通の人たちに失礼ですよね!(^^)!
          ふと『ペンパイナッポーアッポーペン♪』を思い出し、こういう人たちを揶揄した歌だったのかなと思いました。

          込み入った感覚等、難しいところはドラゴンさまに期待(^_-)-

          返信
        3. ドラゴン🐲

          こんにちは

          彼女のブログを読んで来ました
          ドラゴン🐲も幼少期は引きつけ魔だったらしいのできっと世界を見る目が他の人とは異なるのかもしれませんね ーでも、確かにドラゴン🐲はよその子どもたちに混ざる事に慣れないお子さまでしたけどね

          そうですね
          お子さまの言語着床は複雑ですよね

          次男の事を書きますね
          彼は東京生まれで2歳直前にフランクフルトにお引越し
          2歳児の成田ーフランクフルト間は悪魔の13時間でしたーファーストクラスからエコノミークラスの最後部のCAのたまり場まで何往復したことか……

          話は戻って、2歳直前にドイツに足🦶を踏み入れた次男さま

          言葉は滅茶苦茶になってました
          2歳のお誕生日の1週間くらい前だったと思いますが、週末に家族でお散歩(ドイツの習慣)してる時、長男と次男が駆けっこを始めたのですー4歳違いですから、当然長男の方が早く走れるのですが、負けず嫌いな次男は突然「Putain! Ich kann nicht go for 2番!」と脚を踏ん張って叫んでました

          ベビーシッターx 次男・・仏語
          父 x 次男 ・・ドイツ語>英語>仏
          母 x 次男 ・・日本語>英語
          長男x次男 ・・英語

          のやりとりの環境であったためか、2歳児の中の言語着床は単一言語ではなく4言語が入り乱れていた時期でしたー彼が言いたい事を理解する事が難しい時期でしたね

          富良野尾間さんの仰る様に知覚のフィルターを通して言葉に到達するというプロセスがあるので、そのフィルターは人それぞれの経験によって違っているから出てくる言葉の表現もそれぞれ異なるのは当然だと思います

          当時の次男にとっては、🍎は美味しいApfel であり、Appleでもなければ林檎、pommeでもないのですーましてやスペリングなんてどーでもよい事でした

          なんか的外れな感想になってたらどうしよう….

          それと、
          「欧米後追いの日本人専門家が母子合同箱庭療法の効果を理解することは極めて困難だと思います。」に関して

          欧米後追いの日本人専門家=教科書は欧米心理学のアタッチメント、駄菓子菓子、実経験は日本独自のアタッチメント

          次男の経験から言えば、彼らはattachment というスペリングを丸暗記してるだけで彼らの完成のフィルターは日本の愛着を使用してるわけだから、理解されるのは難しいかもしれませんね

          返信
  2. あ*=franoma

    お返事ありがとうございます。
    ①「当時の次男にとっては、🍎は美味しいApfel であり、Appleでもなければ林檎、pommeでもないのですーましてやスペリングなんてどーでもよい事でした」というのが自然な姿ですよね。
    くだんの書道家さんのブログに提示されたケースでは誰かが「エー・ピー・ピー・エル・イー」とスペリングを刷り込むことによって言語発達を障害させたのではないか?…と疑われます。
    ②「2歳児の中の言語着床は単一言語ではなく4言語が入り乱れていた時期でしたー彼が言いたい事を理解する事が難しい時期でした」か、
    「言語着床は単一言語ではなく4言語」という点だけ息子も一緒でした。
    但し、混ぜて話した時は、必ず単一言語で言い直すようにお願いしていたので、混ぜて話した期間は十日もなかったかな…と思います。しかし、言う時に言語を(相手に合わせて)揃えているだけで、当人の脳内では、その
    対象を指す言葉が定着した際の言葉がどの言語で最もインパクトがある体験だったか?で想起する順序が決まっていた模様ですから脳内では
    「Putain! Ich kann nicht go for 2番!」
    みたいに想起されていても、伝える相手に合わせた単一言語に直して言っていたわけで、ゲルマン言語(英語とドイツ語)、ハンガリー語、日本語…語順も違うし、何か(乳幼児の時から)とんでもなく難しいことを要求していたかも知れません。しかし、特に体調不良になることもなくできたので《虐待環境》ではなかったのでした。

    虐待環境とは…関連記事:
    ”どしてToxic parents がPTSDを否認するの?” | あ~どうしたものか
    https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12456467072.html

    クライシスと言えるエピソードは、一か月ハンガリーに遊びに行って日本に戻ったら一週間くらい何も話さなかったことです。兄は「何語で話すか迷って黙っているのではないか?」という仮説を立てましたが、渡欧する前も多言語環境、帰国した後も同じ多言語環境ゆえ兄の仮説は(別に如何なる仮説を立ててもカラスの勝手で良いけど)その仮説の是非を論じ得る展開を提供するものではありませんので、「あゝそうですか」で誰からも聞き流されて終わりました。結局、あの一週間は一体、何だったのか全く不明ですが、その後は何事もなかったかのように多言語生活に戻りました。

    ずっと後になって、自分は一体、何語で考えているのだろう?と思い返そうとすると思い出せない…〇〇語で話している時は〇〇語で考えている?ような気がする…気がするだけで違うような気もする…実は言語なしで効果音つき動画を生成&再生しているだけでは!?…みたいな話をしたことがあり、そう言われてみればそうかも?…と思って、以前コメントに書いたのでした。

    母語や思考言語に無関係かつ数学リテラシーで数学的な表現をする以前の「思考実験」は多次元ムービーのようなイメージであり、
    Q:考える時って言語が関係あるのかな?
    A:全然、ありません…
    …というわけで、気が合うと自然科学者どうしは母語も思想信条も無関係に幸せに共生できます。

    記憶が映像的な人は、国籍や母語とは無関係に
    alien site:.ameblo.jp/aya-quae
    – Поиск в Google
    https://bit.ly/2DttyAv
    フラッシュバックが起きやすい?のかも知れません(←仮説)。

    https://ptsd.red/2018/07/15/%ef%bc%83%e3%82%a8%e3%83%a2%e3%81%84%e3%80%80%e3%81%8d%e3%82%82%e3%81%84%e3%80%80ptsd%e8%a8%98%e6%86%b6/#comment-16273

    ⒈ いかなる《ひらめき》も最初は「“Il y a …” のざわめき」(©︎ レヴィナス)ではないでしょうか?
    ⒉ それを言語的に表現したものを通常、“pensée” と称します。
    pensée kmomoji1010 – Google 検索
    https://bit.ly/2Jt9ONF
    ⒊ 西洋世界では「はじめにロゴスあり」=言語として発せられたとき初めて存在を認識されます。

    anamnēsis も
    《多次元ムービー》タイプ(?)と
    そうでないらしい 《イデア》があるタイプ(?)では捉え方が違う?

    “anamneses”(既往歴)は、
    記憶のコレクションで、
    《記憶》とは《歴史的身体》に過去の影響が残ることゆえ、
    「妄想が定着したことにされると《偽記憶》攻撃が発生する」
    と言えそうです。

    “T 4妄想” 関連コメント:
    http://kunota506.com/2017/07/27/post-16598/#comment-993

    ③「欧米後追いの日本人専門家=教科書は欧米心理学のアタッチメント、駄菓子菓子、実経験は日本独自のアタッチメント」なのでしょうか?だから飛鳥井望医師の「《愛着障害》論」詐欺が広く受け入れられている犬HKでも喧伝されたのでしょうか?

    同僚の細君が《マタニティブルー》なる《人生の転機》を「ホルモンバランスの問題」で片づけられそうになった件について、
    拙ブログ記事:
    https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12455359834.html
    に翠雨先生のブログへのコメントを記録しました。

    「日本独自のアタッチメント」とは?
    飛鳥井望医師の「《愛着障害》論」詐欺に於けるアタッチメントは、
    「お子さまの調子が悪い時にネグレクトして虐待する親」の “conditional love” を拒否する子は《アタッチメント障害》がある…と換言できる仮説でした。このように極端な例を挙げると明白なので、
    「殺人鬼に愛着するほうが精神機能の障害が大きい」
    と小学生だった息子に説明したら一発で理解してもらえました。
    「殺人鬼に愛着するほうが精神機能の障害が大きい」と言えば、
    「そんなことはない、やはり飛鳥井望医師は(心理学ど素人の宇宙現象学が専門だったオマエとは違って) “akadḗmeia” の “dignity” があるから言葉の重みが違う」
    と言われるのは本当に《日本だけの特殊事情》なのでしょうか?
    「殺人鬼に愛着するほうが精神機能の障害が大きい」と言えば、同僚の細君にダブルスタンダードをやる高エネルギー天文学者の各国の面々でさえも(アホン人を含めて)「そりゃそうだ」と言いそうですけど、如何でしょうか。

    患者さんの自殺という外傷体験を病原化しないように反省できなかったために、PTSD否認を強化してしまったケースがkyupin医師です。

    「これに気付いた瞬間、僕は急に過去に自殺で亡くなった患者さんの顔が思い出されて泣いた」
    https://ameblo.jp/kyupin/entry-10214552453.html
    『Why Not Smile (R.E.M.)』
    | kyupinの日記 気が向けば更新
    「僕たちは悲しい思いをたくさんしている。もうしたくないほど」


    https://ameblo.jp/kyupin/entry-10029695932.html


    「本質的なことをいうと、子供は家族の所有物なんだと思う。これは精神科医療をしていると、とても感じる」
…と書いておいでです。

    「家族の所有物」にされている人は、年齢や性別に無関係に、人格無視をされているのです。

    患者さんの自殺という外傷体験を病原化しないように反省できなかったために、PTSD否認を強化してしまったケースがkyupin医師でしょう。麻原彰晃さんタイプの妄想性障害に陥り、無自覚に《投影》を行なって「診断」と言い張るようになってしまいました。要するに来談者の人格を無視しているだけでした。

    人格無視 site:.ptsd.red
    – Поиск в Google
    https://bit.ly/2Iki0Es

    トニー・後ウッド氏@オーストラリアも日本人の人格無視&人格破壊から人格再構築(←すべてアングロサクソンに都合が良いように…というのも)同じです。

    “トニー・後ウッド”
    – Поиск в Google
    https://bit.ly/2DxllLH

    カラスさんと気が合わない場合、「カラスの勝手でしょう」なので、カラスさんに「私の気に合わせろ」という人は(日本においては)精神機能の障害した人です。ところが、トニー・後ウッドさん&同調者にとっては、違うようです。氏による異民族同化は人格無視を伴っているので、三好達治の鴉を思い出させます。

      鴉
    風の早い曇り空に太陽のありかも解らない日の、人けない一すぢの道の上に私は涯しない野原をさまようてゐた。風は四方の地平から私を呼び、私の袖を捉へ裾をめぐり、そしてまたその荒まじい叫び声をどこかへ消してしまふ。その時私はふと枯草の上に捨てられてある一枚の黒い上衣を見つけた。私はまたどこからともなく私に呼びかける声を聞いた。

     ――とまれ!

     私は立ちどまつて周囲に声のありかを探した。私は恐怖を感じた。

     ――お前の着物を脱げ!

     恐怖の中に私は羞恥と微かな憤りを感じながら、余儀なくその命令の言葉に従つた。するとその声はなほ冷やかに、

     ――裸になれ! その上衣を拾つて着よ!

     と、もはや抵抗しがたい威厳を帯びて、草の間から私に命じた。私は惨めな姿に上衣を羽織つて風の中に曝されてゐた。私の心は敗北に用意をした。

     ――飛べ!

     しかし何といふ奇異な、思ひがけない言葉であらう。私は自分の手足を顧みた。手は長い翼になつて両腋に畳まれ、鱗をならべた足は三本の指で石ころを踏んでゐた。私の心はまた服従の用意をした。

     ――飛べ!

     私は促されて土を蹴つた。私の心は急に怒りに満ち溢れ、鋭い悲哀に貫かれて、ただひたすらにこの屈辱の地をあとに、あてもなく一直線に翔かけつていつた。感情が感情に鞭うち、意志が意志に鞭うちながら――。私は永い時間を飛んでゐた。そしてもはや今、あの惨めな敗北からは遠く飛び去つて、翼には疲労を感じ、私の敗北の祝福さるべき希望の空を夢みてゐた。それだのに、ああ! なほその時私の耳に近く聞えたのは、あの執拗な命令の声ではなかつたか。

     ――啼け!

     おお、今こそ私は啼くであらう。

     ――啼け!
     ――よろしい、私は啼く。

     そして、啼きながら私は飛んでゐた。飛びながら私は啼いてゐた。

     ――ああ、ああ、ああ、ああ、
     ――ああ、ああ、ああ、ああ、

     風が吹いてゐた。その風に秋が木葉をまくやうに私は言葉を撒いてゐた。冷めたいものがしきりに頬を流れてゐた。
    https://www.aozora.gr.jp/cards/001749/files/55797_55505.html
    三好達治『測量船』

    我が家の最近の具体例では、「被害妄想」と決めつけられた件があります。息子が「臭い、臭い」と2、3日、七転八倒、猫さまも体調不良になり、何があったのかセコムのカメラに保存されたビデオを巻き戻してみたら、除草剤を撒かれたのが判明したのでした。証拠はあっても相手がシラを切り、私の「被害妄想」ということにされました。将来、この事件がトラウマになったら《偽記憶》攻撃をやられて「深く病んでいる」ことにされると予想されます。…ということで、トラウマ化しないように遺影をアイコンに使っています。

    もっとも偽記憶(ファンタジー)でも末田耕一医師のアプローチで治るようですが。

    ハーマン 偽記憶 site:.ameblo.jp/phantom-nightmare – Поиск в Google
    https://bit.ly/2W9ma4Y

    外傷体験をトラウマ化しない=PTSD予防が大事ですよね。これは古今東西、変わることはないでしょう。

    Отправлено с iPhone

    返信
  3. Ikuko Marie ASAOKA/HISHIKAWA

    補足です。

    音声入力の課題:
    /か ̄ん ̄せ ̄い ̄ →完成
    \か_ん_せ_い_ →感性
    関係になっていますので、無問題ですよね。

    問題なのは、
    /か ̄ん ̄せ ̄い ̄ →完成?歓声?管制?閑静?慣性?官制?官製?寛政?陥穽?喚声?乾性?寒性…とか
    \か_ん_せ_い_ →感性?閑静?…とか生粋の日本人でも迷うケースで、その区別は、文脈に依存しているのでした。したがって、コンセプト・リサーチがキモになります。
    …というようなことは、愚息にも小学校低学年から理解できたので、人類共同体にとっても共通理解=常識になるでしょう。

    返信
  4. Ikuko Marie ASAOKA/HISHIKAWA

    補足です。
    「ドラゴン🐲も幼少期は引きつけ魔だったらしい」ですか、脳科学者ということになっている茂木健一郎さんと同じですね。kenmogi その人、誰?…というと、
    『通過儀礼こそが、生命を新たにするー御燈祭ー』:
    茂木健一郎 クオリア日記
    http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2015/02/post-e7a8.html
    ですが、私にとっては普通の公立小学校の後輩です。そういうアンタは誰?というと、当時、その辺の児童会の会長だっただけですので、普通の人間です。

    Отправлено с iPhone

    返信
  5. ドラゴン🐲

    おはようございます😃
    たくさん説明ありがとうございます♡

    「日本独自のアタッチメント」とは?
    まだ漠然としていて具体的に言葉には出来ないのですが、日本人アタッチメントは独特なモノがある感じがしますーズバリ、コレだ!とはまだ言えませんけど…..

    多言語児童のクライシスに関して…….
    富良野尾間さんのご子息は1ヶ月をハンガリーでお過ごしになった後、日本へご帰国され無口になったという事でしたー何かを繊細にキャッチされたのだと想像します

    我が家の長男は就職する際の面接で自分のパーソナリティを「カメレオン的」と自ら言ってしまう(爆笑🤣)くらい適応能力を売りにしてるので、幼少期から大雑把に勢いよく環境適応していく感じでしたーですから言語習得も大雑把な感じですー就職時のCVの使用言語欄に英語、独語、仏語、日本語と提出しましたが、日本語でリサーチが出来るレベルでは無いので、もし、東京支社転勤とか言われたらどーしよーってビビってます

    でも、次男は真逆なタイプでディテールから環境適応していく感じーロンドンに転勤してからの小学校の3年間の不登校が彼のクライシスだったのでしょうー微妙に何かが違うことを受け入れられなかったのでしょうねー言葉が使えていてもその言葉の皮膚感覚がビミョーに違っている事に違和感があったのかもしれません

    ドラゴン🐲自身も幼少期から児童期にかけて言語環境の変化に戸惑った経験があるのでドラゴン🐲ママの様な傲慢な強要はしたくありませんでしたーですから、次男が不登校になった時もじゃあ一緒に遊んじゃえ〜みたいな感覚で過ごしてたら学校に戻る事が出来たので、今は結果オーライなのかな?ーいや、まだ大学生なのでプロセスですね

    ちょぴっと日本に居る日本人にドラゴンの異質さを指摘され凹んでいたので、ここでの対話にリストアするヒントを頂けた感じです

    たくさん言葉を下さった富良野尾間さんとこの場所を提供して下さった翠雨先生に感謝申し上げますm(_ _)m

    返信
  6. あ*=franoma

    続きが出ました。

    『娘ダイアリー:No.9』
    | Ninaオフィシャルブログ「”FIKA?”」Powered by Ameba
    https://ameblo.jp/ninaofficial/entry-12462725293.html

    思うに、
    「自閉症スペクトラム」勘違いを
    「解離性スペクトラム」に訂正し、
    ①臓器の集合体としての解体&“科学”を詐称してきた “organicism” から、
    ②心身霊一如/心身景一如の “holism” に
    パラダイムを変えないと、どうにもならない《PTSDの世紀》になったと思われます。
    ①“科学”を詐称してきた “organicism” では、個人の歴史的身体は「単なる脳の容器」扱いされがちで、オバマさんの置き土産 “brain initiative” 下請け研究とか、安倍晋三がメイさんに40億円もあげて、実験動物アホン人も提供する流れです。
     ヘルシンキ宣言の骨抜きもスタンバイされています。

    全人的 integrity site:.ptsd.red
    – Поиск в Google
    https://bit.ly/2DqKGGz

    https://bit.ly/USAbised
    症例をよく考察すれば、
    holistic health&healing で
    PTSD予防&克服しかないのは自明ゆえに、

    「ホリスティックでもないみたい」なのは、予後が悪くなりますね。
    https://ptsd.red/2019/02/09/%e5%a5%b3%e6%80%a7%e6%ae%ba%e5%ae%b3%e5%ae%b9%e7%96%91%e3%81%a7%e5%8c%bb%e5%a4%a7%e7%94%9f%e9%80%ae%e6%8d%95%e3%80%8c%e3%81%9f%e3%81%9f%e3%81%8d%e9%81%8e%e3%81%8e%e3%81%a6%e3%80%8d-%e6%ae%ba%e6%84%8f/#comment-17927

    Отправлено с iPhone

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      こういう症状が並べば○○症としか考えられない、DSM思考のワナにはまってしまったんですね。
      診断基準の根拠から間違っているというのに…。
      こんな哀しい記事が書かれないように、そろそろパラダイムシフトが必要ですね。
      長い歴史からすると、最近がちょっと異常だったということで、一度元に戻してからという作業かもしれませんが。

      返信
      1. あ*=franoma

        「こういう症状が並べば○○症」と症候論に持っていくのは、(DSM思考だけではない)解剖学ベースの人体認識すなわち歴史的身体の持ち主の《観察主体》を等閑にする治療現場に共通する問題です。

        《観察主体》
        https://ameblo.jp/aya-quae/image-12393733814-14236822917.html

        父親は、お子さまに対する《統合失調症》ラベリングを受容してしまったままの《妄想》状態から遂に抜け出せずに終わり、母親は終始、無言だったので、治療を引き受けなかったケースがあったことがS先生のブログ記事に書かれていたので、私も拙ブログ記事に記録しました。
        https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12462759075.html
        “強烈な洗脳” → 失敗すると《統合失調症》ということにして処分するということが世界中でやられている模様で、困ったことです。

        「どの教科に置いても、小論文を書く際にDSMを引用すると必ずブリリアントな賞賛が先生のフィードバックに書かれている事に気がついた事がありますードラゴン🐲の目的は日本語獲得でその講座を受講していたからDSMの存在なんてどーでもよい事でした。駄菓子菓子、当時のDSM引用賞賛フィードバックは 心理学を真剣に学ぼうとされている方々にとってみたらある意味DSMを崇拝する事を洗脳されてしまう事になりかねないと思う今日この頃ですーそういう地盤もきっとDSMを信仰してしまい、症候論に没頭してしまうという現実に繋がっているのかなぁ」
        http://ptsd.red/2019/03/08/%e3%80%8e%e4%b8%87%e5%bc%95%e3%81%8d%e5%ae%b6%e6%97%8f%e3%80%8f48%e6%ad%b3%e6%af%8d%e8%a6%aa%e3%81%a829%e6%ad%b3%e5%a8%98%e9%80%ae%e6%8d%95/#comment-18193
        …という具合に、DSM思考を強化する《洗脳教育》が全国津々浦々で展開されているので…筑波大学くさい問診に批判的な人もマイノリティです。

        悪書 site:.ameblo.jp/aya-quae
        – Поиск в Google
        https://bit.ly/2HFNhOR

        Отправлено с iPhone

        返信
        1. 翠雨 投稿作成者

          DSM以前からの伝統で根深いということですね。
          現在、論文の査読を合理的に通過したければ、外せない話題です。

          返信
  7. あ*=franoma

    そもそも、PTSDからの回復とは、
    「“心の傷”(←トラウマが想起され、通常の外傷記憶になったもの)を抱えながら、生きる術を身につけること」
    です。そのプロセスは、翠雨先生もS先生も同じだという趣旨のコメントを以前しました。
    https://bit.ly/KonjikiYasha

    心の傷を抱えながら、生きる術を身につけるのに必要なのは《観察主体》なのに、解剖学ベースの人体認識すなわち歴史的身体の持ち主の《観察主体》を等閑にする治療現場はナンセンスです(←ただの身体医かつ瘀血のような風土病も眼中にない)。そういうわけで、「私は、臓器の集合体《客体》=“object for the governors of the 教育/医療/福祉/行政/支配 system” ではありません。私は、《観察主体》を持っており、胎児期から様々な “non-objective experience” を重ねて現在に至る歴史的身体を持っています。臓器の集合扱いは、人格無視&魂の無視ですから、やめてください」と言い続けねばならないのが(日本人に対する)PTSD否認=社会病理が蔓延した世界です。野村総一郎医師は、PTSD否認を徹底=《うつ病》ラベリング詐欺をやめず、鍼灸を進めるそうです。
    “ātman animated by soul”
    そして仲間たちの brahma は、野村総一郎医師の見解では、何処にあるのでしょうか?
    『野村総一郎先生、うつ病治療に鍼灸をおすすめ』 | 精神科医ブログ、長崎広島原爆・福島原発放射能、第二次大戦、児童虐待・DV・レイプの遅発性晩発性複雑性PTSDの心理・薬物療法完全融合
    https://ameblo.jp/phantom-nightmare/entry-12462913787.html
    不思議の国ニッポンです。

    心の傷を抱えながら、生きる術を身につけるのに必要なのは《観察主体》を手放さず、主体性のある学びを進めることです。その際、生老病死をスムーズに経過するために holistic health& healing を要する訳ですが、来談者の《観察主体》を手放させて《うつ病》ラベリング詐欺を続け、体調不良だけ「心因/身体因の両方があるだろう」ということで、いきなり鍼灸で乗り越える必然があるか?…というと、そういうことは、ありませんね。

    末田耕一医師がPTSD治療に当たる場合にも、身体医からのサポートは胃瘻の造設と抜去だったりするわけで、鍼灸師を呼ぶ必要はないのでした。今ある西洋医学の保険診療で治る範囲の広さを具体的な症例から実感し、そこから学ぶことが大事ですね。

    https://ameblo.jp/cheyenne-chalon2/entry-12462295410.html
    でご紹介の論文は、
    “Acupuncture for the Treatment of Adults with Posttraumatic Stress Disorder: A Systematic Review and Meta-Analysis”:
    Journal of Trauma & Dissociation: Vol 19, No 1
    https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/15299732.2017.1289493

    マインドフルネスで、心の傷を抱えながら生きる術を身につけようとしたものの、あえなくサバイバーズギルトにヤられてご落命のケースもあるそうで痛ましいことです。

    Отправлено с iPhone

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      そうでしたね。

      昔の鍼灸は、現在の精神医学より深い哲学に根差したものですが、野村医師は、どのようなことでこれを勧めようと発想されたのでしょう。
      とても興味深いですが、私が想像するようなものではなさそうです。

      返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です