鍋と言えば
不思議なうたがあります。

昔はお鍋によく穴があいたそうですが
うたの意味がいまひとつよくわかりません。
そういう場合は
きっと
陰陽☯五行説的な意味があるのでしょう。

底が抜けてからが始まりというのは
子どもにとっては遊び
原理的には 本気 本番?
陰陽の極致まで進んで核心が見えてくるという事?
— 私は底抜けの馬鹿と言われます💦
絶対無かな🤔
一太極二陰陽
哲学的な遊戯療法ですね。
子どもは
なぜ⁈と問わず ←袋小路に入ると始まらない
— そんなものだという感じ
楽しむところが凄い
とおりゃんせにしてもかごめかごめにしても
日本の童謡はおどろおどろしく
ものがなしいところがあります。
さて
ユーミンの
言われてみれば
童謡のような曲調
夕闇をひとり♪が注目されています。
あのひとのうわさが聞ける街なら
私は流れてゆくわ
冷えそうな心となぐさめのカセットと
淡い口紅ひとつもって
あのひとを愛してくれる女なら私はたずねてゆくわ …
偶然でしょ…とも考えられますが
冬の終わり♪なんかも
頑張るあなたが憎らしかったの
置いてきぼりにされるみたいで
傷つけた迷ってた
同じだけ淋しかった
冬の終わりが来るたびに…思い出す
なんだか鼻のあたりがツンとする
木の芽の香りかしら 少し早い木の芽時?
夢見る私をまだ笑っているの…あの日のように
探してた悩んでた
わけもなく不安だった
…月日は流れ
なぜかしらどこからかふと蘇る
あの頃の私達 同じだけ楽しかった
— 嫌われても一緒にいられるという異常心理
—— 相手を人格ある人間と考えず自分と同一視
卒業写真にしても
これらは実体験らしい。
思い通りに生きられなかった記憶が
ベースになっていて
ひこうき雲の聴こえ方も
あの子の存在自体は儚くも美しく
魂が昇華されているように聴こえるが
そこに投影する人物の気持ちが
— 生きられなかった人格=影
対象を代えてどこかに転移するとなると…別の物語に
変わってきます。
繊細な感覚をもった清水ミチコさんは

ふざけずにいられなかった(>_<)
躁的防衛からの昇華



今期は哲学が如何に現代文学に適用されてるかという宿題で頭痛い😓のですが、このサイトの記事を参考にしながら頑張ってますw。考える事がめんどくさいと感じちゃう時、ついついふざけた嫌味な方向へとシフトしがちですが、それも解明の糸口になる事があるようで面白い🤣ですね。
頭痛薬💊になれば幸いです(^^♪
考え尽くして(自力)のちのおふざけには、どんぐりころころ♪みたいな展開(他力)@ザブン教 があるのかもですね。
今思いついた事です🤭
清水ミチコさんもありがとう💕