1部の冒頭について書いたもの
主人公ぼくは高校生
2部において
全3部
村上春樹は
文才がなく
専業にして(ジャズ喫茶閉店)努力したものの
うまく書けなかったので
書けるもの(頭に浮かんだもの)をそのまま書いてきた。
「読む人にとっては
書けないことをすっ飛ばして書いていた若いころの
すっ飛ばし方が好きだという人もいるでしょう」
「論理の飛躍も大事だった」
― 難解であるのがオシャレだと言わんばかりにジャズを聴くように酔うファン
1980年にすでに発表した中編小説について
「年を取ってくると
あといくつ長編が書けるかと思う。
決着をつけたかった」ので書き直した。
40歳となり
対人関係の病(PTSD)を発症した主人公ぼくが
アニマであるきみの面影が消えず
たましいが発達障害を起こしている。
会社をやめて
センセイの休職や芸能人の体調不良は
たいていPTSDの発症
東京から福島県に移住し
小さな町の図書館で働き始めて
アニマの影響を受けた選択
出会った人々との人間ドラマを丁寧に描写します。
フツーの(PTSDとか自己実現と無関係な)同年齢の女性や
後期高齢者
現代の少年らとの
(かつての作品とは真逆の)穏やかな生活
これは
『十牛図』で
ぼく(牧人)もきみ(牛)も消えたあとの
出会うことが目的ではなく
そのあとの展開や
そんな世代交代が永遠に繰り返される普遍性のなかで
考えることが重要
俗世間での生活(第十図)のような世界です。
光源氏亡き後の『源氏物語』みたいな次世代
牧人はみかけも大化けして即身成仏
浮かばれないぼくはこの中間⁉くらいか…