中国共産党機関紙
人民日報系の
環球時報は
安倍晋三首相の
靖国神社参拝を受け
安倍氏らを
「中国で歓迎を受けない人物」の
ブラックリストに入れ
5年にわたり入国禁止にするなどの
措置を取るよう提案する
社説を掲載したそうです。
このたびは
アメリカも
難色を示していますね。
信教は自由ですが
やり方というものがあり
―いつも唐突
フクシマ問題は
大丈夫だと豪語するし
国際的な
信頼はないですね。
PTSD問題は
本当にいろいろな
ありえないことをつくってゆきます。
「戦争」カテゴリーアーカイブ
かつてスパイ容疑PTSDで死亡した北大生(27)がいた
朝日新聞の天声人語で
紹介されていました。
真珠湾奇襲に
日本国中が
酔っている頃
―集合的無意識のこの記憶が
PTSDに
奇襲めいた
解離行動をさせるのでしょうね。
軍事機密を漏らしたとして
スパイの濡れ衣を着せられた
北海道帝大生が
獄中で病み
27歳で死去したそうです。
旅の見聞を
知人に話しただけでした。
PTSDをつくるから
戦争はいけないし
PTSDをつくるから
人をいじめてはいけないし
PTSDをつくるから
悪法は再考すべきです。
各地のデモ活動で
みんな危険視していることが
明らかになったから
何かあっても
その気概を忘れず
萎縮しないことだと思います。
―バ香山リカまでが
「萎縮が心配」と
言ってます。
多崎つくるPTSD
基地外米兵による女性へのPTSD解離性的暴行賠償額1ドルだけ
2002年に
横須賀市内で
米兵に
性的暴行被害を受けた
オーストラリア国籍の女性は
被害を訴えても
起訴されなかったので
東京地裁に民事訴訟を起こしました。
300万円の賠償を命じる
判決が下されたのですが
米兵は審理中に帰国し
除隊してしまったので
―軍の命令
帰国した加害者を
自力で探し出して
起こした
民事訴訟で
米国の裁判所は
被告の責任を認める判決を
言い渡しましたが
賠償額は1ドルでした。
女性は
こういう実態を知ってもらいたくて
10年争ったと言います。
PTSD予防しながら
―レイプは発症リスク大
報われない
訴訟活動する人も
偉大な活動家です。
ケネディ大使PTSD負の連鎖を超えて基地巡り
横田基地を訪問
米兵や家族を
ねぎらい
再編問題を考えるために
沖縄にも
行きたいと
述べました。
基地そのものが
日本人にストレスを与えていますし
基地外米兵の
PTSD解離行動の問題も
きちんと
本国に伝えてほしいですね。
防衛省は
被災地の人々が
目覚ましく立ち直っているのも
訪問して
見てほしいと
言ったそうですが
被災地PTSDケアの
現状についても
純粋な目で
本国と
比較してほしいものですね。
―どちらも手つかず
純粋に
正しい行動をしたら
暗殺されたという
―山本太郎さんも
脅迫され続けている。
トラウマは
家族的無意識にあると
思いますが
それを
自分の代でも
出来る限り
超えて行こうとするのが
人生というものでしょう。
戦争PTSD性DV負の連鎖を癒してくれた『昭和の犬』
ヒロインは
昭和33年生まれ
父親のDVと
―激しい癇癪を起す。
悪夢にうなされている
子どもから見れば
不気味な存在
そこから
病んで
自分を愛そうとしない母親から
理不尽な扱いを受けますが
犬と過ごし
両親は
「歪んでしまうだけの目に
あった人たち」と達観してしまいます。
成人し
両親を看取る頃に
身体を蝕まれますが
―PTSD性心身症
そこでも
犬が微笑みかけ
一緒に過ごした
少女期を思い出し
―昭和の犬との関係を
転移?
癒されるのだそうです。
何とも言えない話ですね。
確かにこの国には
こういうセラピストしか
いないような
気がします。
機能不全家族のそばに
動物がいるかどうかも
実は運命の分かれ道かも
しれないですね。
サリンジャーもヘミングウェイも戦争PTSD
『サリンジャー
生涯91年の真実』で
比較されています。
どちらも
軍人として戦い
こころに傷を負い
―サリンジャーは
ノルマンディ上陸作戦では
諜報部員として参加
戦火の下
ヘミングウェイを訪ねています。
2人とも
凄まじい数の死体を見たであろうと
推測される。
作家になりました。
しかし
ヘミングウェイは
従軍作家であり
戦後も
戦争について
多くを語りましたが
サリンジャーは
詳細を一切話していません。
ヘミングウェイは
ノーベル賞受賞した年に
2度の航空機事故に遭い
―なんか陰謀を感じますね。
躁鬱になって
書けなくなり
ライフル自殺
―負の連鎖し
ヘミングウェイ家には自殺が多い。
息子の一人は
性転換し
別の息子の近親相姦で
孫娘が自殺
近親交配と思われる
6本指の猫を増やしたり。
サリンジャーは
40代後半から
発表せず
瞑想とヨガをしながら
書き続けます。
従軍作家のヘミングウェイと違い
―従順に書いたのかもしれない。
若い時から
掲載拒否や
勝手なタイトル変更などされ
ストレスだったのか
「発表しないと
素晴らしい平安がある」
「仕事と祈りの
ふたつは
区別がつかなくなっていた」
心理療法的な
生活をしていたのかも
しれません。
―その作品は
再来年出版されるらしい。
PTSDをどう記述するか
迷いも多いですが
貴重な示唆があるように
感じました。
南海トラフ対策のオスプレイ訓練でPTSD解離基地外米兵がやって来る
「明日から滋賀にオスプレイが飛ぶ」PTSD発症リスク
日米共同訓練を
琵琶湖畔でも
行うそうです。
住民はもちろん
反対したのですが…
沖縄から
移住した人もいるわけで
「仕方ない」と
受け入れたら
じわじわと
生活が浸食され
あともどりできなくなると
危惧されています。
放射能がれき問題と一緒で
沖縄の人も
こういう絆を求めてはいません。
―そもそも
沖縄の負担が減るわけでもない。
何より
子どもたちにとっては
それが当たり前の環境になり
―適応力がありますから
平和や
安全に対する
感覚が
鈍くなります。
―大学に墜落事故とか
大学が米軍に包囲されるとか
基地外米兵が関西にも出没とか
「こんなもの」という
水準を下げたら
自尊心が低下
傷ついたとき
治る過程に
影を落としますし
この時代に
日常的なストレス負荷を
無駄にかけることは
大変
愚かなことです。
ヒロシマ原爆の260倍の水素爆弾あわや爆発のPTSD解離行動があったらしい
1961年に
米軍機から
落下
爆発寸前だったそうです。
しかも
安全装置4つのうちの
3つが作動せず
最後の1つが作動して
難を逃れたと言いますから
コワすぎる話です。
ワシントン
フィアデルフィア
ニューヨークに
死の灰が降り注ぎ
何百万人もの人が
犠牲になるところでした。
危険なものを作ったり
使ったりしたら
解離しやすくなると
思います。
いろんなものを
クリーンに
しておくことが
大事です。