4月3日に亡くなられた
俳優の田村正和さんを偲ぶ
記事を書いていて
ストイックで華があるのはなぜなのかわかった。
再放送に
『古畑任三郎』が選ばれています。
刑事さんですが
あとは検事が量刑を決めるだけの段階まで
(量刑も知っているでしょう)
現象学的方法に徹する。
岡口基一裁判官の予断は末期症状(裁判官弾劾裁判所候補)
その陰にたくさんの誤審があり
第二の岡口祭りが予定されているということ
現場を徹底的に検証する姿は
型破り裁判官に似ていますね。
正論だが
有難い(物理的限界がある現実では有り得ない)指揮をする
理想の裁判官
弁護士が裁判官になったり(イチケイのカラス)
裁判官が検事になったり(判検交流)
つまりユーザー側が
心理療法のロール・プレイのように
相手の立場に立って
判断材料を提供し説得すればよいのですよということ
そう思って見直してみると
古畑任三郎と今泉慎太郎は
過去と現在
畑(耕して育てる)と泉(感情)
冷徹さ(任)とおっちょこちょい(太い慎みが必要)
陰陽のコンビでした。
普通の人の
1つの人格に
二人がいると考える。
この関係が未来を決める。
どちらも普通の大人ではなく無邪気なのですが
常識から離れてこころを遊ばせる。
生産的なプチ解離と発散だけのプチ解離
時に発散したものが読み解かれて
生産的と転じることで
意味をもつこともある。
無邪気さも陰陽2種類が表現されています。
それは禅問答の関係の写しでもあって
古畑任三郎は
今泉さんの無邪気な言動に
犯行現場に普通の人が入ると
解離してしまうこともあるでしょう。
言葉を投げかけ
職業訓練(新人教育で行うべきですが)をしながら
哲学的現象学的に考えさせます。
警策のようにピシャリと叩きます。
おどろくほど何度も反射的にたたいていた…
修行時代は否定⇒否定⇒否定…
イチケイのカラスの場合はガンジーのような非暴力で
時に勘違いした女性裁判官に取り押さえられる
一話は
何と本物のイチローが出演
お話はフィクションと何度も強調されているほど
見る側で虚実が入り混じる。 =架空(優れた思考空間)
アメリカで大成功をおさめて帰国した直後に
集合的無意識としては
(常識の壁も少しずつ変化するもの)
ロンドンで不調を起こして帰国した
漱石より少し進化
事件に巻き込まれ
名声の陰で
あまり光を当ててこなかった
古い畑(無意識)が分析を待っている。
犯罪者となってしまいます。
この脚本家も
古畑任三郎に
たくさんの犯罪者に出会ったけれども
どの犯罪者も人を殺すようには見えなかったと
わかるなら職質で予防できますね。
語らせていますよ。
解離犯罪だらけだからですね。