静岡県立大学看護学生のPTSD解離性死体遺棄も『仙人と妄想デートする』なのか?

事件については昨日書きましたが

 

その直前に

縁あって出会った書物が

これでした。

 

「仙人と妄想デー...」の画像検索結果

 

 

確かに

医療が進歩したと言っても

治らない病気だらけで

苦しむ患者さんが多く

昔以上に

こころのケアが必要になりました。

こころのケアというのは

傷ついたこころのケアですから

PTSD予防ということになります。

 

こころのケアとは

どのようなものなのかということですが

 

「キューブラー・...」の画像検索結果「キューブラー・...」の画像検索結果

 

支援者の

「傾聴」に支えられて

苦難のなかで

自分で納得できる哲学をつかむことができたとき

こころの痛みが消えるというのが

教科書的な常識です。

 

しかし

本書は

 

「無名の人々の真剣な営みのなかに

哲学を発見すること」

つまり

哲学を支援者が提供します。

 

しかも

「妄想のなかに入り込んで」

「デートする」

 

 

支援する側の気分の落ち込みを癒やすために

「亡くなった赤ちゃんとのコンタクトを回復しようとします」

「産湯に浸って

ふわーって浮かんで

「ちょっと泳いでみようか」ってぴゅーってしてると

ほんとに赤ちゃんが穏やかな表情で

あのお地蔵さんみたいなかわいい表情になって

そういう表情を見てると私たちが

すごくなんか「うー」ってなってる気分が少し

気持ちが楽になるんですよね。

で、みんな結構そうなんですよ」

「生まれてきたぞ、そして亡くなったぞ」と

声をかけながら、その短い一生の証人になります」

 

これでよいのでしょうか。

 

私には

苦しみの只中にある人を癒やす

幻想(イメージ・ヴィジョン・夢)という

聖なる場所への

 

「ヴィジョンユン...」の画像検索結果

 

「コクリコ坂から...」の画像検索結果「コクリコ坂から...」の画像検索結果「コクリコ坂から...」の画像検索結果

(ヒロインは

周囲が見守るなかで

自分に向き合い

幻覚や夢を見ながら哲学しました)

 

冒涜でないかと感じられます。

 

優秀な学生さんが

「どうしていいかわからなかった」と

解離行動をさせられてしまうような

根本的な哲学的混乱が

今の看護教育のなかにあるのではないでしょうか。

 

そう感じさせられた事件でした。

 

静岡県立大学看護学生のPTSD解離性死体遺棄も『仙人と妄想デートする』なのか?」への10件のフィードバック

  1. あ*=franoma

    臨床現場における支援者の気分の落ち込みを癒すために
    こういう「妄想」を持った人がいましたよ、
    なんか、ポエティックでいいでしょ?
    こういう人がいましたよと「知識」として教えてあげました。
    あなたも真似たらどうですか?
    …みたいな話で、人をバカにしているのでしょう。
    おそらく著者は、「日本支配層」に属する人で、
    庶民の人格無視なんか平気の平左なのでしょう。
    「日本支配層は米国危機を利用し
     おこぼれ頂戴と戦前化」
    https://ameblo.jp/aya-quae/entry-11895416510.html
    反省してください。反省したのが判るような本が書けたら、また買ってあげます。この著者は『治癒の現象学』から人倫を踏み外しています。「フェミニスト」気取りで、女性にヨイショすればいいという勘違いに陥っているようです(?)。まあ、パリがダメでもストラスブールがあるから、いいんですけどね。

    「看護師の語りがひらく…」
    と言われても、看護学生の解離言動は予防できません。
    看護学生当人が自らの観察主体を手放さず
    自らの宗教哲学を構築していくなかでPTSD予防もPTSD克服(=昇華)も初めて可能になるのですから。

    アメブロのトップブロガーさんで、かつては看護師、でも過労で調子を崩して病棟でも涙がポロポロ出て止まらなくなったため離職して専業主婦になった御仁がおわします。「うつ病」詐欺に引っかかって、治らなかったから離職しました。でも、「うつ病」詐欺に引っかかるとPTSDが治らなくなるよ…って彼女に教えてあげても、意味がないからコメントもメッセージもあげません。

    薬理学の先生のブログには、関連することをコメントしておきました。誰かが読んで、理解するかも知れないからです。
    http://kunota506.com/2017/08/09/post-16727/#comment-1016
    あ* より:
    2017年8月11日 9:56 AM
    「このまま日本が
    『財政ポピュリズム』と
    『偏狭なナショナリズム』で突き進まないようにするには、
    国際情勢をよく観察し、
    薬学も、教育・福祉も含めて、医療に関係を持ち得る「専門家」が全員、
    「患者のことさえ考えておればよい時代」
    http://www.aoki-hospital.jp/about.html
    を迎えられるようにせねばならないと思います。
     今は、「患者のことさえ考えておればよい時代」ではないどころか、そういう時代を人生経験で持てる人がどんどん減っています。何が足りないのか?…というと、
    (1)人格の尊重
    (2)西洋帝国主義戦争とセットでしかない脳病院の解体
    (3)大学を人民制圧のツールに悪用しないで、人類の福祉のためにのみ学問を進めるという決意
    この3つでしょう。そうして、(3)の決意が弱いハコモノ大学に
    『戦争とプロパガンダ』のプロパガンダ frame
    http://bit.ly/2wNAMK4
    を定着させるため、
    晋精会が公認する公認心理師法が機能するわけです(←社会現象)。

    したがって、公認心理師法の廃棄は、日本人庶民の 「生きづらさ」( http://www.aoki-hospital.jp/about.html )を緩和するためには不可欠です。

    「がん緩和ケア」というのも、上述(1)〜(3)を欠いているからこそ、「モルヒネなどで疼痛管理をすればいい」という方向に矮小化されつつありますし、がんPTSDの存在が否認されて「コントロールできるうちに尊厳死=自殺幇助ビジネス、コントロールが効かなくなったら安楽死=屠殺ビジネス」をやることにして、平穏死の追求をやめ、ヒポクラテスの誓いなんか、そっちのけ…になりました。
     私事でアレですが、父がもう死を待つばかりのときに、選択肢としてホスピスを考えて、兄の当時の配偶者が全くの「善意」から助言してくださいましたが、父は、ホスピスには行きませんでした。当人のそれまでの人生=日常生活から切り離してホスピス商売の餌食にするのは、
    「患者のことさえ考えておればよい時代」
    ではないことを明示していますから、ニコニコしながら「善意です」と言われても、誠にグロテスクなものと言わざるを得ません(悪いから言わなかったけど)。そういう「専門家」や「大学人」は、ニコニコくそジジイさんたちと同じメンタリティですね。お見かけしたら全力で逃げねばなりません。

    http://kunota506.com/2017/08/09/post-16727/#comment-1025
    あ*=franoma より:
    2017年8月16日 4:52 AM
    補足です。
    西洋学問史を批判したシモンドン
    http://bit.ly/kmomoji1010Simondon
    は、分野によらず我々人類の「バカの壁」(©養老孟司)=認知の歪みを認識し、
    ブレークスルーを可能にするために、極めて有効です。

    返信
  2. あ*

    ペレルマン
    https://duckduckgo.com/?q=%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3+%E6%95%B0%E5%AD%A6%E8%80%85&t=ffsb&atb=v60-5__&ia=web
    も仙人になって治癒したのではなく
    チェルノブイリ原発事故のあと、PTSD克服=昇華したのです。
    「今、私にできることは何だろう?」
    と自問したとき、あと、どれだけ寿命があるのか知らないヒト
    https://duckduckgo.com/?q=%E3%83%A1%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%AA&t=ffsb&atb=v60-5__&ia=web
    として、死ぬ前にやることは、数学者として人類の福祉のために仕事をすることだけだったでしょう。

    仙人と妄想デートなどという言葉遊びに如何なる意味があるのかが問われます。

    http://ptsd.red/2017/07/10/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E7%B7%9A%E3%81%A7%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%8Cptsd%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%80%8C%E4%BB%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A7%E3%82%82%E5%85%AC%E8%AA%8D%E5%BF%83/#comment-14226

    神経症圏の人が森田療法の絶対臥褥を実践して
    「おひさまがありがたい」と思うような、当たり前の現実感を取り戻すという
    翠雨先生のコメントです。

    カトリック教会では、以下のように歌います。
    「神様といつも一緒」
    詞・曲 末吉良次

    かみさまと
    いつもいっしょ
    わたしたちみんな
    朝がきて夜が明ける
    太陽のプレゼント
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    たくさんの おめぐみを
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    わたしたちのため

    かみさまと
    いつもいっしょ
    わたしたちみんな
    小鳥たち小枝から
    おはようのごあいさつ
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    たくさんの おめぐみを
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    わたしたちのため

    かみさまと
    いつもいっしょ
    わたしたちみんな
    おいしそう食べましょう
    お食事のプレゼント
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    たくさんの おめぐみを
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    わたしたちのため

    かみさまと
    いつもいっしょ
    わたしたちみんな
    見上げれば真っ青な
    大空のプレゼント
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    たくさんの おめぐみを
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    わたしたちのため

    かみさまと
    いつもいっしょ
    わたしたちみんな
    雨降れば草木育つ
    くだもののプレゼント
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    たくさんの おめぐみを
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    わたしたちのため

    かみさまと
    いつもいっしょ
    わたしたちみんな
    夜来ればキラキラと
    お星さま プレゼト
    日も暮れて月ものぞく
    おやすみのごあいさつ
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    たくさんの おめぐみを
    ありがとう かみさま
    ありがとう
    わたしたちのため

    https://youtu.be/GG_FKJ1zblI

    ここでいう「神さま」とは何であるのか、それは
    翠雨先生のブログ記事とコメントに書かれていますね。

    ファミリー・ヒストリーは、どのような家にもあります。
    ヨーコ・オノ
    https://www.youtube.com/watch?v=ABEDnWOrZn4
    同志社の経営が危ない時代があったのですよ。

    他者のファミリー・ヒストリーを悪用して、解離人格として踊らせるというのは、誰がやっても人道上の罪です。私の元配偶者は、西洋白人女性心理職らに踊らされて、家事調停から離婚裁判に至り、最後まで、異様な内容の文書を出し続けました。「彼ら」の妄想性障害に巻き込まれたのかも知れません。

    しばらくネットに触らないことにしていたのは、愚息から
    「ネット依存症」
    と誹謗されたからですが、ひょっとして、今日、交通事故などで落命したとしたら、書き残したことがあるのではないかと自問したとき、これだけは、書いておこうと思うことを、ここに書いておくことにします。

    「ネット依存症」攻撃は、愚息も中学生のときに、やられました。それは違うと私は言い、自由に情報収集をさせよと主張しました。私に対する「ネット依存症」攻撃も不当なものです。しかし、そういうのがPTSD現象というものですから、甘んじて受け、「ネット依存症」でないことを示すために、ネット接続を最小限にしましょう。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      久々のコメントありがとうございます( ^_^)/□☆□\(^_^ )
      そういうことでしたか。

      依存症であると言われる根拠はない上に、依存症ではない証拠が示されました。
      探求への不当な妨害の現実の一側面を明らかにされたことも、今後の人類の福祉に貢献することになるでしょう。
      あとから来る人達が、歩きやすいように、道を整えることも我々の使命だと思います。

      教会で歌われるこのお歌、いいですね。
      こういうこころの支えがない子が増えているのだと思いました。

      オノ・ヨーコさんのYouTubeもありがとうございます。
      コレ、探していたんです(^_-)-☆

      返信
  3. あ*=franoma

    大学の自治にも関連する内容を、他所さまの記事
    https://ameblo.jp/tousekitetsu/entry-12320874477.html
    に、コメントしたところ、承認待ちにならず、即時に蒸発しました。

    その内容は、
    「看護師の語りがひらく、新たな自由への扉」
    ん〜どこが自由ですか?…
    http://bit.ly/TensaiBakabon
    自由ですか? 大学人が学問をやめる自由ですか?
    http://bit.ly/ShinseikaiT4
    他者を弾圧する自由ですか? それは、あなたの特権ですか?
    …と感じたことを思い出すものだったので、こちらに書きます。

    投稿したコメントタイトル:
    統治と人道

    コメント内容:
    コーポレートガバナンス=企業統治は、
    株主主権と株主責任の両方が問われて初めて機能するものです。
    したがって、例えば、
    (1)株主責任が問われない国策によって東芝がWHを買わされたら、
    株主主権もないし、破綻しないように取り繕いがなされるのは不可避です。
    株価=株主価値だけ維持しようとしたわけですね。
    (2)三菱自は、株主主権&株主価値のみで、株主責任は外して、
    安全性よりもコストダウンによる増収を図れと主張する外国人取締役に引きずられて、死者を出しました。
    この2つの例のうち(2)は、
    『誇り高い技術者になろう[第2版]
    工学倫理ノススメ』(2012年、名古屋大学出版会)
    で回避できる失敗ですが、(1)は、核問題PTSDによって歪められた「国策」ゆえに起きたPTSD現象なので、まさに
    「PTSDに対処せずして倫理は守れない」
    を具現しています。

    一方、大学は、大学の自治が尊ばれるのが建前でしたが、
    何年か前、甲南大学の佐藤文隆が「大学のガバナンス」を主張。
    甲南大学のオーナーが主権を持ち、責任も持つ、そして、
    大学を維持する「価値」がないと経営やめちゃいますよ、
    大学の自治なんて絵空事を言うのはやめなさい…
    ということなのでしょう。こうして、
    「いかなる問題が起きようとも人道的に対処しようという姿勢を崩さないことでしか学問は進められない」
    という人類レベルの常識が外されました。
    http://bit.ly/TensaiBakabon

    統治と人道が切り離されてしまったのです。

    欧州の大学は、統治者が人道的な統治を目指すために設立したものですから、人類の福祉のために研究するのが学問でした。しかし、アングロサクソン利権を人類の福祉より上に置こうとする動きがあり、それが相当に成功して、アングロサクソン諸国の統治下にある日本は、大きな影響を受けて死にかけているわけですね。

    学問をやめてしまったので、筋が通っているのはカネ儲けだけで、
    狩猟管理人(=stalker)が跋扈します。

    どうも、お邪魔しました。
    ===コメント内容おわり===

    「学問をやめてしまったので、筋が通っているのはカネ儲けだけで、
    狩猟管理人(=stalker)が跋扈します」
    と書いたのが嫌がられたかも知れません。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      家庭も学校も「自治」権を放棄し、外注するようになると、かえって、治外法権になります。

      狩猟管理人(stalker)は、言葉だけでも威圧感がありますからね。
      そして、跋扈しているという表現は、図星だからでしょう。

      返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      お知らせありがとうございます♪
      何かの忠犬🐕みたいです(笑)

      返信
      1. あ*=franoma

        https://ameblo.jp/3mama0303/entry-12659310550.html
        という記事が出ました。

        ご子息は、 injured にせよ、wound にせよ、《歴史的身体》にダメージを受け(←[虐待]の定義)、それを “正当化する意味体系を作り上げるために、自己規定の断片化・分裂化を開始する”(©︎末田耕一)プロセスを経た訳で、CPTSDからの回復が必要でしょう。母上は《公認心理師》資格を取得し、ご子息を自立させると書いていらしたブロガー女史ではないか?と思うので、
        母子合同箱庭療法で、ご子息と心象風景を共有することから始めるのが吉でしょう。娘さんは《ADHD》だそうなので、別途、母娘合同箱庭療法で、ADHD imposture から脱することができれば、《公認心理師》資格も要らなくなるでしょう。

        https://franoma.info/自己規定の断片化と分裂化by末田耕一

        iPhoneから送信

        返信
        1. 翠雨 投稿作成者

          すれ違いの様子が哀れですね。
          ネット上で、いくつこういうケースを見てきたことか…。

          治療をあきらめて(治療論がわからないまま)時流に便乗してその筋の専門家になる(安易)ことを【昇華】とする勘違いも最近は増えているみたいです。
          箱庭を学ぶより公認心理師🐒(得て公)になる方が合理的(頭がいい)と本気で思えた時が末期症状です。

          返信

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