断食にもいろいろありますが
比較的実行しやすい
一日一食の実践をされた方の記録からです。
方法論や
栄養についての考え方は
当研究所と相当違いますが
日本人には
無意味に空腹を避ける習性があるというのは
同感です。
断食は
集合的無意識にある
そういう根拠のない思い込みを治すのに
効果的なんですよ。
お金がまったくかからない
神が与えた
プライスレス(計り知れない恩恵を得られる)な方法ですが
やっぱり自分には無理…という人のために
心理療法があるわけです。
断食にもいろいろありますが
比較的実行しやすい
一日一食の実践をされた方の記録からです。
方法論や
栄養についての考え方は
当研究所と相当違いますが
日本人には
無意味に空腹を避ける習性があるというのは
同感です。
断食は
集合的無意識にある
そういう根拠のない思い込みを治すのに
効果的なんですよ。
お金がまったくかからない
神が与えた
プライスレス(計り知れない恩恵を得られる)な方法ですが
やっぱり自分には無理…という人のために
心理療法があるわけです。
東須磨小学校事件で
末期的な
スクールカウンセリング制度が
明らかになったと思えば
『ねらわれた学園』等で有名な
SF作家が亡くなりました。
学校が
怖ろしい存在に支配されて
おかしくなるというお話でしたね。
人気のある作品は
占いのように未来を予見します。
ただし
お話そのままではなく
比喩的に説明されるのです。
子どもだって
いろんなストレスとたたかっているわけですが
その際に
変身願望が出てくるわけですね。
「おもちゃを片付けなさい」と言う代わりに
子どもがなりたがっている動物について
話を聴いてみるのは
サイコセラピーの立場です。
大人の場合も
同じですが
防衛がきつく
やや手ごわそうです。
もう一つの物語『断食芸人』が
参考になるかもしれません。
『ジョーカー』の大成功で
スター株急上昇中の
ホアキン・フェニックス(44)さんですが
演戯は
ラジオ体操ではないので
学校で習うことはできません。
才能というのは
たいてい
PTSD問題克服の痕なんですよね。
ホアキンさんが育った家は貧しく
5人きょうだいは
幼い頃から道端で歌ったり
音楽を演奏したり
コンテストに出演したりして
小銭を稼いできたそうです。
貧しいからという理由ではないと思いますが
3歳からヴィーガンで
ベジタリアンより厳格で
食事だけでなく
動物の素材で作られた服は
撮影のためでも
相当説得しないと使わない。
ちょっとしたチャンスを大事にして
テレビデビュー
映画デビューを果たしますが
人気絶頂期にあった兄が
23歳の若さで亡くなり
あまりのショックで1年ほど
休業します。
哲学的思索の時間ですね。
アルコール中毒の治療を受けたものの
PTSDの依存症
2005なら薬物治療を受けたかも
交通事故を起こし
ガソリンが洩れ危険な状態なのに
タバコを吸おうとした等
奇行が報告される時期もありました。
前記事ではないですが
古来
食事は神事で
心理療法の根本も断食です。
ヴィ―ガンは
マイルドな断食法ですが
神(セルフ)に近い生活ができるので
長い目でみれば
解離しにくくなるでしょう。
そして
集団ヒステリーを煽る演戯が
できるようになったのです。
他にもいろんな方法があり
最近では多くの人が取り入れるようになりました。
本日は
「体育の日」ですが
1964年開催の東京五輪の
開会式を記念して
1966から2000までは10月10日
来年からは
「スポーツの日」になるそうです。
今の日本は
スポーツはさかんですが
体を育てるという
発想は
ありませんからね。
これからは
家庭で
個人個人が
心身と対話する視座を
育てればよいでしょう。
昨日は
語呂合わせで
納豆の日
7・10
本日は
水戸黄門 のお誕生日だそうです。
一太極二陰陽の象徴そのものみたいな
構図ですが
本名を名乗れないときに
水戸藩の中納言という意味で
使っていた名前のようです。
皇太子さまを東宮さまと呼ぶように
中納言は
中国風だと黄門になるそうです。
黄色は高貴な色で
見上げると龍神のように見える
銀杏なんかは
神聖な木あつかいされますね。
黄門さまは
お誕生日には
ごちそうを召し上がらず
粗食だったそうです。
なぜかと言うと
最愛の母親を苦しめた日という
認識だからです。
そう言えば
お釈迦さまも
当時では高齢出産のご母堂が
生後7日で死亡
自分の代わりに死んだという意識からか
お母さんの年齢になる前に
家族を捨てて
出家してしまってますね。
周囲は
結婚させればよいと考えていたようですが
当然そんなことで
トラウマが癒えるわけもなく
断食瞑想という
真の治療を必要としたわけなのでした。
自宅や職場の
エレベーターによれば
本日は
ピアノの日だそうですが
サラダ記念日 でもありますね。
実体験がもとになっているけれども
写実的なうたではなく
実際はサラダじゃなくてからあげ🍗
意図的に
七夕前日にしたのだそうです。
内向的直観型なのでしょう。
PTSD治療における
象徴表現や
自己癒しとしての夢も
時にフラッシュバックも
トラウマ体験そのものではなく
こんな風な書き換えが行われるものです。
PTSDと言えば
記念日反応
意識は覚えていなくても
身体が覚えているということですから
我々は
頭で考えるだけではなく
もっと身体に聴かねばなりません。
そういう意味では
時にサラダ断食などしてみるのも
いいでしょう。
歌集には
「おまえオレに言いたいことがあるだろう」
決めつけられてそんな気もするなんていうのもあるそうで
ヒステリー性格を
端的に詠んでますよ。
https://www.youtube.com/watch?v=cUP6csi9js0
普通の食事で満足し
貧しいと表現されているが
昔の普通
そしてこの粗食には
現代人も取り入れるべきところがある。
感謝する人の無意識には
食いしん坊は住みづらく
そうじゃないタイプの人に住み着きます。
そして
粗食の方の人は
結果的に元気になり
後者は財産を失います。
後者について
昔は
「穀つぶし」と呼んだそうですが
今は「マンションが買えるくらい浪費した…」等と言われ
難病扱いになっています。
おかしな手術が登場して
問題が複雑化するのは
科学としては進歩したのかもしれませんが…
美容整形同様
PTSDの現代的問題です。