窃盗で逮捕された志賀高原のホテルの元バイト男(47)もPTSDの依存症

長野県・志賀高原のホテルで

1月

宿泊していた

高校生約170人の貴重品が盗まれた事件で

3月に

長野県中野市内のパチンコ店で

財布などを盗んだ

このホテルの

元アルバイト従業員の

建設作業員(47)が

逮捕されました。

 

昨年8月の

大手学習塾の合宿で

中学生約340人の貴重品が盗まれた事件等

余罪があるとのことで

 

逮捕されるまで

やめられないのが

PTSDの重症依存症です。

 

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窃盗で逮捕された志賀高原のホテルの元バイト男(47)もPTSDの依存症」への6件のフィードバック

  1. franoma

    「逮捕されるまで
    やめられないのが
    PTSDの重傷依存症」
    という観察事実を社会で共有することがポイントだと思います。

    「不安だから。私が」と仰ったキンコメの御仁は、問題が自分にあるという自覚はできており、
    http://bit.ly/fuanDisorder
    のように治癒が可能です。ところが、放置してしまったので、
    「練習しすぎてコンディションボロボロ」とも書いておいでで、
    不安に駆られて理不尽なことを相方さんにも強いている問題も自覚なさっていました。それでも「ありえない( http://bit.ly/1VcdDKw )こと」(=下着泥棒)をやり続けて逮捕されました。

    「解離」言動をしてしまうのは、PTSD問題があるからであり、
    ロンドン発で米国育ちの「アスペ」ラベリング、「ADHD」ラベリング、「発達障害」ラベリングでは対処できませんね。

    アングロサクソンにとって瑞穂のくにの民は「異質な他者」です。
    トークンエコノミー( http://bit.ly/1S6dtUF )=餌付け=「飴」で釣り、
    暴力や心理操作を「愛の鞭」と正当化して
    自分らに都合の良いように利用できるようにしようというのが
    「発達保障論」でしたね。
    野崎氏( http://bit.ly/Nozaki )がご指摘のように西洋帝国主義を内包しています。
    …と書くと「アカ」ラベリングをされますが、問題は、経済体制ではなく、
    宗主国の分断統治を背景にして、
    有色人種は飴と鞭で飼い馴らしてよいとしている点です。

    「飴と鞭で飼い馴らす」ことと、
    「芸事の道を行くには楽しいことばかりではない」ことを
    故意か無意識か混同なさる芸術家もお見かけします。
    しかし、ラクダと共に生活してラクダを鍛えて共に働いてもらうのと
    ラクダ( http://bit.ly/1JcNVvU )の背骨を折ろうとすることは全然、別のことです。この辺の区別がつかない人が「命の綱引き」があるような気がするのではないかと推察します。

    百歩譲って世界的に見て有色人種は「黄色いサル」扱いなのが今の現実だからと猿回しのサルとしてサバイバルすることを受け入れるにしても、虐待は正当化できないものですね。近所に、虐待とは感じずに激しい体罰をなさっていたお宅があり、昨日、尾木ママ先生のブログにコメント
    http://ameblo.jp/oginaoki/entry-12147296342.html#c12838581760
    しました。我が家の場合は、息子が幼い頃から(致命的な被害を受けないように避けながら)オヤジの家庭内暴力を鎮静するまで待つように母子で連携を取っていたので、日本では通報されるようなことはありませんでしたが、オヤジ本国ではオヤジの実母しかいないため、二人は結託して息子が生まれつきの悪い「発達障害」ということにしたかったようで、近所のドイツ人女性に通報されました。日本の小学校の修学旅行に行くことは前からの約束だったので、それは守ってくれて、一時、日本に来たのですが、そのときまたオヤジが変になってしまい、私は、息子に「自由に誰にでも相談するように」と言いました。結果、息子は自分で児童相談所に電話したのですが、介入はありませんでした。そのあと益々オヤジが変になり、「私は、何をするか判らない人間だ。警察を呼べ」と言ったので、私が児童相談所に電話したのですが、「殺すとか言っているなら警察でしょ」と言われて終わりました。

    欧州には欧州の人種差別問題がありますし、日本には日本の問題があります。嫌な目に遭っている当事者である子どもと話をすると、摂食障害、リスカ、「眠れる森の美女」気取りなどで、そもそも母親に問題があるケースも少なくない上に、そういう人を「フツー」として放置する岩宮恵子教授らがおいでになり、さらに、米国に多い女性アグレッサー( http://bit.ly/1hz1Jsv )が日本でも増えており、問題が見えにくくなっている…と分かります。さらに、日本の問題は、特に、子どもは「飼い馴らす」でOKなように、実際に教育基本法を「改悪」した第一次アベ内閣が元凶となっています。ご家庭で放置されていても学校の先生がフォローしているケースも少なくなかったのに、それを潰す方向に教育現場を歪め始めたのです。

    以前、
    翠雨先生のブログにもコメント
    http://bit.ly/1RPPpBW
    を書きました。
    アベ政治によって益々進められる違憲立法を止めないと危険です。
    http://bit.ly/25DwFgD

    右も左も思想信条も関係なく基本的人権を明記した平和憲法を守り、象徴天皇は統帥権を持たず世界平和を祈願するのがご公務ということを変えないことが大事です。
    チェルノブイリ( http://bit.ly/1MioxvG )原発事故のあと、日本でも原発事故がやられるという国難によってキレてしまわずに、
    個々人が個々人の持ち場で「ハッケヨイ、残った」
    ということが大事ではないかと思います。

    大学人で、ツイッターのアイコンがクマちゃんなのは、社会学者の本田由紀氏と数学者の黒木玄氏です。特に、本田先生は、ご専門が社会学なのですから、PTSD現象に取り組んでいただけたらと思っています。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      尾木ママへのコメント成功おめでとうございます!
      当事者に「どうしてほしいか」訊くことからはじめようと思う人が増えればよいと期待されます。

      「法律をおしゃれに変えていく行政法の革命児」 教授は、かぐや姫わがまま論文教授と同じ路線ですね。
      地味で文字ばかりで忍耐ばかり要求するような法学のイメージを読みやすく面白くしているのだと公言して憚らない態度は
      仏教や哲学を無視して臨床心理学をする態度と同じです。

      そのウソは「発達障害論」につながり「人道上の罪」を犯しているわけですが、その欺瞞がバレて糾弾されるまでやめられない「依存症」なのでしょう。
      こんな人ばかりが増えており、病巣は1つのようですね。

      今後は、気づく人が増えるばかりで「八卦はよいので」正義が「残る」瞬間に立ち会いたいと思います。

      返信
      1. franoma

        「当事者に『どうしてほしいか』訊くことから始める」のは、
        あらゆる人間関係において人類レベルの「常識」です。

        その「常識」を外しては、土建屋も務まらないと私は教えられました。
        http://ameblo.jp/sannriku/entry-12138889047.html#c12831441792
        にコメントしました。「企業」活動、「組織」活動であるならば、社会的責任が伴うものですから。
        参考:ISO 26000(Guidance on social responsibility)

        ましてや、教育、心理、医療、福祉の分野では、
        「当事者に『どうしてほしいか』訊くことから始める」のは、
        鉄則です。当事者のいいなりになって、「そんなことをしていたら死んでしまうよ」という状態を放置するという話ではありません。当事者の勘違いがあるらしいのであれば、それを教えてあげることも必要です。ロジャーズも
        「来談者中心療法」
        と言ったのであり「来談者エゴ中心」では治りませんし、ましてや
        「治療者エゴ中心」では人権蹂躙にしかなりませんね。
        心理職&精神科医でも香山リカ氏は「治療者エゴ中心」が露骨で、
        「え、好きじゃないんですか、オリンピック?」
        と来談者に心理操作( http://bit.ly/1Ml5YqT )を加えて、それを堂々と雑誌記事に書いていました。

        世界人権宣言
        ニュルンベルク諸原則
        現行の日本国憲法
        職業倫理
        を守ることが
        idthatidさまや香山リカ氏のようにならないためには是非、必要です。
        翠雨先生のブログに、以前、コメント
        http://ameblo.jp/raingreen/entry-12024842372.html#c12720926313
        を書きました。

        返信
        1. wpmaster 投稿作成者

          人や言葉にきちんと向き合うということが常識になっていないようですね。
          インドの考え方として紹介されている言葉から、聖書の言葉を連想しました。
          マルコの「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」。人を赦さないと、主に届く祈りは成り立ちません。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく」という『主の祈り』を大事にしましょう。赦すとは、人をもあなたをも生かすことです。恨みを消すことで「真のいのち」が守られます」等も、どんな被害も一律に即座に許せと言っているわけではなく、本当の自分との対話の仕方を教えてくれているのだと思います。

          香山リカの詭弁は馬鹿げていますが、リカちゃん人形のような看板を背負って生かされているようですね。
          idthatidは、私にとってはこの上もなく「迷惑」な存在で、勤務先としては今のところ「厄介な」頭痛の種なのでしょうが、実は破壊的な「迷惑」であると気づくべきでしょう。

          返信
          1. franoma

            「恨み事」があるのかと誤解されて、水に流せと言われることが多い世の中ですが、
            「恨み」に思っているわけではありませんね。

            ショックドクトリンとセットで展開されてきたPTSD否認=「発達障害論」詐欺や「新型うつ」仮説=ウソをお止めなさいというだけのことです。ショックドクトリンそのものを止める力は実行犯にしかありませんが、PTSD否認は、私たち庶民が止めようとすれば止められるのですから。

            idthatidさまも勤務先があるのでしたら、
            勤務先の企業または組織としての社会的責任が早晩、問われるでしょう。

          2. wpmaster 投稿作成者

            本人は私の職場に怒鳴りこみ、指導すべきだと宣いましたので
            そのみっともない勘違いに気づけば、自分が職場から指導される立場であると知り、震え上がることでしょう。
            職場は社会的信用を考えるなら、本人の気づきを待っていてはダメですよね。

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