13:29頃
久が原~千鳥町駅間で発生した
PTSD解離自殺の影響で
東急池上線は
雪が谷大塚~蒲田駅間の運転を見合わせています。

13:29頃
久が原~千鳥町駅間で発生した
PTSD解離自殺の影響で
東急池上線は
雪が谷大塚~蒲田駅間の運転を見合わせています。

クスリで進行を抑えるしかない精神病があるのではなく
クスリのせいで特有の状態に陥っていると知ったのは驚きでした。
セレネース(安定剤)での沈静による懲罰や
よい治療法はアメリカにはあるとの信仰も最後には消えます。
1983ミラノの実話をもとにしたもの
「日本人でも」「日本だったら」
「(このファッションは)日本で展開する」
「ガラパゴス」とやたら日本という言葉が出てくるのは
日本語の翻訳だから⁈
イタリアでも
まだまだ人権意識が低く
PTSDは人権問題
労働者の境遇は劣悪で
半分以上解雇もフツーの横暴
労働組合の黎明期のようで
固着のパワーがある。
臨床心理学はこのパワーが無くなった抜け殻期
お話は組合と会社の団体交渉のシーンから始まります。
主人公は
労働組合のなかでも急進的な逸材で
組合の問題児
そのくらいでないと革命は起こせないという話
組合を追い出され
精神病院の組合のマネージャーに左遷されます。
精神病院に組合なんて馬鹿げていると
あきらめるのがフツーですが
「脱施設化で家族が発狂する」
「ここは労働の場ではなく施しの場」
日本では「牧畜」のようと批判されたが
登場人物の妄想表現はUFOから悪くない給料をもらっている入院生活で
『約束のネバーランド』とも重なるイメージ
「法では治せない問題」と医者
先入観なしに患者に出会い
先天的に【現象学的方法】が身についた主人公
医者がPTSDとどこか気づいているのを知り
「こころの地獄を抱えた者は治らない」
患者から傾聴した話から裏づけて確信し
いつ死んでもおかしくない危険な道路で7年間も働いていた男性
機能不全家族で妊娠し施設と精神病院に母子分離されたまま時が止まっている女性
DVから母を護るために兄を殺害し11年間セレネースで性格を捻じ曲げられた男性
ストレスに弱いのに入院後も「自殺」「人の不幸」に遭遇しやすい環境
「(僕らは)イカているかもしれないけどバカじゃない」
ビジョンをもたせ
「精神病はでっちあげ」
「事なかれ主義で薬漬けにしているだけ」だから
とりあえず「半分に減らせる」と教え
医者が「勘違い」という「やる気」をもたせる。
ストレス脆弱性に対応しながら
対人恐怖や不信感・不安感のため会議どころではない。
(フツーの心理療法が成立しない第一原因)
掲げたビジョンが机上論や絵空事ではないことを確認しながら少しずつ信頼し
承認や応答(経験がないので魔法のようにこころに効く)を経験
医者は「緊張や責任に耐えられない」と言ったが
集団貧乏ゆすりをしながら(バランスをとる)
当事者である自覚が育ってゆく。
コミュニケーション能力を磨かせ
最初は極度の自閉でも
何を言っていいのかわからないが関わりたいので
便乗して同じことを言っている人の真似をしながら
話し合いの楽しさや
勝ち負けの感情
失敗から学ぶことの大切さを学び
少しの成功報酬が動機づけとなってゆく。
途中経過は無意味に見えるが
最後に大きな意味を持って立ち上がってくる。
思い込みに過ぎない認識を改めさせ
医者の怒りを恐れる患者に
自分の怒り発作と同じですぐおさまることから
具体的に納得できるように教え
自分で判断する主体性をもたせる。
最後は理事長が医者から自閉症患者(元PTSD)になった。
みんなで自己実現してゆきます。
切手の貼り方を見て
正しく貼れる訓練をさせるのではなく
常識を教えるのでもなく
その貼り方を活かせる仕事を創造させた
廃材をつかって
マンダラになっていた!
主人公は
ファシリテーターの鑑と言えるかもしれませんね。
教条的に
「言いっぱなし・聞きっぱなし」等と
マニュアルを守らせるのではなく
このような結果に導く言動をする。
やっぱりだめだ…と寝込む仲間に
「わかる」
「おまえらも寝こめ」と言い
みんながベッドサイドに寄り添うシーンは秀逸だと感じました。
同じことをすればよいということではなく
例え話です。
文化庁は
「害」の字は
「公害」や「害悪」などに使われ
イメージが悪いので
東京パラリンピックを前に
法律などの「障害」の表記を
「障碍」と改める必要があるとの
一部の国会議員や障害者団体の意見から
検討してきましたが
「害」は社会生活でよく使われ
「碍」に変える必要を認める人がそう多くないことから
17年内閣府調査では2・5%
追加は見送る方針のようです。
法令や国の公用文は
常用漢字に従う必要がありますが
地方自治体や民間団体は
「碍」の字を使うようになってきているので
兵庫県宝塚市は19年4月から公文書などの表記を「障碍」に変更
「自殺」が「自死」になるのと
自死遺族の会等からの希望
どちらが早いか競争です。
きずつける。そこなう。悪い状態にする。わざわい。(その)人に直接の原因が無い不幸な事件。
専門家の目に見えない後天的な外傷で発症する。
韓国映画「バーニング 劇場版」は
『버닝』(英題:Burning)2018
村上春樹『納屋を焼く』を象徴的意味として
現代韓国に翻訳したもの
牛飼いのお父さんが火病で
DVで家族離散中

その負の連鎖中に
セルフの要請で小説家を目指すものの
(PTSD自己治療あるある)
自我にとっては書くこともない状態に戸惑っているが
実は
存在が現代韓国版『バーニング』を書いている状態
主人公が観た幻想のお話です。
つまり『十牛図』
牛は途中で売られ
牛糞も気にならなくなり
昔のニューヨークも今のソウルも猥雑さでは同一と感じる
(野生の思考)
大麻の幻想のなかで
牛の分身である
女性は消え
男性は主人公に牛刀で殺害され放火で死体遺棄
主人公は裸で逃走
まずはアニマが現れ
気まぐれで
気が向けばカラハリ砂漠まで出向くフットワークの軽さだが
(中近東で失敗して帰ってきた父親のトラウマの創作イメージ)
眠くなると寝てしまい
いつどこへ消えてしまうかわからない存在で
感情のままに裸でおどるなど
社会的常識はなく
「おもしろい」か「おもしろくない」かの判断基準のみで
ものごとの意味を考えることもなく
集団ヒステリー的に煽り煽られる世界を好む。
このせいで
本人は人生が楽しくなく意味を感じられない(離人症)
アニマの友達と会いながら
グレートギャッツビーは主人公の一面
リトルハンガーからグレートハンガーにワープするヒントは
サン族から
現実では
傷害で逮捕起訴された父親の弁護士に呼び出され
市役所で椅子を投げた程度なので
執行猶予のために
反省するよう説得する役目
故郷に帰り
一家が客観的にどういう家だったのか再認識
家出した母親と再会するなどしながら
DVシェルターあるあるで生活苦のため
借金があり主人公に無心
アニマと対決します。
アニマの眷属が
幻想のなかで消えたり殺されたりしなければ
現実の自分が生きられないというのが
ユング心理学理論
母親も余裕がなく困った状態ですが
主人公が過去を正しく認識するために
記憶を提供してくれますし
アニマたちも滅茶苦茶ながら
主人公にトラウマがあり取り出せることを教え
石で表現
ただしバカっぽく(≠賢者)
傷ついたり
死ぬかと思うようなできごとを思い出すよう迫り
古くて役に立たず景観も損なうビニールハウスを
燃やすのはよいことだという
違和感を抱く奇妙な主張は夢らしく
(それが象徴というもの)
そのうち
母親の持ち物を燃やさせられ嫌だったことを思い出した。
いろんなことがあったにせよ真面目すぎること
反動で極端に奔放で退廃的なアニマが出てくる☯
涙は悲しみの証拠と言われるけど
「私は泣いたことがない♪」(@陽水)こともあるというフレーズも
漱石や十牛図同様日本から
『吾輩は猫である』的に書けばよいことを
不審に思いながらオイルという名の存在しない猫の世話をしていたら
最後に名前のない猫を捕まえた話
牛(セルフ)を探せと言っても探しようがないけど
恋愛感情があれば
ボイラー室(火病)にいた父の分身にご飯を与える程度なら応じるだろうとの
無意識の計算
ハンガー(空腹人間)が
自分のために好きなように食事をつくることは
神さまへの供え物のような高尚な行為というようなことも言っていた。
教えてくれました。
教え尽くすと消える固着の運命だが
リアルなイメージなので吐き気を伴った。
お父さんの波乱万丈の人生を書けばいいと提案する
弁護士の軽い貧乏ゆすりは
かわいはやおかなと思いました。
かわいはやおも言えないことがたくさんあった?

このアニマの特徴は虚言癖
どこの国の作家さんも心理学をよくお勉強されてますね。
韓国映画「バーニング 劇場版」の
2018年に
韓国で
『버닝』(英題:Burning)のタイトルで
舞台を現在の韓国に変えて映画化
原作は
村上春樹の『納屋を焼く』で
主人公は
ある有名作家の短編『納屋を焼く』を読んでいると独白するが
村上春樹自身は
読んだことがないと言い
のちに
『週刊誌三冊』に代えたりしながら
わざわざそんなことを言ったのは
主人公の「おせっかい」「弱さ」と説明する。
PTSD事案は
象徴モチーフと時々の週刊誌三冊程度の実際で表現されるという
教科書的なことを知っている主人格と交代人格が
お互いの存在を知っている村上春樹は
あざとくわかりやすいので人気がある。
ストーリーは大幅に異なっているけど
モチーフが象徴的に取り入れられています。
「これは今日の世界の若者達についての物語だ。
彼らがその人生と世界を考えるとき
それはミステリーのように感じるだろう」と監督
原作は
知り合いの結婚パーティで
一人の人の人格が総結集
広告モデルをしている「彼女」と知り合いますが
村上春樹の女性性は「広告」「モデル」的
パントマイムが趣味で
フリ(お芝居)というより
象徴モチーフを端的に感じさせる作風で成功
複数のボーイ・フレンドがいることがわかり
たくさんの人格がいる。
偶然
そのうちの1人と食事をすることになり
大麻と酒で朦朧としたやりとりをするうち
心理学ができる前も後も
催眠にドラッグをつかう人は一定数いる。
その人の奇妙な思い出話を聞きます。
学芸会で
お母さんのために
手袋を求めて来た子狐に
悪役の自分はお金をためてからおいでと言う。
あとは夢らしく
とぎれとぎれに「そうすれば」「納屋を焼く」と謎
そして
現在は
納屋にガソリンをかけて焼くのが趣味になったと言いますが
焼かれた納屋は存在せず
そのうち
代わりに「彼女」の姿が見えなくなりました。
この「死ぬ」のではなく「消える」ところ
現実と幻想が融合したところが特徴とハルキストたち
PTSDの心理療法がどのように行われるかの一端が
わかりやすく示されているんですね( ..)φメモメモ
ただし
「『納屋を焼く』もだめですね。
あれは冷たい話だから。
やっぱり冷たい話というのは
長いものにはふくらんでいかないんじゃないかな。」とのことで
過去の短編を膨らませて
長編小説を書くことが多い。
傾聴の仕方の不徹底により中断しているようです。


19:18頃
鶴ケ峰~二俣川駅間で発生した
PTSD解離自殺の影響で
相鉄線は運転を見合わせています。



『約束のネバーランド』の分析も
いよいよラストです。
集合に生きる子どもたちが
鬼に喰われる運命を甘んじて受け入れる。
鬼は日本では「陰於」
これが千年前の鬼との約束
つまり「影」だから投影される。
誰かのせいにして逃げる。
鬼滅の刃は鬼ごっこで研ぐ⁇
さすが「いらすとや」さんの発想も「全力鬼ごっこ」
脱出するには
崖を越えなければならないことがわかったのが
前回でした。
逃げるか逃げないか
闘うか闘わないかというような
闘う相手は自分の中の常識
単純な二元論ではなかったのです。

「生死を超える」
つまり
恐怖で発症するPTSD案件を超える。
小さな子たちも
ポニョのいもうとたちのように
こんな難しい問題をちゃんと理解できるのか
不安があったが案ずるより産むがやすしと
後でわかる。
一緒くたになって

普通にあるものをつかって
解決に必要なものは与えられている
脱出に成功しました。
これは
十牛図で言えば7図くらいの試練で

まだまだ物語は続くけど
あとは自然に展開しながら永遠に融合されるのでした。
それが普遍というものです。
子どもたちはいろいろ教えてくれたけど
遠くを見て祈ることくらいから真似てみるのは
大人でも可能でしょう。
―おしまい―