PTSDを発症し
依存症になると
「法的制裁」と
「社会的制裁」がもれなくついてくるそうですが
法の番人たちの常識傾向が
裁判員
自分自身が恵まれた環境にいることに無頓着
『自分もつらいことはあったけど、がんばってきた』
『なぜ、こんなことをするのかわからない』
裁判官
『あなたと同じような境遇でもがんばっている人がいる』
『反省しているようにはみえない』
『病気の治療よりも被害弁償をおこなうべき』
結構厳しいそうです。
どうしようもないことなので
知識として覚悟し
対応するとよいでしょう。
日本には
乞食がいないというのと
福祉が充実していることになっている。
優しい中島らもさんはいつも小銭をお布施してたので
『自分は幽霊にお布施してるのか』(だったかな…)と
嘆いておられたものです。
同じ発想ですね。
海外では薬物犯罪は治療の対象
それを拒否するなら刑務所という順番がある。
教育がヘンですね。
断罪の前に
仏教にも神道にもそういう理論はないと思うけど…
することがあるでしょうという話ですね。
ちなみに
依存症って
超自我という
絶対的な法から睨まれて
発症したって側面もあるのですよね。
内的世界と外的世界の呼応
ちょうどいい時に割れて生まれる💕呼応
そうなのですが… ←正論 にはタジタジ…(;^_^A
周囲には激震が走るのですよね(笑)
ごめんあそばせ~♪は
有意義で楽しく革命的な遊び