「西田哲学」カテゴリーアーカイブ
上田閑照先生ご逝去
京都学派の系譜を継ぐ
宗教哲学者の
京都大学名誉教授
上田閑照先生が
6月28日
他界されました。
十牛図について書かれた本はたくさんありますが
最初に
多大な示唆を受けたのは
先生の御著書でした。
本日の
京都新聞に
息の長い
西田哲学研究会が紹介されています。
ゴーギャン洗脳後遺症PTSD治療の過程
本日は
ゴーギャンのお誕生日だそうです。
一番有名な作品は
タヒチで
自殺を決意して描かれた
『我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか』で
神学校の学生時代
授業で植えつけられたと感じたのは
キリスト教の教理問答
「人間はどこから来たのか」
「どこへ行こうとするのか」
「人間はどうやって進歩していくのか」
老女の足もとには
「奇妙な白い鳥が
言葉がいかに無力なものであるかということを
物語っている」と
書き残していて
おそらくは
背後の超越者に対してではないかと言われています。
ゴーギャンは
洗脳後遺症に苦しみ
ゴーギャンがそう感じたということで
キリスト教の考え方が
まちがっているということではありません。
幼いユングも
キリスト教にギモンをもち
牧師の父もそれに答えることはできなかったので
似たような絵を描きながら
哲学するうちに
心理学者になりました。
人生の後半
キリスト教に対して猛反発しながら
絵を描いて自己治療していたのでしょうか。
世の東西交流で
こんな物語も生まれましたね。
ちなみに
本日は
寸心忌です。
芸術も学問も
根っこは同じみたいですよ。
サルは「花粉症」で歴史的身体的にPTSD予防学習中
PTSD予防中のサバイバーズ・ギルトと西田幾多郎
「人生を共にして来た者の死は
遺された者に癒しがたい喪失感と悲嘆をもたらす。
トラウマや
様々な通常の反応
葬儀が終わり骨壷の中に白骨が納められてなお
親しき者の死は受け入れ難く
ありありと生前の姿が偲ばれる。
また
親しき者が死に臨むに際して
死に臨む=臨床
家族としてしてやるべきことがあったのではないかと
後悔の念は絶えることがない」
本人の
人生の悲哀から生まれた哲学ですから
PTSDに関する既述も少なくありません。
入会お待ちしています✨
本日は学会おしゃべりDay
「非連続の連続」
昨日の自分と今日の自分は違うが
自分としては
連続している。
多重人格は
「非連続の連続」の非連続?
「通態度化(trajection)」
同時に主張すれば矛盾をきたす
2つのものの間を
時間差をつけて行き来することで
矛盾律の適用をかわす
巧妙なやりかた
多重人格は
これを実験して
破綻している?
一日中よく喋った✨
生活クラブの西田哲学「行為的直観」と望まれるPTSD治療の作られ方
安心! 絶品! 究極のこだわり生協! 楽々宅配&スーパー とのことで
カンブリア宮殿で取り上げられたそうです。
専門家任せにせず
自分たちで確認しながら
意見を出し合って
作ってゆくには
時間がかかったようです。
もちろん完ぺきではなく
問題はまだまだあると思うけど
食への取り組みのスタイルを築いた過程は
医療をよくする場合にも役立つと思います。
最後に司会者が言っているのは
西田哲学の「行為的直観」だと思いました。
よいものには
哲学があります。
ここからでも
まずは
自力で
脱出し
真面目なひとたちと
つながらなければなりません。
ポンキッキーズも『崖の上のポニョ』だった。
長寿番組「ポンキッキーズ」は
今月末で終了するそうですね。
ガチャピンも
公式ブログで
「おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん
そして子どもたち…。
たくさんの人たちに番組を見てもらいました」
「チャレンジをするとき
なかなかじょうずにできなくて
くじけそうになったときは
みんなが応援してくれました」と
番組開始から45年
三世代にわたるファンへ感謝をつづりました。
世代を超えて
チャレンジという言葉で
気づきました。
ポン・キッキも
崖の上のポニョと同じでした。
ポ 「如人千尺懸崖上樹」
ポはアイヌ語で子ども
無意識から無意識へ
そのまま伝わる原理があります。
宗教も心理療法も同じです。
『奇跡の丘 』⑧「PTSD予防」マブイ のケアから『 善の研究 』(西田哲学 ) まで
『奇跡の丘 』ですが
危険が迫っている場合は
退避することが基本です。
そして
いつか
もとの場所に戻って
(心霊上の場所です)
何があったのか
心霊上の事実として
心理学的に
検証することが
PTSD予防になります。
サバイバーたちが
それを語り継ぐことは
普遍性につながり
PTSD予防中の人々を励ます力となるのです。
「松は松なりに
竹は竹なりに」
「天賦を充分に発揮すること」
つまり艱難辛苦から哲学し個性化するのが
「人間の善」ということですね。
哲学者も宗教学者も
心理学者もみな同じことを言っているのですよ。
『奇跡の丘 』③『 崖の上のポニョ 』の海上行も重要な PTSD克服原理 の1つ
『 奇跡の丘 』の続きです。
イエスが
突然
波の上に現れます。
幻などではないから
よく見よと言われ
信じた弟子の1人が
その場所に渡ろうとしますが
渡れるかどうか
一抹の不安を感じて
失敗しかけたので
イエスに信仰が薄いと言われます。
ポニョは
宗介に会いに行くために
波の上を走り抜け
崖も駆け上がりました。
現実には
不可能なことですが
その心意気が大事で
宮﨑駿は
「波の上というものは
走ることができるのだと思ってもらえれば
(この作品は)正解!」と
言っていました。
ポニョは
華厳経満載の物語ですが
崖の上のポニョというのは
如人千尺懸崖上樹という
禅の公案から来た名前で
正法眼蔵のなかに
「海上行」について書かれた
一節があります。
宗教は違っても
海の象徴性は同じなので
似たような表現になるのでしょう。
常識にとらわれず
自分の目でよく見て
子どものように素直に
突き進むことは
大事なことだと思います。