血筋というものがあり
その筋の人は
会えば
直観的にわかります。
芸事にしても
心理療法にしても
その関係性の中で精進するのが
仕合わせというものですね。
血筋というものがあり
その筋の人は
会えば
直観的にわかります。
芸事にしても
心理療法にしても
その関係性の中で精進するのが
仕合わせというものですね。
ミニーマウスの
声優さんが
75歳で他界されたそうです。
ある請負制作をヒットさせた
当時の弱小ディズニーが
依頼主に
製作費の値上げを求めると
拒否されたばかりか
キャラクターの所有権を奪われた上に
有能なアニメーターを引き抜かれ
契約更新を拒絶されるという
絶体絶命の境地で生まれたのが
ミッキーマウスなのだそうです。
創造はいつも
PTSD発症の危機からですね。
「飼いならしたネズミをよく研究
醜いと思っていた
耳・口・足などを大きくし
ポイントを付け
ミッキーマウスを考案した」とのエピソードが
架空の話というのも
創造の秘密をよく示しています。
古代ローマの
パンとサーカスに変わるものを探すには
快 ― 不快(楽しい ― 楽しくない)で
場当たり的に動くマウス実験が参考になります。
醜いものをかわいくするのも
陰陽的発想ですね。
そして陰陽は架空にあります。
参考図書
アメリカの会社ですが
ネズミの男女が基本というのも
(一太極二陰陽)
なかなか興味深いです。
ミッキーマウスとミニーマウスは
(生年月日も一緒で
イザナミとイザナキみたいなネーミング)
現実にはご結婚されていたそうですよ。
本日はスイカの日だそうですが
その
実に非科学的で
いい加減そうな
由来から
夏の果物の横綱ということで
「つな」なので「27日」と
模様が「綱」に見える「すいか」が
安易に結びつけられたらしい。
謎解きの解説が始まっています。
古来
大事なことの扱いは
えてしてそういうもので
科学的であればいいとか
常識的であればいいという
都市伝説にかぶれたまま
その秘密を知らずに一生を過ごすことは
ちょっと残念かも
当研究所らしく
何かお話を
枕 (^o^)ノ <頭半分 おやすみーの変性意識 にと考えたところ
出てきたのは
ロシアの昔話『大きなスイカ』でした。
ロシアでは
すいか🍉は
フグ🐡くらい危険らしいので
(しかし気をつければ大丈夫なので
みんな大好き💕)
日本の昔話のような
よいおばあさんとわるいおばあさんみたいな
(何でも陰陽)
お話になるのかもしれません。
日本でよく知られた
このお話もロシアの昔話でした。
(やっと本題)
カブを引っこ抜くというだけの
シンプルなお話に
子どもたちが
意味も分からず惹かれるのは
習わずとも
こういう感覚があり
将来こういう問題に出会ったときの智慧として
直観するものがあるからかもしれませんね。
トラウマの根っこを引き抜き
おいしくいただく(昇華)にも
自力を尽くして他力を呼ぶような
人間関係が不可欠なのです。
京都アニメーションで
34名が亡くなった 放火事件を配慮して
フジテレビは
放火殺人事件をテーマとした
明日放送のドラマを
第1話と第2話のダイジェストに
差し替えることにしました。
事実は小説よりも奇なりと言いますが
事件の印象が強すぎて
ドラマの世界に入ってゆけないということもあるでしょう。
吉本興業の
芸人さんの謝罪会見についても
こんな姿を見てしまうと
もう笑えないので
こんなことをさせた
猿回しの猿が
親方である猿回しの脅しにのらず
自分の意志で
謝っている。
吉本という会社は
明日は社長が会見
一番してはいけないことをしたと
批判されています。
売れ筋を計算して
登場人物が動く作品は
三文小説と呼ばれます。
作者が登場人物をコントロールできなくなり
(瞑想状態による創造)
どこにゆくかわからない状態になると
佳境に入るわけですが
集合的無意識の暴走を止めてハッピーエンドにするか
観客がひとりもいなくなるような悪夢にするかは
人間次第ですね。
PTSD予防教育は人類を救うのです。
携帯電話大手
ドコモは
ドコモショップの制服を
現在
女性店員が履く靴は
ヒールの高さが
3・5㎝か6・5㎝のもの
来年
スニーカーを履けるように刷新
KDDIは
すでに
スニーカー着用を認めているそうです。
通年OK
ソフトバンクはクールビズ中だけ
立ち仕事が多いのに
ストレスだったんですね。
中世ヨーロッパでもあるまいし
清潔な日本ではハイヒールは必要ないので
纏足みたいな考え方の名残からの
(これが美しい!みたいな)
(かぐや姫みたいな人は反抗)
強要圧力でしょう。
こういうのが履きたい人は
日々
バレリーナ並みに鍛えていただくとして
一般的には
さらに進んで
(前からあるけど)
下駄や草履にしたらいいのに🌈
思いがけない箇所の不調にも…💦
足元を見なおすことは
何事においても大事なことです。
(集合的無意識をみることだけど)
本日は
アメリカのワシントン州で
UFOが
未確認飛行物体
(unidentified flying object)
アメリカ軍の命名
世界で初めて目撃された日だそうです。
しかし
無意識を発見したのは
フロイトだというのと同じで
ユングは
円いものにまつわる幻視は
マンダラという
この世には目に見えない
魔法の輪があって…
伝説、神話から
古代にまで遡ることのできる
心的現象であると気づき
UFO目撃の流行を
現代の神話として分析しました。
空中現象研究組織の名誉会長に🏆
要するに
出口が見えないという漠然とした不安感に
世界が包まれているような時に
ユングの時代だと
2度にわたる世界大戦
不安から救われたいという
救世主願望が
投影されたものではないかということですが
集合的無意識の投影なので
時代によって
かたちが違うわけです。
UFO等の
幻を見て
どうも気になり
正体が知りたいという奇特なお方は
円相法を試せば
十牛図🐄👤の世界に導かれると思いますよ。
6日午後
91歳で他界された
田辺聖子さんは
NHKの朝の連続テレビ小説
『芋たこなんきん』の
主人公のモデルになったことがありました。
井原西鶴が
女性の好むものとして
「芝居、浄瑠璃、芋、蛸、南瓜」をあげたとか
落語に出てくる女性の好物が
「芝居、こんにゃく、芋、蛸、南瓜」だったとかで
慣用句のように使われるようになり
語呂がよく
料理人の遊び心から
夏の献立としてかたちになった過程は
集合的無意識のつくられかたそのものです。
そして
田辺聖子さんのイメージが
芋たこなんきんだったということですが
これはイメージですから
言語化がむずかしいですね。
イメージをイメージとして
そのまま受け取るというのは
伝法や
心理療法に限らず
重要なやりとりです。
この時代には
さつまいもはまだ出回っておらず
いも=里芋
今は紫のさつまいもまで
普通に売ってますね。
実は
この料理人のような
遊びごころはとても重要で
自然治癒力が内から起こる
意識と無意識のラポール
心理療法における
箱庭などは
それが起こりやすくなる
装置のようなものなのです。
通学されるお茶の水女子大附属中学校に
物騒なもの(ブツ)が置かれたわけですが
文字通り「物騒」な事件のようです。
警備の甘さが心配されていましたが
悠仁さまは
事件後
犯人がどういう人物か全くわからない状態で
お母さまと一緒に
長野にスキーに出かけられたとのことで
その後
おひとりでの
私的なご訪問?に変更
危機管理が心配ですね。
報道で
事の重大さに気づかれたのか
一泊だけでお戻りになり
10日事件について説明され
驚かれたご様子だったとのこと
そこで浮かび上がったのが
実は不登校状態だったのではないのかという
疑惑です。
悠仁さまが不登校ならば
警備は通常の学校と同じになるでしょうし
自然のなかで過ごされることも
悪くないでしょう。
興味深いのは
宮内庁が
「刃物」を「オブジェ」と言い張るところで
おおごとにしたくないのでは?と
疑われています。
そのうち本当のことが明らかになるのでしょうが
この国では
刃物は
大切な象徴の1つです。
悠仁さまは
箱庭のミニチュアのようなものも
上手におつくりですから
存在そのものが
今の日本の課題を
映されたのでしょう。
容疑者も
トリックスターだったのではないかと
推測されます。
中学校は
明日
休校が解除されるみたいですね。
日大劇場に組み入れられないように
(日本の大学をはじめとする
学校組織の腐敗問題)
願うばかりですが
こればかりは
天のはかりごとで
仕合せなのかもしれません。
そこから学ぶしかないですね。
平成から
どんな元号になるのか
注目されていますが
野田佳彦前首相によれば
政府は
保秘のため
関係者に
携帯電話を預けるよう
要請していたそうです。
人に見つかってはいけないのに
赤い服を来て行動する
アリエッティのような
自己治癒力の象徴
新元号です。
この現象は
鶴の恩返しなどにもみられる
「見るなの禁」という
機織りは
見られてはいけないが
見ないとお話にならないという
二元論を越えた哲学
象徴特有の原理なのです。
PTSDは否認しても
集合的無意識のなかに
その原理は生きているのだということが
確認できました。
根本匠厚生労働相は
22日の会見で
私用で訪れた
韓国・金浦空港で
職員に対し
暴行し
「韓国人は嫌いだ」等の暴言を吐き
現地警察の取り調べを受けた
武田康祐前賃金課長(47)の
処分について
官房付とする
事実上の更迭
「極めて遺憾。
事実関係をしっかりと把握し
厳正に対処したい」と
述べました。
厚労省は
こころの病はPTSDであるという
精神分析以来の常識を無視した
誤診と薬漬け医療を見抜けないので
例えば
PTSDの一種である
カショオの流行に対応できず
難病認定する始末で
挙句の果てには
その片棒を担ぐ
誤診ですよ
薬はダメですと
意見しないお約束で
登録という
極めて情けない専門家が取得する
国家資格
国家資格を認めてしまうなど
機能不全を起こしていますから
矛を収めるという
東洋思想的な「武」の名前をもった人物が
西洋哲学を越えた哲学を含有
解離して
隣国での暴挙を働かせられてしまうという
させられ体験(作為体験)
時代のカナリア
実に象徴的な出来事です。
集合的無意識って
凄いですね。