花月診療所の次は
花月寺での
よしもと新喜劇#1598
「すち子の南無阿弥研修中!」
世代交代のお話です。
イニシエーション(儀式)
父親が急死したのに伴い
(こころのケア中)
寺を継いでから
(こころの準備ができていない)
中身も住職に成長するまでの一事例だが
心理療法の世界と重なる。
寺はカウンセリングルームの原型なので
右も左もわからないので
古参のお手伝いさんに訊いたりしながらはじめ
研修医が看護婦長に教えてもらうようなもの
研修部長も任せますが
企業の問題児が短期修行にやってくる。
とても「ややこしい」人で
思ったことをそのまま言うので
現金で遠慮がなく
根性がねじ曲がっていることがわかります。
言語能力に難がありコミュニケーションが成り立ちません。
自分の世界に入ると木魚と人の頭の区別もつかなくなります。
警策の使い方も知らないのに
想像で振り回し
注意されると「ダメって書いてないよ」
「トラウマ」の扱いを知らない心理職も
こんなものですね。
基本がなってません。
意味のないことを繰り返させ
認知行動療法とか服薬とか
「意味がないと思われることをするのが大切」と
高尚なお話とすり替え
「無」や「空」と程遠い現金なすち子さん
今までずっとこうしてきたし
「高評価」を得てきたとゆずりません。
お経はサブスクじゃないとか
現代風の説明
小僧さんたちも
失礼な扱いを受け
最初はおかしいと抗議しますが
だんだん染まって手下になりさがっているので
その方が楽だからです。
訪れたひとは刑務所のようだと形容し
お寺の修業は命をかけたものなので
それでよいのですが
DVシェルターなども無駄に厳しく
退所は「出所」と呼ばれます。
早く終了したければ逆らわないと悟らせるのは
閉鎖病棟の薬漬けと同じ
多分わかっていてのパロディ
たまたま立ち寄っただけの普通の若い人なら
うざいと怒って帰り
普通の人は心理学とか哲学とか
必要がないので
読んでいられません。
帰国子女の女性ですら
言葉の感覚がズレていて
何でもそのまま主張する。
「(仏像も僧侶も)なんで禿ばかりなんですか?
囚人ですか?
かつらとかかぶらないんですか?」
お経がラップに聞こえる。
住職からは
成育歴を配慮しても
度が過ぎるので
ちょっと勉強してからくるように言われる。
怒って帰ってしまいます。
純ジャパのすち子さんに負けます。
筋金入りの問題児グループ2つの比較も
指示には従わない。
配布資料など忘れてきて
それがどうした?の野良患者が基本
面白いです。
極道なるどー(マクドナルドではございません)の社員は
見かけがコワいので甘やかされる一方
必要な修行をしない。
心に傷があるので
不良少年あるある
ふとしたことでスイッチが入ると
子ども時代に退行して
かわいく素直になり
トラウマの再来に適応
治らないまま退所しますが
寺の危機を救います。
犯罪を犯すほどでもない場合
個性となって社会で役に立つこともある。
2つ目のグループは
デタラメをして遊んでいるうちに
すち子さんは最低ながら遊ぶことは極意
社長の息子が
プレッシャーに耐えかねて
アル中らしく
若いつもりのおばちゃんハニートラップに遭った証拠があるけど
(テキーラ100杯飲まないと無理とすち子さん)
解離性健忘…
300万円恐喝される。
最近多い犯罪も取り入れているのはなかなかの調査力
はみだしものを演じているのがわかったときに
布置
社長である父親が現れ
自分もそういう気持ちを乗り越えてきたと諭し
住職も
自分の置かれた状況と重ねて悟り
今までは
仲裁をするにも
言いやすい方にだまってもらってましたが
いじめが解決しない要因の1つ
きちんと叱り諭すことができ
恩人の娘であるすち子を解雇し
世襲制や縁故採用、家族経営がいじめの温床になる。
それで本来は僧侶は出家し子どもがいない。
極道なるどーへ送ることで
仏教でも道を極めます。
昔は
ストリートチルドレンになるか
小僧になるかは紙一重でした。
父親からの負の遺産を断ち切ることができました。
人が治る時は
深いところでいろんなことが重なります。
大事なところをパロディにして注意を引き続けながら
解説するお笑いの手法はなかなかですね。
よしもと新喜劇 #1598「すち子の南無阿弥研修中!」
土曜まで